ステイヤー三羽烏とは、2000~2001年に競馬の長距離路線を賑わせた3頭の逃げ馬のことである。高速ステイヤー三羽烏とも。
ステイヤー三羽烏とは、2000~2001年に競馬の長距離路線を賑わせたサンエムエックス、タガジョーノーブル、ホットシークレットの逃げ馬3頭からなるユニット。
3頭が3頭とも大逃げの馬で長距離戦のレコード馬でもあることから「高速ステイヤー三羽烏」と呼ばれることもある。
いずれもGI馬ではなく、2頭は重賞馬ですらなく、3頭が揃って走ったことも実は3度しかなかったのだが、どうした化学変化か3頭が揃うと超クセ強レースとなるため競馬ファンに3頭セットで強烈な印象を残すことになった。
<主な持ち時計>
京都・芝3000m 3:03.0
京都・芝2400m 2:22.6R
芦毛の父と、芦毛の母と、芦毛の兄姉に祝福されて産まれた鹿毛の牡馬。
4歳春まで目立たない馬だったが、2000年7月みなみ北海道S(芝2600m)で先行策に目覚めると、10月の比叡S(芝2500m)で大逃げしたタイキポーラの2番手から抜け出し2:22.6のコースレコードタイムで8馬身差の圧勝。続く11月のドンカスターS(芝3000m)も逃げたタガジョーノーブルを追いかけ3着以下を7馬身も突き放した3:03.0の好時計で2着。その後もステイヤーズS(芝3600m)でナリタトップロードに先着して3着、日経新春杯(芝2400m)で本格化ステイゴールドを相手に好勝負して2着と素質の高さを証明した。
しかし天皇賞(春)の大逃げで力尽きてしまったのか以降は逃げることもできなくなり、新天地を求めて地方競馬へと戦いの場を移した……のだが、「どうもダートは嫌いみたいだね」と聞きたくなかった宣告を受け、地方では引退まで未勝利だった。
獲得賞金1億3211万2000円はビワハヤヒデ産駒では世界一位。
他2頭より2歳年上の芦毛の牡馬。
勝負所で鞭を入れても反応しない気難しい馬……と思われていたが福永祐一が(偶然)鞭を封印して覚醒。
2000年10月の高雄S(芝2000m)を逃げ切って久々の勝ち星を挙げると、続くドンカスターS(芝3000m)も逃げ切って3:02.8の日本レコードタイムを記録した。
12月のステイヤーズS(芝3600m)も2着に逃げ粘ってナリタトップロードに先着、翌2001年も阪神大賞典(芝3000m)4着、ステイヤーズS(芝3600m)3着など長距離で実績を残し、2002年と2003年に障害競走を1戦づつ走って引退した。
引退後は初め北九州で乗馬となり、後に茨城県の常総ホースパークへ移ったようだ。
スタートからガンガン飛ばすスタイルで毛色のせいもあり三羽烏でもひときわ目立つ馬だった。
牡馬に馬っ気を出すため2歳で去勢された鹿毛の騸馬。
早い段階からステイヤーズS(芝3600m)4着や大逃げの阪神大賞典(芝3000m)5着などの実績もあったが、ムラっ気が強く信用できない馬だった。
2000年10月の南武特別(芝2400m)を9馬身差の好タイムで圧勝すると11月のドンカスターS(芝3000m)を挟んで12月のステイヤーズS(芝3600m)で上がり最速の「逃げて差す」競馬で重賞初制覇。
その後は有馬記念で100馬身差の大逃げを宣言しておいて出遅れたり、騸馬であるため天皇賞(春)に出られず競馬ファンから騸馬への春天開放を求める声があがったり、目黒記念で出遅れて2chに「レース中だが立てる!ヨシトミ氏ね!」のスレを立てられながらコースレコードで差しきり勝ちをおさめたり、2002年のステイヤーズSで後の春天馬イングランディーレらを下して岡部幸雄に最後の重賞勝利をプレゼントしたりなどした。ドバイシーマクラシックに遠征したりオーストラリアのタイザノット陣営からメルボルンカップに招待(調整遅れのため出走断念)されたりなど海外競馬とも縁があった。
引退後はノーザンホースパークで乗馬となったが、2005年に持病の繋靱帯炎が悪化して12月19日に早すぎる死を迎えた。
三羽烏では最高の実績馬で、獲得賞金3億9338万8000円は抽籤馬としての獲得賞金最高記録。
お腹が白いので「ブースカ」の愛称で呼ばれていたという。
タガジョーノーブルが高速の逃げ馬として覚醒した一戦。
セイウンスカイが菊花賞を逃げ切って記録した3:03.2のレコードタイムが、条件戦を勝ち上がってきたばかりの逃げ馬2頭によって更新されてしまった。
とはいえ、この日はエリザベス女王杯の開催日で、東京ではブロードアピールがエイシンサンルイスを豪快に差しきった根岸Sの日でもあったので、さすがに初版作成者も記憶に残っていない。
賞金計算方法の改定によりジャパンカップを除外された菊花賞馬ナリタトップロードが出走してきて注目を集めた一戦。
圧倒的一番人気を背負ったナリタトップロードがタガジョーノーブル、メジロロンザン、ホットシークレット、サンエムエックスら4頭の大逃げに動じることなく慎重にレースを進め、慎重に慎重にレースを運びすぎたせいで逃げた三羽烏をとらえきれずに4着に敗退した。
極端な展開と馬連万馬券、ナリタトップロードと渡辺薫彦のキャラ人気、あんまりな実況に辛辣な解説などの諸要因が重なり、2chの競馬板が祭りとなった。競馬板にはレース後の15分で約200のスレッドが乱立し、一説に20万件ともいわれる大量のコメントが投稿され、アクセス過多によって2chが鯖落ちした。
度重なる敗戦でナリタトップロードの背を降りることになった渡辺薫彦が、代打・的場均の引退により再びナリタトップロードの背に戻ってきた一戦。
これまでの鬱憤を晴らすかのようなナリタトップロードの世界レコード8馬身差圧勝にファンは大喜び。これ以降の何年かは阪神大賞典の時期になるとナリタトップロード世界レコードのAAが貼られるのが常だったのだが、探したけれど当時のAAは見つからなかった。
圧倒的1番人気を背負ったステイヤーズSで逃げた三羽烏を捕らえ損ね、さすがに沖調教師もオーナーから庇いきれなくなったのか主戦騎手・渡辺薫彦がナリタトップロードの背を降りることになった。
しかし翌年の阪神大賞典では三羽烏がレースを引っ張ったおかけで世界レコードを記録することができたわけで、1発やられて1発やりかえした「おあいこ」といったところだろうか?
菊花賞で記録したレコードが三羽烏の2頭に抜かれてしまった。さらにはキングヘイロー騎乗時代に何度も強さを見せつけていたはずの福永祐一からも「セイウンスカイは途中で息を入れなければならない馬。逃げあったらタガジョーノーブルのが強い」とまで侮られる始末。
これに奮起したのかタガジョーノーブルとの対戦となった天皇賞(春)では一年半の休養明けにもかかわらず生涯最速ラップの逃げを見せるが、要所要所でタガジョーノーブルにガンガンあおられ息を入れさせてもらえず、途中でサンエムエックスにも捕まり力尽きて16秒差の記録的大敗を喫することになった。
三羽烏のうちホットシークレットとは未対戦。
<主な持ち時計>
東京・障3300m 3:38.3R
東京・障3000m 3:17.7R
戦後最強の長距離世代と言われた世代の菊花賞5着馬。
重賞タイトル2つと3000m級のコースレコードも2つ持っている(どちらも障害競走だが)し、伝説となったステイヤーズSや阪神大賞典でも三羽烏と一緒に逃げていた。……はずなのだが、3頭とセットで語られることは少なく、三羽烏の印象が強すぎて忘れられがちである。
ステイヤーズSのはあった。
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最終更新:2024/11/08(金) 00:00
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