サボ島沖夜戦とは、ガダルカナル島をめぐる攻防戦の中、昭和17年(1942年)10月11日に大日本帝国海軍とアメリカ海軍の間で発生した海戦である。
この海戦を「サボ島沖海戦」とする向きもあるが、本記事では大本営の呼称「サボ島沖夜戦」とする。尚、連合軍側ではガダルカナル島エスペランス岬の北で行われた海戦であるため「エスペランス岬の戦闘(Battle of Cape Esperance)」と呼称されている。
また、第一次ソロモン海戦のアメリカ軍側呼称が「サボ島沖海戦」であり、書籍 - リチャード・F・ニューカム著「サボ島沖海戦 米海軍史上最大の敗北」(光文社NF文庫)も、昭和17年8月8日の第一次ソロモン海戦の書籍となっている。
昭和17年5月、大日本帝国海軍が前進飛行場の建設適地としてソロモン諸島ガダルカナル島を占領。海軍陸戦隊600名余りが飛行場の設営を開始する。
7月28日、海軍は大本営作戦会議で初めてガダルカナル島に飛行場を設営中であり数日中には完成するとの話を陸軍に知らせる。辻政信参謀がラバウルから遠く飛行機が進出していない今が一番危険であり、アメリカ軍が上陸したらどうするのかと指摘すると海軍参謀は胸を張って「天が落ちてもガ島は落ちやせん」と主張したと言われる。
8月7日、アメリカ軍海兵隊第1海兵師団を主力とした部隊がガダルカナル島に上陸、飛行場等を占領する。
8月18日、一木支隊がガダルカナル島に上陸するも20~21日のイル川渡河戦に於いて潰滅する。
9月7日、川口支隊がガダルカナル島に上陸するも空襲により重火器、弾薬、食料の8割方を揚陸出来ずに失う。
これらの失敗から陸海軍の戦力を総合的に発揮したガダルカナル島攻撃計画が立案される。すなわち戦艦や重巡による艦砲射撃により飛行場を無力化し、高速輸送船団を持って戦車連隊や火砲200門以上、2万名以上の大兵力を上陸させて大兵力による正攻法で攻略する作戦である。
この作戦における飛行場に対する艦砲射撃の第一陣とアメリカ海軍の間で発生したのがサボ島沖夜戦である。
10月11日午前6時、ガダルカナル島タサファロングへの揚陸任務を帯びた8隻の艦隊(城島高次 少将指揮)、水上機母艦「日進」、「千歳」(トラック、牽引車、野砲、弾薬車、野戦高射砲、固定無線機、人員280名の輸送)、駆逐艦「秋月」、「夏雲」(日進、千歳の護衛)、駆逐艦「朝雲」、「白雪」、「叢雲」、「綾波」(聯隊砲、大隊砲、速射砲、陸兵410名、糧食弾薬等の輸送)がショートランドを出港。
※水上機母艦「日進」は特殊潜航艇「甲標的」(排水量42t)を運用するための重量物用クレーンを複数装備。
※ショートランド:ラバウルのあるニューブリテン島とガダルカナル島の中間点、ブーゲンビル島の南にある島で、ショートランド島、マガセーアイ島、ポッポーラン島に囲まれた地域がショートランド港と呼ばれ帝国海軍の泊地になっていた。
同日正午、ガダルカナル島飛行場と周辺地域に対する制圧射撃の任を帯びた第6戦隊、重巡洋艦「青葉」、「古鷹」、「衣笠」と増援の駆逐艦「吹雪」、「初雪」がショートランドを出港。スコールに遭遇しながら南下を続ける。
度々のスコールと合わせてサボ島を視認する2時間前からは一層凄まじいスコールに遭遇、五藤存知 少将は「桶狭間の合戦を想起する」と語り、平然としていたと言われている。(織田信長ではなく、今川義元の運命をたどる事になるのだが)
※制圧射撃は事前に第6戦隊がショートランドで実弾射撃(零式通常弾)による訓練を行い、満足の行く結果を出していた。また対陸上砲撃は初めて行われる事もあり、連合艦隊並びにラバウルの第8艦隊からも注視され、ガダルカナルへの砲撃が成功すれば引き続き第3戦隊、第5戦隊が実行する計画になっていた。
午後2時45分、アメリカ軍偵察機がコロンバンガラ島-チョイスル島間の海域に「巡洋艦2隻と駆逐艦6隻の船団」(日進隊の8隻)を発見したと報告する。
※コロンバンガラ島はショートランド島の南東、チョイスル島はショートランド島の東に位置する。
午後4時7分、偵察機の船団発見報告に対応すべく、スコット隊は迎撃のためにガダルカナル島に向けて進路をとる。
※この時期の制海権は常に変化している。主に日中や月明時はヘンダーソン飛行場の航空戦力によりアメリカ軍が、夜間は日本軍が制海権を握っていた。(アメリカ軍は日本海軍の奇襲を避ける為にツラギ港や南東方向に退避していた)しかし、この10月11日に限って言えば航空戦力により日進隊の南下を感知したアメリカ海軍がサボ島付近における待ち伏せを計画していた。
水上機母艦「日進」を旗艦とする輸送船団は午後8時13分タサファロング到着予定で航行。
午後9時00分、スコット隊は3機の水上機で偵察を開始。(ただし1機は離陸に失敗して墜落)
時刻不明、「サンフランシスコ」の水上機がガダルカナル島に日進隊を発見。艦隊司令スコットに報告を行うと、「より多くの日本船がガダルカナルに向かう途中」の可能性が高いと信じてサボ島の西に進路をとる。
※ここでスコット隊が「可能性の存在である第6戦隊」ではなく「確認されている日進隊」に向かっていたら夜戦の結果はまた違う様相を見せたと思われる。
午後9時20分、日進隊の城島高次 少将が「青葉」に対して無線により「アメリカ軍の船は近くに居ない」と報告する。上空を通過した偵察機の音を聞いているがこれは報告しなかった。(理由は不明だが船は居ないと報告してる事からスコット隊ではなくヘンダーソン飛行場からの偵察機と判断した可能性はある)
午後9時30分、「ソルトレイクシティ」、「ヘレナ」のレーダーが25.3kmの位置に感を捉える。
午後9時32分、第6戦隊はスコールを抜けて左3度、約10海里(およそ18km)の地点にサボ島を視認。
午後9時33分、スコット隊はエスペランス岬を通過して北東に向かって航行中だったが230度(南西)の方向に進路を変更して戦闘隊形を取る。
午後9時35分、「ボイス」、「ダンカン」のレーダーも第6戦隊の感を捉える。
午後9時43分、第6戦隊は左15度、約10kmの方向に艦影らしきものを3個認める。旗艦「青葉」では日進隊にしては南西に向かっているのは変であるが、何らかの理由から進路を変更した可能性も考えられるので「艦型識別に務める」と共に「味方識別信号」を行う。「ワレ、アオバ」である。
午後9時46分、サボ島北西約8海里(およそ14km)付近、艦影との距離が約7kmに接近したところで敵艦と判明、旗艦「青葉」は「総員戦闘配置に就け」並びに「面舵(右への転舵)」の下令をするも敵の集中砲火を浴びる。この初弾により「青葉」は艦橋に直撃を受け、司令官以下幹部多数が死傷し(五藤存知 少将は片足、もしくは両足を吹き飛ばされて失血死、もしくは他の幹部同様に即死したとも言われている)、通信装置破壊、主砲射撃指揮所方位盤破壊、2番砲塔破壊、3番砲塔破壊(3番砲塔には対地攻撃用の特殊弾が装填されており炎上)の被害を受ける。
この約7km地点の状況としては五藤存知 少将は更に念を押して「左10度、味方識別十秒」、「総員戦闘配置に就け」、同航戦闘態勢を取る為の「面舵」を下令したとの説もある。
「青葉」は進路変更を行いながら1番砲塔の砲側照準で応戦、最大船速で離脱をはかり、9時50分には煙幕を展開する。
2番艦「古鷹」は「青葉」の進路変更に伴い砲撃が集中した。これは別の説として荒木伝 大佐(古鷹艦長)は当初「取舵」、「戦闘魚雷戦。右砲戦」を下令したが「青葉」に危急を認めて「面舵」に修正したとも言われている。これにより3番砲塔に被弾、2番魚雷発射管に被弾して大火災を起こしている。この状況下でも「古鷹」は敵3番艦に命中弾をあたえている。(正確には不明だが重巡洋艦「ソルトレイクシティ―」、もしくは軽巡洋艦「ボイス」とされている)
3番艦「衣笠」は態勢不利と見て「青葉」、「古鷹」とは逆に取舵(左に転舵)をとる。
午後9時52分~10時15分、砲火をかわした「衣笠」は敵艦隊と砲雷撃戦を繰り広げ、1隻轟沈、1隻大破の戦果を挙げる。
午後10時13分、「青葉」の左140度、500mの警戒航行序列に位置していた駆逐艦「吹雪」は大火災を起こして沈没する。
午後10時14分、「古鷹」は敵艦隊と離れるも機関室に被弾していた。
この頃、日進隊はガダルカナル島の泊地におり水上機母艦「日進」の艦長は海上の交戦を遠望している。当初は第6戦隊が魚雷艇を攻撃中と判断していたが戦闘が熾烈さをます中、水上艦艇との交戦と判断する。
午後10時20分、「日進」は第6戦隊に敵情通報を求めると「衣笠」より巡洋艦、駆逐艦数隻との連絡を受ける。
午後11時7分、日進隊は揚陸を完了。出航すると戦闘用意を完備して帰路につく。
10月12日午前0時8分、「初雪」が現場に到着するも、すでに「古鷹」の傾斜が大きく横付けは不可能になっていた。
午前0時28分、重巡洋艦「古鷹」が沈没、「初雪」は短艇による救助を行うも作業は捗らず。午前2時に短艇2隻と円材等を残して退避する。
時刻不明朝、危険海域を離脱したと思われた日進隊は連合軍艦爆約70機の攻撃を受ける。この攻撃により駆逐艦「叢雲」が航行不能。駆逐艦「夏雲」が沈没する被害を被る。
日本海軍第6戦隊は目的としていたガダルカナル島の飛行場への艦砲砲撃を果たせず、得意としていたはずの夜戦で重巡洋艦1隻、駆逐艦1隻を喪失、重巡洋艦2隻が大破および小破するという損害を受け、さらに夜戦後の救援活動でも2隻の駆逐艦を失った。
対するアメリカ海軍スコット隊は目的としていた日本海軍の迎撃に成功し、損害も駆逐艦1隻を喪失、軽巡洋艦1隻大破、駆逐艦1隻大破、重巡洋艦1隻小破に留まった。このため、この戦いはアメリカ軍の勝利であると言える。
ただし、日本海軍も日進隊によるガダルカナル島への物資揚陸は成功しており、作戦が完璧なる失敗であったというわけではない。この戦いの後も、「上陸部隊支援のため、アメリカ軍飛行場に対する艦砲射撃を行う」という日本海軍の方針は変わらず、後には戦艦「金剛」「榛名」による飛行場への艦砲射撃が行われ、更にガダルカナルの戦いの転換点となった第三次ソロモン海戦へと繋がっていく。
重巡洋艦「青葉」
排水量 : 8,700t、乗員 : 657名、備砲 : 50口径20.3cm連装砲×3
艦長 : 久宗米次郎 大佐、副長:中村謙治 中佐
損害 : 大破、五藤存知 少将、士官8名(中村謙治 中佐含む)を含む79名が戦死)
重巡洋艦「古鷹」
排水量 : 8,700t、乗員 : 639名、備砲 : 50口径20.3cm連装砲×3
艦長 : 荒木伝 大佐、副長 : 一色高富 中佐
損害 : 沈没、戦死33名、行方不明225名、518名が初雪により救助
重巡洋艦「衣笠」
排水量 : 8,700t、乗員 : 657名、備砲 : 50口径20.3cm連装砲×3
艦長 : 沢正雄大佐、副長 : 宮崎房雄中佐
損害 : 小破
駆逐艦「吹雪」
排水量 : 1,680t、乗員 : 219名、備砲 : 50口径12.7cm連装砲×3
艦長 : 山下鎮雄 少佐
損害 : 沈没、艦長以下226名が戦死
駆逐艦「初雪」
排水量 : 1,680t、乗員 : 219名、備砲 : 50口径12.7cm連装砲×3
艦長 : 山口達也少佐
※アメリカ海軍のスコット少将は巡洋艦4隻、駆逐艦4隻の8隻を撃沈したと報じており、夜戦における状況確認の困難さがうかがえる。
ニューオリンズ級重巡洋艦「サンフランシスコ」
排水量 : 9,950t、乗員 : 708名、備砲 : 55口径20cm3連装砲×3
ペンサコラ級重巡洋艦「ソルトレイクシティ」
排水量 : 11,000t、乗員 : 1200名、備砲 : 55口径20cm3連装砲×2、55口径20cm連装砲×2
損害 : 小破
ブルックリン級軽巡洋艦「ボイス」
排水量 : 9,700t、乗員 : 868名、備砲 : 47口径15cm3連装砲×5
損害 : 大破
セントルイス級軽巡洋艦「ヘレナ」
排水量 : 10,000t、乗員 : 888名、備砲 : 47口径15cm3連装砲×5
ベンソン級駆逐艦「ファーレンホルト」
排水量 : 1,620t、乗員 : 208名、備砲 : 38口径12.7cm単装砲×4
損害 : 大破
グリーブス級駆逐艦「ダンカン」
排水量 : 1,630t、乗員 : 276名、備砲 : 38口径12.7cm単装砲×4
損害 : 沈没
ベンソン級駆逐艦「ラッフェイ」
排水量 : 1,620t、乗員 : 208名、備砲 : 38口径12.7cm単装砲×4
グリーブス級駆逐艦「ブキャナン」
排水量 : 1,630t、乗員 : 276名、備砲 : 38口径12.7cm単装砲×4
グリーブス級駆逐艦「マッカラ」
排水量 : 1,630t、乗員 : 276名、備砲 : 38口径12.7cm単装砲×4
昭和17年(1942)、アメリカ海軍はレーダーによる測距と一斉射撃の方式を採用していた。
射撃指揮レーダーの情報をレーダー観測士が口頭で報告、方位盤室で目標情報に自艦の進路と速度情報を加えて射撃指揮装置に手入力を行い、初弾から一斉射撃を行うという方式で、この戦いにおいて日本海軍が得意としていた夜戦において、日本海軍に手痛い一撃を加えることが出来たという事実が、アメリカ海軍のレーダー射撃に対する自信をつけさせたとも言われている。
ネット上では敵艦誤認に始まり、「ワレ、アオバ」、戦没する間際には「馬鹿者、馬鹿者」と最後まで同士討ちを信じていたとされ、散々な評価をされている。
しかしガダルカナルの戦い全般の中にある「サボ島沖夜戦」と捉えた場合、海軍の失態により失った飛行場を奪回する為に陸軍の一木支隊の投入して潰滅、さらには川口支隊を投入するも輸送船撃沈により武器弾薬や糧食を満足に揚陸出来ず、川口支隊は正面攻撃から一木支隊同様の夜襲肉薄攻撃に方針転換をせざるを得なくなり、結果的にはこの川口支隊も大損害を被り作戦は失敗。
そして陸軍の第二師団をも投入するに至った事態からこれ以上、友軍への損害を拡大できない。ましてや味方艦艇による誤射で損害を出す様なことはあってはならない状況にあった。
さらには初めての対陸上砲撃のため、連合艦隊や第8艦隊にも注視されている。
この決して失敗を許されない状況に合わせて、それまでの常識として夜戦における大日本帝国海軍の優位性と艦砲の初弾は必ず外れる(しかも夜戦である)と言った要素が約7kmへの接近をさせてしまったと推測される。
また、アメリカ海軍のレーダー技術により先に発見された上にレーダー射撃による初弾命中などは想定外の事態であり、その洗礼を受けたのが非常に厳しい状況での作戦下にあった五藤存知 少将と考えれば誰が指揮を執っていても同じような結果になったのではなかろうかと考えられる。
これは大日本帝国海軍の夜戦における戦隊指揮として、上記の条件を踏まえた上でも敵艦隊との距離約7kmの地点で総員戦闘配置、同航戦闘態勢に移行の指揮が適切であったか否かが問われる事になる。
「馬鹿者」発言も「同士討ちを信じて」の発言とされているが、むざむざと損害を出してしまった自身に対する発言とも取れる為、ソースの確認が必要である。(「馬鹿者」の前後にどの様な会話がなされたのか?聞き取った人物の主観によるものでないか?)
なお、海軍参謀長の宇垣纏は自身の日記「戦藻録」にて、同海戦における第6戦隊司令部の判断ミスを「あまりに無用心。人を見たら泥棒と思えと同じく、夜間に物を見たら敵と思えの心構えが無く、この海戦は衣笠1隻で戦ったようなものだ」と手厳しい批判を書き残している。
後日、宇垣纏は生還した「青葉」艦長や「古鷹」艦長らからの報告から幾つかの所見を書いており、 一、夜戦失敗は事前の偵察不充分に在り。 二、第十一航空艦隊飛行機活動の不足(全部黒星) などの所見を10月16日の日記に書いている。
明治43年(1910)7月18日、海軍兵学校(38期)卒業。少尉候補生になる。
明治44年(1911)12月1日、少尉に進級。各種艦艇の乗組員、海軍砲術学校、海軍水雷学校で学ぶ。
大正2年(1913)12月1日、中尉に進級。陸戦隊指揮官附、防備隊附、無線電信所長、乗組員、海軍大学校で学ぶ。
大正6年(1917)4月1日、大尉に進級。海軍水雷学校高等科、乗組員、水雷長、分隊長、教官で学ぶ。
大正13年(1924)5月10日、樅型駆逐艦「蔦」(83.82×7.93m、排水量770t、乗員107名)艦長に着任。
大正14年(1925)12月1日、浦風型駆逐艦「浦風」(87.6×8.6m、排水量907t、乗員不明)艦長に着任。
昭和2年(1927)12月1日、峯風型駆逐艦「沼風」(102.6×8.92m、排水量1,215t、乗員154名)艦長に着任。
昭和4年(1929)1月15日、吹雪型駆逐艦「浦波」(118.5×10.36m、排水量1,680t、乗員219名)艤装員長に着任。
昭和4年(1929)6月30日、吹雪型駆逐艦「浦波」の竣工に伴い初代艦長になる。「浦浪」は第二水雷戦隊第十九駆逐隊に編入。
昭和10年(1935)11月15日、川内型軽巡洋艦「那珂」(162.46×14.2m、排水量5,195t、乗員440名)艦長に着任。「那珂」は第2雷戦隊旗艦になる。
昭和11年(1936)12月1日、高雄型重巡洋艦「愛宕」(203.76×20.73m、排水量13,550t、乗員835名)艦長に着任。
昭和12年(1937)7月12日、高雄型重巡洋艦「鳥海」(203.76×18.999m、排水量10,000t、乗員727名)艦長に着任。
昭和13年(1938)11月15日、長門型戦艦「陸奥」(215.8×28.96m、排水量39,050t、乗員1368名)艦長に着任。
昭和14年(1939)2月1日、海防艦(装甲巡洋艦)「八雲」(124.7×19.6m、排水量9,695t、乗員648名)艦長を兼任、期間は5月15日まで。
昭和14年(1939)9月15日、扶桑型戦艦「山城」(215.8×28.96m、排水量34,500t、乗員1447名)艦長を兼任。
昭和14年(1939)11月15日、少将に進級。第二水雷戦隊司令官に栄転。
昭和16年(1941)9月10日、第六戦隊旗艦となった青葉型重巡洋艦「青葉」(185.17×17.56m、排水量8,700t、乗員657名)に司令官として着任。
昭和16年(1941)12月4日、アメリカ領マリアナ諸島グアム島(大宮島)攻略部隊の護衛。
昭和16年(1941)12月21日、アメリカ領ウェーク島(ウェーキ島、大鳥島)攻略の増援。
昭和17年(1942)1月18日、オースリラリア領パプアニューギニア・ニューブリテン島ラバウル攻略作戦に参加。
昭和17年(1942)3月5日、ラエ・サラモア攻略作戦に支援部隊司令官(第六戦隊、第十八戦隊、第二十三駆逐隊、特設運送船「東邦丸」)として参加。
昭和17年(1942)5月7日、珊瑚海海戦(Battle of the Coral Sea
)に参加。珊瑚海海戦ではMO攻略部隊の司令官として主隊の第六戦隊(重巡洋艦「青葉」、「加古」、「衣笠」、「古鷹」)を直率、航空部隊として航空母艦「祥鳳」、駆逐艦「漣」を指揮。
昭和17年(1942)8月8日、第一次ソロモン海戦(Battle of Savo Island
)では第八艦隊司令官 三川軍一中将指揮の下、第6戦隊司令官として参戦。
そして昭和17年(1942)10月11日のサボ島沖夜戦が最後の作戦となる。
掲示板
14 ななしのよっしん
2014/10/22(水) 04:10:52 ID: DqLKpHP2Xg
日進隊の駆逐艦って白雪と白雲どっちなんだ・・
サイトや文献によって記述がバラバラだw
6艦って数字と他の5艦の名前は共通だから、白雪と白雲のどっちかしかいなかった感じなのに。
証言者の思い違いや記録の写し間違いとかなのかな。
駆逐隊の所属からみてもどっちがいてもおかしくないってのが余計ややこしいw
15 ななしのよっしん
2021/03/30(火) 03:53:51 ID: UZr8ftYSHx
ラッフェイってラフィー?
16 ななしのよっしん
2021/09/26(日) 13:54:38 ID: W4jAJTT9s7
急上昇ワード改
最終更新:2025/04/15(火) 09:00
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