松坂大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日-)とは、東京都出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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松坂大輔 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 (出生は青森県) |
生年月日 | 1980年9月13日 |
身長 体重 |
182.9cm 83.9kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1998年ドラフト1位 |
引退 | 2021年 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2000年、2004年 |
WBC | 2006年、2009年 |
プロ野球選手テンプレート |
横浜高校時代は150km/hオーバーの直球と多彩な変化球でエースとして大活躍し「平成の怪物」と呼ばれた。1998年には甲子園の春夏連覇を果たしている。
3年の夏、対PL学園戦で延長17回を投げ切り完投勝利した。
なお、この試合に日本テレビのアナウンサーの上重聡(PL学園)も登板し、死闘を繰り広げたが敗戦投手になっている。
その後、決勝戦でのノーヒットノーランも達成しドラフトの目玉として注目を集める。
ドラフト会議では西武ライオンズ、横浜ベイスターズ、日本ハムファイターズが競合し、西武ライオンズが交渉権を獲得し、西武に入団した。背番号は18。ちなみに、本人は横浜に入りたかったようである。
抽選に外れた二球団はそれぞれ横浜が古木克明、日本ハムが實松一成を指名しており、2人とも後にある意味球史に残る成績を残す事となる。
1999年(1年目)には16勝を挙げ、新人王はもちろん、最多勝、さらにはゴールデングラブとベストナインまで獲得する。
その後2000年、2001年と3年連続で最多勝を獲得。高卒でルーキーイヤーから三年連続で最多勝を獲得したのは松坂のみ。
2002年は肘を故障し、不本意なシーズンに終わるが、2003年には最優秀防御率のタイトルを獲得。
その後はボストン・レッドソックス移籍まで毎年2桁勝利を挙げ続ける。また2006年のWBCではMVPに選ばれた。
2006年シーズン終了後にポスティングシステムを利用し、ボストン・レッドソックスに入団。5000万ドルオーバー(約60億)という破格の契約金が話題になった。ちなみに西武は2007年シーズンを5位で終え、25年連続Aクラスの記録が途絶えている事からも、松坂の抜けた穴の大きさが伺える。
2007年は、日本人の新人投手としては最多記録となる15勝を挙げるが、12敗と負けも多く、防御率も4.40と不安定だったことから「期待ほどではない」と言わることもあった。プレーオフ、ワールドシリーズでは2勝を挙げ、レッドソックスのワールドシリーズ制覇に貢献する。
2008年は開幕から無傷の8連勝を挙げ、一時は故障者リスト入りするも、最終的には18勝3敗(18勝は野茂英雄の16勝を上回り日本人最多記録)という成績を挙げ、主戦投手として活躍。前年の批判を封じ込めた。
2009年のWBCでは準決勝のアメリカ戦などに先発登板し3戦3勝、日本の優勝に大きく貢献した。松坂は2大会連続の大会MVPに選ばれている。その一方でシーズン中はWBCの影響で調整に失敗したびたび故障、わずか4勝に終わるなど不本意な一年であった。
2010年は開幕を故障者リストで迎えたが、5月に復帰し、6月8日に日米通算150勝を達成したが、12日に再び故障者リスト入り。シーズンを通して好不調が激しく、最終的に規定投球回数に到達せず、9勝に終わった。
2011年は6月10日に右肘のトミー・ジョン手術を受け、残りをリハビリに費やした。
2012年オフにFAとなり、2013年2月にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結ぶ。スプリングトレーニングに招待選手として参加したが、開幕マイナーが決定し一度自由契約となり、契約内容を変更してマイナー契約で再契約した。しかしメジャーに昇格することがないまま、8月20日に本人の希望もあり、FAとなる。その後8月22日にニューヨーク・メッツとメジャー契約を結んだ。背番号16。
2013年オフにFAとなり、2014年にメッツとマイナー契約を結ぶ。
2014年4月16日にメジャー昇格。4月20日のアトランタ・ブレーブス戦で日米通算2000奪三振を達成した。
2014年12月4日に福岡ソフトバンクホークスに入団。背番号18。
2015年は右肩の故障に悩まされ、8月に手術を受けたため、一軍での登板はなかった。
2016年も一軍での登板機会が無いままシーズンを終えるかと思われたが、10月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて日本復帰後初登板の機会が訪れる。楽天の梨田昌孝監督は試合前、松坂が登板した際にはかつて西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)で共にプレーし、MLB時代に対戦経験もある松井稼頭央を出場させると明言しており、その顔合わせにも注目が集まっていた。結果、代打で出場した松井稼頭央に対する初球が足元への死球となるなど1イニング39球を投げ与四死球4、被安打3、暴投1で5失点。公式記録上の自責点は2だが、失点に関係する守備のミスプレイは捕逸1のみであり、それが記録された投球は捕手へ達する前に地面でワンバウンドするものであった。
オフに「今の状態を改善させたい」とウィンターリーグに参加した。
2017年は一軍での登板はなく、自由契約となった。12月21日に中日ドラゴンズが、2018年1月に入団テストをナゴヤ球場で行うことを発表した。
2018年に入団テストを受けて合格した。背番号は99。シーズンは開幕を一軍で迎え、4月5日の読売ジャイアンツ戦で2年ぶりに登板。5回3失点と試合を作った。4月30日の横浜DeNAベイスターズ戦では6回1失点で試合を作り、12年ぶりの勝利を挙げた。その後も一軍と二軍を行き来しながら先発投手として登板。オールスターではファン投票1位で選出されたが、第1戦で秋山翔吾の先頭打者ホームラン含め1回5失点で降板した。村田修一、後藤武敏、杉内俊哉と同じ世代の野球選手が現役引退を表明していく中、9月13日(誕生日)の阪神タイガース戦(甲子園)では5回1失点で勝利。この日のヒーローインタビューで「彼らの気持ちも込めて投げた」「僕はもう少し頑張る」とコメントした。11試合に登板し、6勝4敗、51奪三振、防御率3.74だった。オフの12月6日に背番号を18に変更することが発表された。
2019年は春季キャンプでの調整中、ファンと接触していた時に右腕を引っ張られ、2月11日に右肩に違和感を覚える。沖縄県内の病院で診断した結果、右肩の炎症と診断され、炎症が治るまでノースロー調整することになった。結局この年は2試合の登板で1敗に終わり、オフに自由契約となった。
2019年12月3日に14年ぶりに古巣の埼玉西武ライオンズへの復帰が発表された。背番号は16。
2020年はオープン戦で登板していたが、レギュラーシーズンは新型コロナウイルス感染拡大の影響で6月に延期。7月5日に首の痛みと右手のしびれのため手術を受け、リハビリに充てたため、シーズンの登板はなかった。
2021年も開幕から登板がないまま、7月7日に現役引退を表明。10月14日に背番号を18に変更する。10月19日の北海道日本ハムファイターズ戦が現役最後の登板となり、先頭打者の近藤健介に四球を与えてマウンドを降りた。
報道ステーションのスポーツコーナーのキャスターを務めている。
松坂大輔が生まれた1980年。
高校野球界では「荒木大輔」フィーバーが起きていた。
この夏から5季連続で春夏の甲子園にエースとして出場した荒木大輔はまさに甲子園のアイドルとなる。
荒木大輔の影響で1980年からの数年間に生まれた新生児に「大輔」という名が大流行。
松坂大輔の母も荒木大輔の大ファンだったという。
こうして荒木大輔にあやかって名付けられた松坂大輔もまた甲子園のヒーローになった。
松坂大輔擁する横浜高校が春夏甲子園連覇を果たしたのは1998年。
この年の新生児が甲子園に登場するのは2014年以降となる。
果たして新たな「大輔」は現れるのであろうか。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#1124 | 12642 | |
ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#1242 | 13337 |
年 度 Year |
球 団 Team |
登 板 G |
先 発 GS |
完 投 CG |
完 封 SHO |
勝 利 W |
敗 戦 L |
セ | ブ SV |
ホ | ル ド HLD |
勝 率 W-L% |
投 球 回 IP |
与 四 球 BB |
奪 三 振 SO |
失 点 R |
自 責 点 ER |
防 御 率 ERA |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999年 | 西武 | 25 | 24 | 6 | 2 | 16 | 5 | 0 | 0 | .762 | 180.0 | 87 | 151 | 55 | 52 | 2.60 |
2000年 | 27 | 24 | 6 | 2 | 14 | 7 | 1 | 0 | .667 | 167.2 | 95 | 144 | 85 | 74 | 3.97 | |
2001年 | 33 | 32 | 12 | 2 | 15 | 15 | 0 | 0 | .500 | 240.1 | 117 | 214 | 104 | 96 | 3.60 | |
2002年 | 14 | 11 | 2 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | .750 | 73.1 | 15 | 78 | 30 | 30 | 3.68 | |
2003年 | 29 | 27 | 8 | 2 | 16 | 7 | 0 | 0 | .696 | 194.0 | 63 | 215 | 71 | 61 | 2.83 | |
2004年 | 23 | 19 | 10 | 5 | 10 | 6 | 0 | 0 | .625 | 146.0 | 42 | 127 | 50 | 47 | 2.90 | |
2005年 | 28 | 28 | 15 | 3 | 14 | 13 | 0 | 0 | .519 | 215.0 | 49 | 226 | 63 | 55 | 2.30 | |
2006年 | 25 | 25 | 13 | 2 | 17 | 5 | 0 | 0 | .773 | 186.1 | 34 | 200 | 50 | 44 | 2.13 | |
2007年 | BOS | 32 | 32 | 1 | 0 | 15 | 12 | 0 | 0 | .555 | 204.2 | 80 | 201 | 100 | 100 | 4.40 |
2008年 | 29 | 29 | 0 | 0 | 18 | 3 | 0 | 0 | .857 | 167.1 | 94 | 154 | 58 | 54 | 2.90 | |
2009年 | 12 | 12 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | 0 | .400 | 59.1 | 30 | 54 | 38 | 38 | 5.76 | |
2010年 | 25 | 25 | 0 | 0 | 9 | 6 | 0 | 0 | .600 | 153.2 | 74 | 133 | 84 | 80 | 4.69 | |
2011年 | 8 | 7 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 37.1 | 23 | 26 | 24 | 22 | 5.30 | |
2012年 | 11 | 11 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | .125 | 45.2 | 20 | 41 | 43 | 42 | 8.28 | |
2013年 | NYM | 7 | 7 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 38.2 | 16 | 33 | 21 | 19 | 4.42 |
2014年 | 34 | 9 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | 3 | .500 | 83.1 | 50 | 78 | 38 | 36 | 3.89 | |
2016年 | ソフトバンク | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 1.0 | 2 | 2 | 5 | 2 | 18.00 |
2018年 | 中日 | 11 | 11 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | .600 | 55.1 | 32 | 51 | 25 | 23 | 3.74 |
2019年 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 5.1 | 2 | 2 | 10 | 10 | 16.88 | |
2021年 | 西武 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 0.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | -.-- |
NPB:11年 | 219 | 204 | 72 | 18 | 114 | 65 | 1 | 0 | .637 | 1464.1 | 539 | 1410 | 548 | 494 | 3.04 | |
MLB:8年 | 158 | 132 | 1 | 0 | 56 | 43 | 1 | 3 | .566 | 790.0 | 387 | 720 | 406 | 391 | 4.45 |
タイトル | |||
---|---|---|---|
NPB | 最多勝 | 3回 | 1999年-2001年 |
最多奪三振 | 4回 | 2000年、2001年、2003年、2005年 | |
最優秀防御率 | 2回 | 2003年、2004年 | |
表彰 | |||
NPB | 新人王 | - | 1999年 |
沢村賞 | 1回 | 2001年 | |
ベストナイン | 3回 | 1999年-2001年 | |
ゴールデングラブ賞 | 7回 | 1999年-2001年、2003年-2006年 | |
JA全農Go・Go賞 | 3回 | 2003年、2005年、2006年 | |
オールスターゲームMVP | 1回 | 2004年第1戦 | |
WBC | 最優秀選手 | 2回 | 2006年、2009年 |
その他 | |||
NPB | オールスターゲーム出場 | 7回 | 1999年-2001年、2004年-2006年、2018年 |
開幕投手 | 6回 | 2000年-2006年 |
掲示板
394 坂上二郎
2023/06/25(日) 22:49:48 ID: 5vJUBDvRRF
395 ななしのよっしん
2023/10/29(日) 22:16:32 ID: DxpnJekGKr
やっぱりアメリカでの生活が悪影響だったんだろう
過去の現役時代の写真見ると明らかにわかるのだが太りすぎなのがね…
ストイックに体型もしっかり維持して練習してるイッチとは雲泥の差
同じ日本人メジャーリーガーとして溢れる才能を見抜けたからこそ「深いところで野球をなめてないか?」って苦言も言ってくれたんじゃないだろうか?
396 ななしのよっしん
2024/05/26(日) 21:23:12 ID: hHOU3mEf5o
つってもアマからプロまでほぼ全部の優勝を経験してるんだしモチベ無くなっていってもしゃあないと思う
さらに18から大金貰ってチヤホヤされたらどうやっても歪むわ
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/01(金) 08:00
最終更新:2024/11/01(金) 08:00
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