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ウィナーズサークル 単語

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ウィナーズサークル

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ウィナーズサークルとは、

  1. 競馬場で、一着とその関係者を表する場所の中央競馬及び日本での通称。賞典台。
  2. 上記に由来する名の1986年生まれの競走馬芦毛

本稿では2について記述する。 


ウィナーズサークルとは、1986年生まれの日本競走馬

史上初、そして現在一の芦毛ダービー

な勝ち
1989年:東京優駿(GI)

概要

血統

*シーホーククリノアバー*グレートオンワード
アイネスフウジンモンテプリンス・ファスト兄弟を輩出したシーホークはともかく、地味である。一応半ダイオライト記念勝ちこそいるが、当時としてもかなり流から外れた血統と言えなくもない。

それというのも、 彼が生まれた栗山牧場(現・ユタカファーム)の所在地はなんと茨城県江戸崎町(現・稲敷市)美浦トレーニングセンターの隣町とはいえ、産の流地からは外れている、どころじゃない地域にあったことと関係ではないだろう。

競走馬生

7月福島デビューするが4着に敗退。12月まで自重した後、中山で復帰。2連続2着と詰めの甘さを見せるが、ダート未勝利戦を勝ち上がる。
この後、ダート条件戦でまた2着続きとなるが、皐月賞前に条件戦を圧勝で突破。賞金が不安視されたものの滑り込みで皐月賞に出走する。

この年のクラシックの中心はサクラホクトオーで間違いない……と思われていたのだが、彼は前走、土砂降りの極悪馬場となった弥生賞で大敗、「に弱い」という弱点をして評価を下げていた。
そして、皐月賞本番も大雨。しかしサクラホクトオーが大敗した弥生賞を圧勝したレインボーアンバーは、その走の反動で脚を痛めて離脱するハメになっており、更に前戦の重賞を連勝したようなもおらず、オッズは大混戦となった。結局サクラホクトオーが1番人気に推されたが、2番人気には弥生賞3着以外特に実績のないアンシストリーという大混戦となっていた。ウィナーズサークルはというと、前走ダートとはいえ圧勝したのが評価され、7番人気とそれなりに高い評価を得ていた。

レース営から移籍して来た3番人気ドクタースパートが泥田んぼ馬場を突き抜け快勝。ウィナーズサークルは泥田んぼ馬場が幸いしたのか2着に走。アンシストリーは3着に入り、サクラホクトオーは……やっぱり駄だったよ……(ドベ)。
そして、この2着でダービー出走をほぼ確実のモノとした。

89年東京優駿

この年のダービーは、皐月賞にまして大混戦となった。

まずサクラホクトオーは、二連続大惨敗で全に失墜。5番人気にまで評価が落ち込んでしまった。
ならば皐月賞が中心かと思われたが、ドクタースパートハワイアンイメージ二世とでも思われたのか4番人気にとどまり、アンシストリーは怪で戦線離脱。
1番人気パーソロンラストクロップで、今となっては懐かしい関西秘密兵器称号を背負った三連勝中、しかし
重賞実績皆無ロングシンホニー。
2番人気クライムカイザーで、皐月賞は頓挫があり出られず、休み明けのNHK杯を3着した共同通信杯勝ちイネルブレーブ。
3番人気皐月賞2着のウィナーズサークルという並びになった。

……む? ダービートライアル勢ってこいつら以下の人気だったの? と思う方々も多いだろう。実は、当時オープン競走だった青葉賞は8番人気NHK杯に至っては11番人気が、上位人気が総崩れになる展開で勝利する流れが繰り返され、勝ちが評価されていなかったのだ。
また、関西の「東上最終便」である京都4歳特別を上位人気で勝ったスターサンシャインも怪で戦線離脱(その後引退)を余儀なくされていた。

こうした要素が積み重なり、単勝オッズは5番人気サクラホクトオーまでが10倍を切っていたばかりか、ロングシンホニーも単勝6.0倍と「たまたま推せそうだったからなんとなしに押し出された」感じがする有様だった。
言い方は悪いが、史上稀に見る低レベルでの大混戦となってしまったのである。 今こんなメンツになったら、某大掲示板で始まる前から「今年イチGIスレが乱立するレベルである。

そんなレースは中団から抜けだしたウィナーズサークルが、NHK杯2着ながら1着より人気のあったリアルバースデーを抑え優勝。 第56代にして芦毛茨城県として史上初のダービーとなったのである。芦毛後輩であるビワハヤヒデゴールドシップすらダービーは勝てなかったことを考えると、彼は凄まじい事をやったとも言える。

その後、菊花賞路線に進むが菊花賞で惨敗。レース後に故障が発覚し、引退を余儀なくされた。 

引退後

引退後は種牡馬となったが、ステイヤー血統と見做され人気が出ず、々に第一線から退く事になった。

晩年はモンテプリンスがいた事で有名な茨城県岩間町(現・笠間市)の東京大学大学院学生科学研究科付属牧場に繋養。東大牧場ではダービー芦毛であることに加えて人懐っこい性格であることも手伝って大変可がられたという。

2016年8月

余談

様々な史上初の記録を持ち、翌1990年アイネスフウジンダービー制覇でシーホーク産駒ダービー連覇の起点ともなった彼だが、現代での評価はおっそろしいほど低い。上下の世代が強な個性を放つ強い世代だった上に、同期たちがパッとしなかったのがいけないのであろう。何しろ89年世代で古になってGIを勝ったのはオサイチジョージ(90年宝塚記念のみなのである。しかも同期南関東所属のロジータが同年のジャパンカップシンガリ負けを喫した際に出した府中2400mのタイムが、ダービーよりも1.9速い2分269。開催時期や条件が異なるので単純な較はできないが、ダービーロジータが出てたらウオッカ並みの話題独り占めしていた所だった。

ひたすらに祟られたダービー前までもスターサンシャインらがリタイア、ダービー後も「ダービー出走さえできれば、後は野となれ山となれ」という気が残っていた時期とはいえ、脚をぶっ壊した素質が続出したこの世代は不運に見舞われたとも言える。

ウィナーズサークル自身も怪があったとはいえ菊花賞路線でろくに勝てず、現役も短かった。同じダービーべると、オペックホースのように連敗記録こそつくったがタフに走ったわけでもなし、さりとて同じく競走馬として短命に終わったアグネスフライトのような「わかりやすいドラマ」を持っているわけでもない。

彼が話題に出るのは芦毛に関するピンポイントな話か、あるいは上記二頭などと共に史上最弱のダービーを競う時くらいではなかろうか。評価が好転する機会は望み薄なのが悲しいところだが……。きっと幸福な晩年を送れたであろうことはせめてもの慰めである。

血統表

*シーホーク
Sea Hawk
1963 芦毛
Herbager
1956 鹿毛
Vandale Plassy
Vanille
Flagette Escamillo
Fidgette
Sea Nymph
1957 芦毛
Free Man Norseman
Fantine
Sea Spray Ocean Swell
Pontoon
クリノアバー
1977 栗毛
FNo.21-a
*グレートオンワード
1971 鹿毛
Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Princess Isabelle Prince Chevalier
Isabelle Brand
*クロシェット
1958 鹿毛
Mossborough Nearco
All Moonshine
La Cloche Le Lavandou
Angelus
競走馬の4代血統表

クロス:Firdaussi 5×5(6.25)

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