1789年(天明9年/寛政元年)
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年 | 1777年 | 1788年 | 1789年 | 1790年 | 1801年 |
干支 | 酉 |
申 |
酉 |
戌 |
酉 |
我が国では江戸時代。江戸幕府十一代将軍徳川家斉の治世にあたる。この年は天明の大飢饉や内裏(天皇の住居)炎上の為、天明から寛政への改元が行われた。あの寛政の改革の寛政である。
世界史において近代への扉を開いた大事件、フランス革命が勃発した年として広く知られている。世界史を履修した人のみならず、一般常識としてよく問われる年号である。
また、大西洋を隔てたアメリカでもワシントンが大統領に就任したり、国務省(最初は外務省)や財務省が設立されるなど国としての体制づくりが進められた年でもある。
アメリカ独立戦争などの戦費負担、宮廷の奢侈な生活による財政負担は長くブルボン朝の課題であり続け、この頃になるといよいよ避けられぬ課題として直面することになった。
国王のルイ16世は第三身分(平民)からの徴税はもはや限界である事を悟り、土地税や印紙税といった新たな税金を免税特権のあった第一身分(聖職者)や第二身分(貴族)に課すことを図った。しかし、高等法院などを根城としていた彼らは猛反発し、三部会の招集を要請した。ルイ13世以来175年ぶりである。
1789年5月5日に開かれた三部会は、投票や議決方式を巡って大きく紛糾し、第三身分の議員たちは独自の代議機関を作ることを決定、6月17日に国民議会を設立した。ルイ16世はこれに対して議場封鎖などで対抗したが、第三身分の議員たちはテニスコートに集まり、憲法制定まで国民議会を解散しないことを宣誓した。いわゆる球戯場の誓いである。ルイ16世はこれを認めず、「国王の承認しない議案はすべて無効」の一言で三部会は解散。封建地代や政治特権の継続といった旧体制の維持は国民議会側を更に硬化させ、7月9日に憲法制定国民議会として正式に発足することになった。
だが、国王の権利制限などを目的にした憲法制定をルイ16世が認めるはずがなく、また国王派の貴族たちに推される形で自由主義的改革を進めていた財務総監督のネッケルを7月11日に罷免。これにパリに集っていた第三身分の民衆は激怒し、ネッケルの罷免を国民への弾圧と受け取って、専制政治の象徴とみなされていた政治犯の牢獄・バスティーユを7月14日に襲撃した。
このバスティーユ牢獄の襲撃は曲がりなりにも話し合いで進めようとしていた、一連の政治改革の破断を意味し、武力と暴力によるフランス革命のはじまりを象徴した。これ以後ナポレオンの終身統領就任までの10年に亘り、フランスは革命の嵐が吹き荒れることとなる。
1月 | シェイエスが『第三身分とは何か』のパンフレットを発刊。フランス革命への口火を切る |
1月24日 | フランスで三部会の選挙規定が公表される |
2月19日 | 天明から寛政への改元が行われる(旧暦では1月25日) |
4月30日 | ワシントンがアメリカの初代大統領に就任する |
5月5日 | フランスで三部会が招集される |
6月17日 | 三部会の議決方式で紛糾し、第三身分の代表が国民議会を結成する |
6月20日 | テニスコートの誓いが行われる |
7月11日 | ネッケルが罷免される |
7月14日 | バスティーユ牢獄が襲撃される。フランス革命の勃発 |
8月4日 | 封建的特権の廃止が宣言される |
8月26日 | (フランス)人権宣言が採択される |
11月21日 | アメリカでノースカロライナが12番目の州としてアメリカに加わる |
日付不明
3月16日 | ゲオルグ・オーム | 物理学者。オームの法則の発見者 |
8月6日 | フリードリヒ・リスト | 経済学者。ドイツ関税同盟を主導 |
8月21日 | オーギュスタン=ルイ・コーシー | 数学者。フランスのガウスの異名をとる |
3月22日 | 井伊直幸 | 彦根藩第13代藩主。井伊直弼の祖父(旧暦では2月26日) |
4月7日 | アブデュル・ハミト1世 | オスマン帝国第27代スルタン |
12月23日 | シャルル・ミシェル・ド・レペー | フランスの教育者。ろう学校の最初期の設立者 |
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最終更新:2024/11/01(金) 09:00
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