クレオパトラトマスとは、1932年生まれの日本の競走馬・繁殖牝馬。競走馬としては古馬混合戦の帝室御賞典を3歳春・キャリア3戦で勝利し、繁殖牝馬としても成功した戦前の名牝である。繁殖名は月城。
主な勝ち鞍
1935年:帝室御賞典(東京)(春)
1936年:農林省賞典牝馬競走(春)、横浜特別(春)、阪神記念(秋)
1932年3月22日産まれ、父Campfire、母星旗、母の父Gnomeという持込馬。母の星旗は血統レベル向上ひいては馬産の発展のために下総御料牧場がアメリカから購入した三頭の繁殖牝馬のうちの一頭で、星旗がアメリカで身ごもり日本で生まれたのがクレオパトラトマスである。当時血統レベルで欧州はもちろん、当時は欧州から一歩遅れていたアメリカからもはるか後方にいた日本にとっては、向こうのちょっとパッとしない血統でもまさに宝石のごとしであった。母の星旗はその後も繁殖牝馬として活躍し、ダービー馬で大種牡馬となるクモハタを出している。
ちなみに、他の二頭の繁殖牝馬からもエレギヤラトマス・月友という日本の生産界の宝となる牝馬と牡馬が誕生している。
馬主は日本エレベーター製造[1]の創設者・東末孝時で、当時の舶来馬を買いあさり、1935~36年に関西で大レースを独占することになる「時の人」である[2]。東末氏に購入された当馬は、西の名伯楽・伊藤勝吉厩舎へ預けられ、騎手兼業でもあった伊藤師が主戦騎手となった。
4月6日の阪神4歳牝馬競走でデビューし、ここをエレギヤラトマスらを相手に快勝。続いて14日の新呼馬特別もレコードで圧勝し、その勝ちっぷりから早くも全国的に注目を集めることになった。その後は東京優駿大競走(ダービー)へ向けて東行し、関東での一叩きとして21日の帝室御賞典(東京)へ出走した[3]。
当時からダービーへの一叩きとして古馬相手のここを使うのは割とポピュラーではあったし、ワカタカやフレーモアといったダービー馬はここを勝ったりもしたが、人気にこそなったがさすがに牝馬では荷が重いと思われた。
どっこいこの牝馬はモノが違う。4馬身ぶっちぎって勝利するのである。今でいうと……上手い喩えがない。そのくらいの空前絶後っぷりである。
ちなみにこの帝室御賞典、天皇賞の前身と言われるがそれはレースの副賞(天皇からの下賜品が賞品であった)の話であり、勝ち抜け制度といったルール面や施行距離は戦前の最高賞金レースである優勝内国産馬連合競走のほうが近い。
なんにせよ、この勝利で早くも世代最強と謳われ、単勝支持率50.3%[4]の一番人気を背負ってダービーへと向かう。敵はいないであろうと皆が思った。しかし、スタートで派手に出遅れてしまう。そこから無理に追い上げようとしたことでかかってしまったのか、1コーナーで全馬ごぼう抜きして先頭に立ち、3コーナーまで先頭を維持したものの、最後はバタバタになり9着に惨敗してしまった。伊藤の強敵(とも)尾形藤吉[5]師の観戦記によると「あの馬は飛びが綺麗すぎるし蹄からして道悪がダメそうなので、あんな無茶やったら潰れちゃうよね(要約)」と言っているので、このレースは不良馬場だったし出遅れたなりの競馬をしても辛かったかもしれない[6]。
その後も当時の実績馬の宿命として60キロ以上の斤量を背負わされるが、芝でも土でも爆走する。旧5歳時には1年で17戦をこなし、当時の最高峰レースの一つである京都の農林省賞典牝馬競走(春)を含む9勝を挙げた。そして時々、中山記念や目黒記念でころっと負けた。海外遠征したら?という話すら出たという[7]。しかし馬主が競馬界追放モノの不祥事を起こしポシャる。
引退レースでは72kgを背負って快勝。満量[8]が近づいてきたこともありそのまま引退し、本来の目的である血統レベルの向上に貢献すべく繁殖入りした。通算成績28戦16勝。
デビュー時は体高153cmと当時の牝馬としても比較的小柄な方であったが、引退時には牝馬としてなら標準的な体高158cmにまで成長していた。決して馬格があるわけではないのだが、その見た目は栗毛・流星・後二白と垢抜け、サラブレッドらしいスマートさがあったという。
一方で、気性の方はスマートさとは程遠い、相当にクセのある馬だったようである。競走馬のくせに鞍を乗せるのを嫌がり、厩では決して腹帯をしめさせてくれず、しかたがないので馬場に出してから動き回る彼女を追いかけ回して少しずつ馬装を整えたという。また、阪神記念(秋)ではレース終了後に騎手を乗せた状態から突然ゴロンと馬場で寝返りを打ち、下敷きになった伊藤騎手が大怪我をするという事故も起こしている。以降、伊藤は引退までクレオパトラトマスに騎乗することはなかった。その気性の強さこそが彼女のスピードの源泉だったのではないかと評価する人もいたようである。
引退後も繁殖牝馬月城として大活躍。まずは桜花賞馬ハマカゼ、中山大障碍馬モモタロウらが競走馬として活躍。ダイオライトとの間に産まれたトシシロは競走馬としては活躍できなかったが良血が見込まれ種牡馬となり、二冠牝馬ヤマイチ、桜花賞馬ホウシュウクイン、宝塚記念馬ホマレーヒロ、中山大障碍馬カツシロらを出した。
直仔以外からも多くの活躍馬が出ているが、中でも特記すべきは6番仔の昇城が産んだ孫のハクチカラである。詳しいことはハクチカラの記事に譲るが、国内で無敵を誇った彼は祖母の果たせなかったダービー制覇を果たし、さらには海外遠征をも敢行し、ついにアメリカで重賞級のレースを勝ってみせたのである。クレオパトラトマスの果たせなかった夢を孫が叶えた瞬間であった。
その他の子孫にはタカクラヤマ(天皇賞)、ニホンピロムーテー(菊花賞)、ダイサンコトブキ、ヤシマファースト、サンエイサンキュー、ガクエンツービート、カネトシガバナー、ゴーゴーゼット、キングオブダイヤ、サチカゼらがいる。2012年に皐月賞・菊花賞の二冠に輝いたステマ配合馬ゴールドシップも6代母が前述した桜花賞馬ハマカゼ(繁殖名:梅城)で、クレオパトラトマスの血を引く一頭である。
日本在来牝系の源流としては、小岩井牝系にも劣らない影響力を持った一頭といえる。
Campfire 1919 栗毛 |
Olambala 1906 栗毛 |
Ornus | Bend Or |
Ashgrove | |||
Blue and White | Virgil | ||
Madame Dudley | |||
Nightfall 1908 栗毛 |
Voter | Friar's Balsam | |
Mavourneen | |||
Sundown | Springfield | ||
Sunshine | |||
*星旗 Fairy Maiden 1924 栗毛 FNo.16-h |
Gnome 1916 栗毛 |
Whisk Broom | Broomstick |
Audience | |||
Fairy Sprite | Voter | ||
Cinderella | |||
Tuscan Maiden 1918 黒鹿毛 |
Maiden Eriegh | Polymelus | |
Plum Tart | |||
Tuscan Red | William Rufus | ||
Fine Feathers | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Voter 3×4(18.75%)、Hermit 5×5(6.25%)
月城(競走名:クレオパトラトマス) 1932
|峰城 1942
||タカクラヤマ 1947 1951年天皇賞(春)
|昇城(競走名:フアイヤライト) 1944
||ハクチカラ 1953 1956年東京優駿、1957年有馬記念、1959年米国ワシントンバースデイHなど
|梅城(競走名:ハマカゼ) 1945 1948年桜花賞
||風玲 1959
|||アイアンルビー 1972
||||トクノエイティー 1978
|||||パストラリズム 1987
||||||ポイントフラッグ 1998
|||||||ゴールドシップ 2009 2012年皐月賞・菊花賞などGI6勝
|城猛 1949
||ヒスイ 1953
|||ニホンピロー 1961
||||ニホンピロムーテー 1968 1971年菊花賞
掲示板
提供: ドラゴン
提供: ゆんなの
提供: フェイト
提供: (´・ω・`)知らんがな
提供: とっても大好き❗バッタもん
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最終更新:2025/03/25(火) 14:00
最終更新:2025/03/25(火) 13:00
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