フェルディナント・フォン・ツェッペリン(Ferdinand Adolf Heinrich August Graf von Zeppelin)とは、ドイツ軍人にして硬式飛行船の開発者である。
軍隊での最終階級は中将。爵位は伯爵。彼にちなむ飛行船や軍艦につけられる「グラーフ・ツェッペリン」とは、『ツェッペリン伯爵』という意味である。
また、彼の業績にちなみ複数の言語で「ツェッペリン」と言えば硬式飛行船のことを指すようになった。
軍人の頃に艦戦武官として参戦したアメリカ南北戦争で気球の素晴らしさに目覚め、52歳で軍隊を引退すると飛行船の開発に没頭し、硬式飛行船の開発に成功した。
以降も普墺戦争、普仏戦争などに参戦。参謀や騎兵隊指揮官などを務め、1885年から1889年まではヴュルテンベルク王国の公使としてベルリンに赴任した。
自ら望んでのことではなかったようだ。最終階級は中将。しかし、これで時間ができたため彼は以前からアイデアを温めていた飛行船の研究に着手した。
初期の飛行船は人々を興奮させたものの、求められていた性能を満たせず、修理と改造を繰り返した。しかし、最終的にLZ1は解体、会社も解散となってしまう。
それでもツェッペリン伯爵は諦めなかった。人々からは嘲笑されたが、宝くじを発行したり、財界の支援を得るなどして資金を集め、飛行船を作り続ける。
1906年にはLZ2、LZ3を完成させ、LZ2は2度の飛行実験で失われたが、LZ3は何度も飛行に成功し、人々に飛行船の時代の到来を知らせた。
これで世間からツェッペリン伯爵に向けられるのは嘲りから賞賛へと変わり、この後のLZ4の事故の際にはドイツ国民から飛行船修理のための大量の義捐金が送られるほどになった。
LZ3はドイツ軍に引き取られ、軍用飛行船となる。
その後、新しく作られた飛行船製造および航空輸送を目的とするツェッペリン社の事業は軌道に乗り、『ツェッペリン』は飛行船を意味する普通名詞となっていく。
1917年にツェッペリン伯爵はこの世を去ったが、1928年に製造された飛行船LZ127には「グラーフ・ツェッペリン」の愛称が付けられた。このグラーフ・ツェッペリンは地球一周、太平洋無着陸横断、北極への飛行、など大成功を収めた。日本にも寄港している。
こうしてわずかな期間で空の王者となった飛行船はヒンデンブルグ号の悲劇の時まで航空輸送の花形であり続けるのである。
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最終更新:2024/12/26(木) 22:00
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