セルヒオ・アグエロ(Sergio Leonel Agüero del Castillo, 1988年6月2日 - )とは、アルゼンチンの元サッカー選手である。元サッカーアルゼンチン代表。
ポジションはFW。173cm73kg。利き足は右足。愛称は「クン」。
アルゼンチンのブエノスアイレス州キルメス出身。父親はタクシー運転手で、七人兄弟の第二子として誕生。幼い頃から非凡な才能で注目を集め、9歳でACインデペンディエンテのユースチームに入団。
2003年7月23日にインデペンディエンテで弱冠15歳にしてプロデビューを果たす。15歳と35日でのトップチームデビューはディエゴ・マラドーナの持つプリメーラ・ディビジオンの最年少出場記録を塗り替えるものだった。
2004年頃から出場機会を増やし、2004-05前期リーグではプロ初ゴールを記録するなど7試合に出場し2得点を記録。後期リーグでは5試合で3ゴールを記録する。
2005-06シーズンになると、チームの主力として定着。18歳ながらも前期リーグ、後期リーグ共に9ゴールを記録し、インデペンディエンテのエースとしての地位を確立させる。この活躍によって世界各国からも神童として注目を集めるようになり、リオネル・メッシと共にアルゼンチンの次世代のエース候補と呼ばれるようになり、「マラドーナの後継者」という呼び声も出るようになる。リーグ戦で36試合18得点を挙げる活躍を見せたアグエロに対し、当然欧州のビッグクラブから引く手あまたとなり、活躍の場を欧州に移すこととなる。なお、現在でもインデペンディエンテに対する愛着をたびたび口にしており、アグエロにとっては心のクラブであることがうかがえる。
多くの強豪クラブから獲得オファーが届く中、2006年にスペイン・リーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードへ移籍。移籍金は当時のクラブ史上最高額である2000万ユーロであり、多額の負債を抱えていたインデペンディエンテの借金返済に役立っている。移籍当時18歳であったが、背番号10を背負い、大きな期待が寄せられた。加入1年目はフェルナンド・トーレスと2トップでコンビを組んだが、クラブはパッとせず7位でフィニッシュ。アグエロ自身38試合6ゴールとサポートに恵まれない中でもポテンシャルの高さを見せている。
2年目となった2007-08シーズンには、リヴァプールへ移籍したフェルナンド・トーレスの後釜として加入したディエゴ・フォルランとコンビを組むと、これがフィット。シーズン序盤からゴールを量産し、トーレスに代わるクラブのアイドルとしての地位を確立していく。フォルランとの2トップは2人合わせて35得点をあげるほどリーガの中で脅威となり、19得点を記録する大活躍を見せ、大きくブレイクしたシーズンとなり、2007年のFIFA世界最有望選手賞を受賞。さらに、長らく低迷していたチームを12年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に導くことになる。
2008-09シーズンは初めてCLの舞台に立ち、デビュー戦となったグループステージ第1節のPSVアイントホーフェン戦で2ゴールを奪う。結局ラウンド16で敗れ、ハビエル・アギーレ監督がシーズン途中で解任される不安定なシーズンとなったが、フォルランとの2トップはこの年も機能する。相棒のフォルランが32ゴールを奪う大活躍で得点王になった陰に隠れた印象もあるが、アグエロも17ゴールを記録。2シーズン連続でのCL出場権獲得に貢献している。
2009-10シーズンは開幕序盤からのチームの低迷に呼応するかのように調子を落とし、物足りないシーズンとなる。リーガでのゴール数は12にとどまり、二桁ゴールは記録したが移籍後最低の出来となった。それでも、公式戦54試合に出場し、2010年5月12日のUEFAヨーロッパリーグ決勝のフラム戦ではフォルランの2ゴールをアシストし、クラブの14年ぶりのタイトル獲得に貢献。自身にとってもキャリアで初のクラブでのビッグタイトル獲得となった。
2010-11シーズンは、2010年8月27日のUEFAスーパーカップ、インテル・ミラノ戦で1ゴール1アシストの活躍を見せ好スタートを切る。しかし、シーズン前半はまたしてもチームの不調に足を引っ張られる形でゴール数は伸び悩み、批判も集まるようになる。だが、シーズンが進むになるにつれて調子が上向きになり、終盤の8試合全てでゴールを決める大活躍を見せる。リーガ最終節となったマジョルカ戦ではキャリア初となるハットトリックを達成。結果、リーガ・エスパニョーラでの自己最多となる20得点を挙げた。リーガ終了から3日後、自身のサイトで退団希望を発表する。一方的な退団発表にクラブは当初売却に応じない方針だったが、最終的に巨額の移籍金を得ることで移籍が成立することになる。だが、このやり取りは後味の悪さを残し、現在でもアグエロに批判的なアトレティコ・サポーターは多い。
2011年7月28日にイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティFCへ移籍。背番号は「16」。移籍金は推定4500万ユーロ。デビュー戦となったスウォンジー・シティ戦で途中出場ながら2ゴール1アシストという鮮烈なデビューを飾ると、加入1年目の2011-12シーズンから巨額の移籍金に見合った大車輪の活躍を見せ、マンチェスター・シティの44年ぶりとなるリーグ制覇に大きく貢献。中でも優勝がかかった最終節のQPR戦、逆転しなければ因縁のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドに優勝を持っていかれるという場面で、後半48分に2-2の均衡を破りねじ込んだ逆転ゴールは非常に有名である。当初はフィジカルコンタクトの激しいイングランドで活躍できるか疑問の声もあったが、結果的に加入1年目にして得点ランク3位の23ゴールという結果を残し、世界的な強豪チームへとステップアップしていくシティの象徴的な存在として君臨することになる。
2012-13シーズンは、前年の活躍もあってマークが厳しくなり、思ったような活躍ができなくなる。CLでも1勝もできないままグループステージで敗退。最終的にゴール数は12ゴールと前年を大きく下回り、チームも無冠に終わるなど、不本意なシーズンとなってしまった。
2013-14シーズンは筋肉系の負傷に苦しむことになり、欠場が多くなる。2013年12月からは1か月の離脱を経験するが、復帰戦となった2014年1月のFAカップでは投入されたファーストタッチでゴールを決めてみせる。このシーズンのリーグ戦の出場試合数は23試合とシーズンの半分近くを欠場することとなったが、ゴール数は最終的に17ゴールと驚異的な決定率を発揮。コンディションの上がってきたシーズン終盤では重要な試合で結果を残し、自身2度目となるプレミアリーグ優勝並びにEFLカップ優勝の二冠獲得に貢献する。だが、このシーズンを境に毎年筋肉系のトラブルに苦しむようになる。
クラブとの契約を2019年まで延長した2014-15シーズンは、開幕から順調にゴールを重ねていく。2014年11月18日のプレミアリーグ第18節トッテナム・ホットスパー戦では4ゴールを決める。この年も冬に怪我で離脱した時期があったものの、シーズンが終盤になるにつれて調子が上向きとなり、不調に陥っていたチームの中で孤軍奮闘を見せる。この頃のシティは、アグエロやダビド・シルバ、ヤヤ・トゥーレの個人の力に依存した側面が強く、守備のリスク管理が疎かになっていた。最終的に2位でフィニッシュできたのも、最終盤でのアグエロの好調さが大きかった。自身はキャリハイを更新する26ゴールを記録し、初のプレミアリーグ得点王の座を手にする。
2015-16シーズンからは背番号を「10」に変更。2015年10月3日のプレミアリーグ第8節ニューカッスル戦では20分間で5ゴールを決める大活躍を見せる。1試合5ゴールはプレミアリーグ史上でも5人目という快挙であった。だが、このシーズンでもハムストリングの負傷によって離脱し、開幕時は好調だったチームも下降線を辿り、早々と優勝争いから脱落する。それでも、2016年4月16日のチェルシー戦でハットトリックを達成するなど奮闘し、4月19日のニューカッスル戦ではプレミアリーグ通算100ゴールを達成する。過渡期にあったチームの中で最終的にリーグ戦24ゴールを決めている。
名将ジョセップ・グアルディオラが監督に就任した2016-17シーズンは、開幕戦のサンダーランド戦でゴールを決めたものの、グアルディオラの戦術への適用に苦しみ、新加入のガブリエル・ジェズスにポジションを奪われ、ベンチに座る試合が増えていた。しかし、ジェズスが負傷で離脱したシーズン後半戦にスタメンの座を取り返すと、相変わらずの決定力の高さを見せ、最終的には3シーズン連続でシーズン20ゴールの大台を超えてみせる。また、CLでは8試合に出場して8ゴールを決めているが、チームはラウンド16でASモナコ相手によもやの敗戦を喫している。
2017-18シーズン、プレミアリーグ第4節のリヴァプールFC戦で先制ゴールを決め、プレミアリーグでの通算ゴール数を124に伸ばし、ドワイト・ヨークが保持していたEU圏外選手のプレミアリーグ最多得点記録を塗り替える。また、2017年11月1日のCLグループステージ第4節ナポリ戦では、クラブの通算最多得点記録を更新する。この年もガブリエル・ジェズスとのローテーションが採用されたものの、決定力の高さがグアルディオラ監督からの信頼を集め、大事な試合では優先的にスタメンで起用されていた。後半戦に怪我で欠場した時期があったが、チームのエースとしての仕事を全う。4年連続20ゴール超えとなる21ゴールを記録し、4シーズンぶりのリーグ優勝に貢献。また、2018年3月25日のEFLカップ決勝アーセナル戦では先制ゴールを決め、優勝に貢献している。
2018-19シーズンでは、開幕直前のコミュニティ・シールド、チェルシー戦で2ゴールを決め、シティでの通算ゴール数が200に到達する。このシーズンでは、第2節のハダーズフィールド戦でハットトリックを達成すると、第25節のアーセナル戦、第26節のチェルシー戦と2試合連続でのハットトリックを決める。これによってプレミアリーグでハットトリックを決めた回数が11回となり、アラン・シアラーと並んで歴代トップの回数になる。この頃には、中盤まで下がってゲームメイクに参加するゼロトップ的な動きも見せるようになり、チームトップの21ゴールを決めると共にアシスト数が自身最多タイの8と増えていた。チームはリヴァプールとの歴史に残るハイレベルな優勝争いを演じたが、逃げ切りでリーグ連覇を飾っている。
2019-20シーズンは、プレミアリーグ第4節ボーンマス戦で2ゴールを決め、キャリア通算400ゴールを達成。31歳となり、怪我で離脱することも多くなるが、コンディションが整えばゴールを量産してみせる。2020年1月12日のアストン・ヴィラ戦では通算12回目のハットトリックを達成し、プレミアリーグでの歴代トップの回数となる。欠場が増えたことで連続での20ゴール超えは途絶えることになったが、24試合で16ゴールを決め、ストライカーとしての結果は残す。
2020-21シーズンはこれまで以上に怪我に悩まされてコンディションが上がらず、出場機会も激減。プレー可能になった時期もベンチに座る時間のほうが長くなっていた。2021年3月13日のプレミアリーグ第28節フラム戦でようやくシーズン初ゴールが生まれる。そして、3月30日にシーズン終了後の退団が発表される。本拠地エティハドでの最後の試合となった5月24日のプレミアリーグ最終節エヴァートン戦では途中出場から2ゴールの活躍を見せ、グアルディオラ監督から「まるでおとぎ話のようだ」と称賛される。
2021年5月31日、スペイン、ラ・リーガのFCバルセロナと2年契約を交わしたことが発表され、念願だった親友リオネル・メッシと同じチームでプレーすることが実現する。しかし、そのメッシがバルセロナの財政的な事情によってチームを去るまさかの事態となり、自身も開幕前に負傷して大きく出遅れるという最悪の船出となってしまう。10月17日、ラ・リーガ第9節バレンシア戦で終盤に出場し、ようやく新天地でのデビューを飾る。10月24日のラ・リーガ第10節レアル・マドリードとのエル・クラシコで移籍後初ゴールを記録。しかし、第12節のアラベス戦で胸部の痛みを訴え前半で交代となると、心臓の不整脈が見つかり診断の結果3か月の戦線離脱が発表される。
12月15日、現役続行は不可能と医師から宣告を受け、現役引退を発表する。
U-17の頃から年代別の代表に選出されており、2005年にはU-20代表としてオランダで開催された2005 FIFAワールドユース選手権に出場。リオネル・メッシがエースとして君臨するチームにあって当時まだ16歳の飛び級での選出ということもあって控えに回ることが多く、ゴールを決めることはできなかったが、7月2日のナイジェリアとの決勝では途中出場で決勝ゴールとなるPKを獲得している。
2007年には、カナダで開催された2007 FIFA U-20ワールドカップに出場。2大会連続での出場となったが、このU-20代表ではチームの絶対的なエースとなっていた。グループリーグ第3戦の北朝鮮戦ではFKからゴールを決め、決勝のチェコ戦でも同点ゴールを決めるなど、6ゴール4アシストの活躍によってエースとしてアルゼンチンを連覇に導く。この活躍が評価され、大会得点王と最優秀選手賞のW受賞を果たす。さらに、この年FIFA最優秀有望選手賞とゴールデンボーイ賞を受賞。
2008年8月にはU-23代表として北京オリンピックに出場。このチームはメッシ、アンヘル・ディ・マリアに加え、オーバーエイジで選出されたフアン・ロマン・リケルメが名を連ねるA代表顔負けの豪華な攻撃陣が揃っていた。準決勝のブラジル戦では、2得点の活躍を見せる。アルゼンチンは、この大会で2大会連続となる金メダルを獲得し、アグエロはユース年代で出場した国際大会3つで全て優勝を経験している。
2006年9月3日のブラジルとの親善試合において、18歳3か月でアルゼンチン代表にデビュー。2007年に開催されたコパ・アメリカ2007のメンバーにも選出されるが、カルロス・テベスやメッシといったタレント揃いの攻撃陣にあって出番は限られていた。11月17日の南アフリカW杯南米予選第3節ボリビア戦で代表初ゴールを記録。ここでもFWのポジション争いがし烈になっていたが、予選通算4ゴールを決めている。
2010年6月には義理の父親であるディエゴ・マラドーナが監督を務めるアルゼンチン代表のメンバーとして2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ大会に出場。グループリーグ第2戦の韓国戦でW杯初出場を果たすが、メッシ、テベス、ゴンサロ・イグアインとのポジション争いに敗れて控えに回ることとなり、ベスト16までの5試合で3試合に出場し、スタメンで起用されたのはギリシャ戦のみという結果に終わる。
2011年7月には自国開催となったコパ・アメリカ2011に出場。重圧のかかった開幕戦のボリビア戦では1点ビハインドを背負った状況で途中出場し、値千金の同点ゴールを決めている。2試合連続で迎えた第3戦のコスタリカ戦でスタメンに起用されると、2ゴールの活躍によって大会初勝利とグループリーグ突破をもたらす。だがこの試合がアルゼンチンの唯一の勝利となり、準々決勝でのウルグアイ戦では後半途中にテベスと交代を命じられ、チームもPK戦の末に敗れてしまう。
代表の顔ぶれが北京オリンピック優勝メンバーが中心となっていく中、2011年から2013年の間におこなわれたブラジルW杯南米予選では通算5ゴールを決め、首位通過に貢献する。
2014年6月には、2014 FIFAワールドカップ ブラジル大会に出場。今回は開幕からスタメンで起用されるが、メッシを攻撃の中心としたチームの中で結果を出せず、グループリーグ第3戦のナイジェリア戦では負傷によって前半で交代となる。その後戦列には復帰したものの、守備的なスタイルへと舵を切りながら勝ち進むようになったこともあり、エキセエル・ラベッシにポジションを奪われてしまう。決勝のドイツ戦では後半から出場し攻撃陣を活性化させるが、不発に終わり、延長戦でドイツに敗れて準優勝に終わり、自身も二大会連続でノーゴールに終わっている。
2015年6月、チリで開催されたコパ・アメリカ2015に出場。直前のボリビアとのテストマッチでは代表では初となるハットトリックを達成しており、その勢いのまま大会に入り、初戦のパラグアイ戦、第2戦のウルグアイ戦と2試合連続でゴールを決めている。さらにチームが大量6ゴールを奪って圧勝した準決勝のパラグアイ戦でも大会3ゴール目を決めている。しかし、決勝のチリ戦では後半30分にイグアインと交代となり、アルゼンチンはブラジルW杯に続いて準優勝に終わっている。もっとも2015年の代表戦では10試合10得点という代表キャリアの中ではもっとも結果を残した時期になっている。
翌年2016年6月のコパ・アメリカ・センテリオでは控えに回されたこともあり、1ゴールのみとなる。大会後、メッシが代表引退を示唆したことで追随する形で代表を去るという話が流れるが、8月からの南米予選でメッシが引退を撤回したことでアグエロもメンバーに入る。もっとも、この南米予選では怪我もあって欠場も多く、8試合でノーゴールに終わっている。
2018年6月、2018 FIFAワールドカップ ロシア大会に出場。初戦のアイスランド戦でチームのファーストゴールを決め、三度目の出場にしてようやくワールドカップ初ゴールが生まれる。しかし、続くクロアチア戦で精彩を欠いたこともあり、第3戦からはスタメンをまたしてもイグアインに奪われる。さらに、このときにホルヘ・サンパオリ監督との確執が伝えられ、選手と監督の信頼関係が破綻したチームは空中分解し始めていた。ラウンド16のフランス戦では途中出場し、試合終了間際にゴールを決めるが一歩及ばず、チームは4-3で敗れている。
2019年6月、ブラジル開催となったコパ・アメリカ2019に出場。フル代表での国際試合では初めて背番号9を背負っての出場となる。若いラウタロ・マルティネスが台頭した中でもスタメンとして起用され、グループステージ第3節のカタール戦と3位決定戦のチリ戦で決勝ゴールを決める。
2021年6月のコパ・アメリカ2021では、優勝メンバーとなったものの、出場機会が少なく結果を残すことはできなかった。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会には大会アンバサダーとして参加。大会中はアルゼンチン代表に台頭し、キャンプ地を回るなどサポート役を引き受けた。12月18日に行われた決勝では母国の優勝をスタンドから見届け、試合終了後は現役時代の代表のユニフォームを着てピッチに姿を見せ、代表時代には叶わなかったトロフィーを掲げるなどかつてのチームメイトたちと喜びを分かち合った。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2002-03 | ![]() |
インデペンディエンテ | プリメーラ・ディビジオン | 1 | 0 |
2003-04 | ![]() |
インデペンディエンテ | プリメーラ・ディビジオン | 5 | 0 |
2004-05 | ![]() |
インデペンディエンテ | プリメーラ・ディビジオン | 12 | 5 |
2005-06 | ![]() |
インデペンディエンテ | プリメーラ・ディビジオン | 36 | 18 |
2006-07 | ![]() |
アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 38 | 6 |
2007-08 | ![]() |
アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 37 | 19 |
2008-09 | ![]() |
アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 37 | 17 |
2009-10 | ![]() |
アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 31 | 12 |
2010-11 | ![]() |
アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 32 | 20 |
2011-12 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 34 | 23 |
2012-13 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 30 | 12 |
2013-14 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 23 | 17 |
2014-15 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 33 | 26 |
2015-16 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 30 | 24 |
2016-17 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 31 | 20 |
2017-18 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 25 | 21 |
2018-19 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 33 | 21 |
2019-20 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 24 | 16 |
2020-21 | ![]() |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 12 | 4 |
2021-22 | ![]() |
バルセロナ | ラ・リーガ | 4 | 1 |
南米出身のストライカーらしく相手DFとの駆け引きがうまく、一瞬でマークを外して裏のスペースへタイミングよく抜け出すのが得意。小柄だが体幹に優れており、フィジカルバランスに長けているため競り合いに強く、難しい体勢からもゴールを決めることができる。馬力のあるドリブルからゴールまで持ち込むことができる。
左右両脚から精度の高いシュートを放つことができ、パワーもある。身長は低いが、ヘディングで合わせる技術とポジショニングセンスの高さもあってヘディングでのゴールも多い。ゴールから遠い位置からのミドルシュートも得意なため、バリエーションが豊富。足元の技術も高いため、味方とのワンツーを駆使してゴール前に抜け出す動きも得意。
基本的にはゲームメイクには参加しないタイプだが、マンツーマンや、攻撃的プレッシングが激しくアタッキングサードで数的優位が作れない場合には中盤をサポートする形でゲームメイクに参加する。
オフ・ザ・ボール時の準備をしっかりしているタイプで、常に空いているプレーを認知し、ポジションを移動させる。これを連続して繰り返して味方からのパスを引き出す。守備側の動きを読む力にも長けているため、相手の動きの逆を取ってマークを外すことができる。
掲示板
提供: すずくろ
提供: ディオス
提供: 弦巻こころ
提供: ゆんなの
提供: ゲスト
急上昇ワード改
最終更新:2025/04/11(金) 23:00
最終更新:2025/04/11(金) 23:00
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