「第52873回!ビートたけしのお笑いウルトラクイズ~!!」
(注:当然そんな回数までやっていない)
ビートたけしのお笑いウルトラクイズとは、1989年~1996年に日本テレビ系で19回に渡り放送されたクイズ番組形式の偉大なるお笑い芸人リアクション大会である。
冠にあるように、ビートたけしがメイン司会を務める特別番組。
当初はお正月の特別番組としてスタートしたが、好評につき最盛期には春と秋の番組改編期にも放送され、年3回のお楽しみとして視聴者に親しまれた。
関東芸人を中心に、様々なジャンルの奇妙な出演者たちが、過激なクイズで命を削りながらその様を笑いに昇華させ競う。
クイズに正解すれば優勝に近付くというわけではなく、クイズでいかにボケ回答をするか、いかに面白いリアクションを取るかが優勝への鍵となっている。
主にたけしの独断で決まった優勝者には栄光の「唐草模様のジャケット」(第6回以降)が進呈され、さらに優勝セレモニーという名を借りた酷い目に遭わされ笑いを誘うのがお約束であった。
大荒れの天気の中、窓を取り払った廃車バスに乗り込んだ芸人が大時化の海に沈められた、番組史上最も過激で最も危険だった伝説の企画「バス吊り下げアップダウンクイズ」、不自然に縫い合わされた貧相な衣装が逆バンジージャンプで飛ぶと見事に破れて全裸になる「人間ロケットクイズ」、出演者がサウナや冷凍車の中に長時間閉じ込められた上でうまいダジャレを言って脱出を図る「ダジャレクイズ」、特定の出演者にドッキリを仕掛けそのリアクションを観察する「人間性クイズ」など、数々の伝説の企画が生まれた。
この番組から、まだ無名だったダチョウ倶楽部や出川哲朗が頭角を現し大ブレイクした。
また、すでにベテラン芸人であったポール牧も「指パッチン」で再ブレイクを果たし人気者となった。
松村邦洋の名物ギャグ「バウバウ!」やダチョウ倶楽部の代名詞「聞いてないよぉ!」などもこの番組の中で突発的に生れ流行語となった。
2007年の正月にも現在の主だった若手芸人を集めて復活版を放送している。
「ウルトラクイズ」の名前通り、かつて同じ日本テレビ系で放送された大規模クイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」(1977年~1992年)のフォーマットを借りたお笑い番組である。
(ちなみに、過去にも既存の番組のお笑い版番組として、アイドルオーディション番組「スター誕生!」のお笑い版新人芸人オーディション番組・「お笑いスター誕生!」があった)
一部のスタッフや出演者の系譜としては「ウルトラクイズ」よりも「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の発展版ととらえることもできるが、制作を担当した番組制作会社が異なるなど、いくつかの相違点が見られる。
両番組は日本テレビ側のスタッフこそ同じチームが担当していたものの、制作プロダクション側の制作チームは「元気が出るテレビ」はIVSテレビ制作、「お笑いウルトラクイズ」はTHE WORKS(渡辺プロダクション系の番組制作会社)がそれぞれ担当していたため、タッグを組んだ相手が異なるという事情がある。
ゆえに、元気が出るテレビとお笑いウルトラクイズは姉妹番組には当たらない(制作会社の系譜から見ると「お笑いウルトラクイズ」は「電波少年」シリーズや「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」など、スタッフの系譜から見ると「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」に近い)。なお、後年放送された「ビートたけしの今まで見たことないテレビ」がTHE WORKS制作であり、当番組の後継番組に当たる。
また、当番組もテリー伊藤が総合演出していたと勘違いされがちであるが、総合演出を担当していたのは財津功(日本テレビ所属で、財津一郎の息子)である。テリー伊藤はプロデューサー(企画構成、復刻版は企画監修)として当番組に参加してはいたが、演出には関与していなかった。
開催年 | 回 | 優勝者 | 備考 |
1989年 | 第1回 | 林家ペー | この回は前半パートのみクイズが行われ、優勝した林家ペーには後半パートへの参加権が送られた。 |
1990年 | 第2回 | ジミー大西 | |
第3回 | 桜金造 | ||
第4回 | ガダルカナルタカ | ||
1991年 | 第5回 | ラッシャー板前 | |
第6回 | 井手らっきょ | 優勝賞品に初めて唐草模様のジャケットが登場。 | |
第7回 | 上島竜兵(ダチョウ倶楽部) | ||
1992年 | 第8回 | ラッシャー板前 | |
第9回 | 中村ゆうじ、松村邦洋 | ||
第10回 | ダンカン | ||
1993年 | 第11回 | ダチョウ倶楽部 | |
第12回 | 井手らっきょ | ||
第13回 | 出川哲朗 | ||
1994年 | 第14回 | (最終問題正解者なしのため該当者なし) | |
第15回 | (最終問題正解者なしのため該当者なし) | この回は「グランドチャンピオン大会」と称して、歴代のチャンピオンが過去の映像を振り返りつつ個別に表彰されるという内容で放送。この回はロケ収録が一切無く、全編がスタジオ収録となった。 | |
第16回 | (総集編のため該当者なし) | 1994年8月にビートたけしがバイク事故を起こして長期休業したため番組収録ができず、急遽バイク事故前に収録していた総集編を放送することとなった。 | |
1995年 | 第17回 | 広川ひかる(上島竜兵夫人) | |
1996年 | 第18回 | 上島竜兵(ダチョウ倶楽部) | |
第19回 | 井手らっきょ | この回をもって実質的に番組が終了する。 | |
2007年 | 第20回 | カンニング竹山、日村勇紀(バナナマン) | 11年ぶりに復活。 |
優勝者には副賞として100万円以上の賞金と海外旅行、第6回以降は唐草ジャケットが贈られる。しかしスタジオでのエンディングで「真の優勝決定戦」という名のゲームに参加させられ、ドタバタのまま終わるのがお約束であった。
Suzi Quatroの「The Wild One」という曲が一貫して使われた。
この曲が流れだした頃には、大抵gdgdの芸人達の笑える醜い争いをバックにたけしが締めるのがお約束となっていた。
掲示板
20 ななしのよっしん
2021/04/10(土) 01:44:11 ID: xqV7xKFN7O
>>7
実はその問題、本家のウルトラクイズで優勝が決まった問題なんだよな…
21 ななしのよっしん
2021/11/09(火) 12:10:53 ID: Q9l71ULtIO
>>12
イヨマンテの夜は94年
番組終了は96年
なんで嘘つくの?
22 ななしのよっしん
2022/05/29(日) 10:55:34 ID: 0bsbIZ2LWh
ソナチネでヤクザをバカにした人物をハーネスつけて川に沈めて短い時間では死ななかったので次は念入りに沈めて殺すというシーンがある
この番組の経験をもとにしてこのシーンを撮ったのかと思うと笑える
提供: WT
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最終更新:2025/04/23(水) 00:00
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