ブーマー・ウェルズ(Boomer Wells、1954年4月25日~)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手であり、日本プロ野球において初めて外国人選手として三冠王を獲得した選手である。
OB | |
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ブーマー・ウェルズ Boomer Wells |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アラバマ州 |
生年月日 | 1954年4月25日 |
身長 体重 |
200cm 100kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 一塁手 |
プロ入り | 1976年 |
引退 | 1992年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
元々は野球だけでなくフットボールもプレイしており、大学卒業時にはNFLのテストも受けたが結果は不合格だった。
そこから一時教師となったが、結局大リーグのマイナーチームと契約、しかしメジャーでは結果を残せなかったため、1983年に阪急ブレーブスに入団。
MLBでの登録名は「グレッグ・ウェルズ」だったのだが、同チームには「バンプ・ウィルス」という選手がいたため、球団から「ウェルズ?ウィルス?ええい、ややこしいわ!今日から君は"ブームを呼ぶ男"ブーマーだ!」ということで阪急での登録名は「ブーマー」となった。この記事内においても以降略称をブーマーとする。(ちなみにバンプ・ウィルスの登録名も「バンプ」となった。)
1983年(1年目)は練習で場外弾を連発し、公式戦で場外弾を放てば「ブーマーパン」というパンを観客にプレゼントするという企画も行われたが、この年の成績は打率.304、17本塁打62打点で場外弾は無しという成績に終わる。
1984年は1発狙いの打撃から本来の持ち味であるアベレージなスタイルを心掛けるようになり、結果ヒットの延長のような形で長打も増えていき、4番として阪急打線を牽引する。8月14日のロッテ戦では1打席目に死球を受けると、2打席に3ラン、3打席にソロホームラン、4打席には満塁で走者一掃のスリーベース、5打席目に押し出し死球を受けマウンドに突進して退場処分と色々と凄まじいことをやってのけ、9月22日には以前原辰徳が記録した20勝利打点を超える21勝利打点を記録、翌23日の近鉄戦では4点ビハインドの場面からブーマーのヒットをきっかけに逆転し、阪急は実に6年振りとなる優勝を達成した。
この優勝決定戦で4打数3安打で打撃三冠のトップにたったブーマーはシーズン終了まで三冠を維持し、最終的に打率.355、37本塁打130打点で外国人選手として初めて三冠王を獲得した。しかし日本シリーズではブーマーを警戒した広島投手陣に徹底的なマークを受け、打率.214、本塁打無しの2打点という成績に終わり、チームも日本一を逃した。
1986年は打率.350、42本塁打103打点と高打率を記録した他初めて40本塁打越えを達成したが、この年同リーグのロッテに所属する落合博満が打率360、50本塁打116打点というハイレベルな成績を残したためいずれのタイトルも獲得できなかったが、その落合が中日に移籍した87年は119打点で打点王を獲得。
1988年は故障で初めて規定打席に到達できなかったが、7月13日の西武戦ではエースの渡辺久信のフォークを捉えてかっ飛ばし、その打球は左翼席最上段を越え場外に消えた。この打球は球場の後方にある道路まで飛んで行ったところを通りすがりの学生によって発見され、距離を測った結果なんと162メートルを記録。これは、落下地点が分かっている本塁打としては日本最長飛距離である。
1989年はチーム名がオリックスに変わる。打率.322、40本塁打124打点の成績で首位打者と打点王を獲得するが、本塁打王は49本塁打を放ったラルフ・ブライアントに譲ったため2度目の三冠王達成は成らなかった。
ちなみにこの年の9月25日のダイエー戦にて本塁打を放ってホームに還ってきた門田博光とハイタッチをした際に門田の右腕を脱臼させたというエピソードがあり、本人も申し訳なく思っていた。
1992年は福岡ダイエーホークスに移籍し、97打点で打点王を獲得したが、年齢の問題もありこの年限りでチームを退団し、現役を引退した。
現在は代理人として活動しており、日本の球団にも外国人選手を紹介している。中でも、推薦し来日したナイジェル・ウィルソンは、1997年に日本ハムファイターズに入団するなり2年連続本塁打王となり活躍した。
非常に優しい人物でファンからのサインの求めにも快く応じ、サインには本名でないにも関わらずしっかりと「ブーマー」とカタカナで書いてくれる。
1986年に近鉄戦で小野和義から死球を受けるとマウンドに突進して退場処分となっているが、この時退場前に近鉄の捕手であった梨田昌孝に謝罪をしている。(この時マウンドに突進していく様子がCMに起用されている。ブーマーが慌てて薬局に駆け込みながら「パ、パ、パスタイムクダサ~イ!」と話す様子は必見。)
外国人選手としては珍しく阪急ブレーブスに強い愛着を示しており、球団名がオリックスになったときは監督であった土井正三と対立気味だったことも相まって「プレーしたくない」という本音が出たこともある。
ちなみに恐妻家であり、阪急時代の監督であった上田利治からは何度か食事をおごってもらっていたようで、のちに代理人に転身した時は上田が監督を務めていた日本ハムにナイジェル・ウィルソンなどを紹介するなどして恩を返している。野村克也といい落合博満といい何故パ・リーグの三冠王は恐妻家が多いのだろうか。
最大の武器は2メートルの巨体から繰り出されるパワーのほかに、その長い腕を生かした抜群のミートセンスがあり、外国人選手としては驚異的な打率と三振の少なさを誇っている。NPBにおける4000打数以上での通算打率.317は右打者としては最高の数字。
また守備でもゴールデングラブを2度受賞しているため、攻守にわたって活躍したと言える選手だった。
通算:12年 Total |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
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MLB:2年 | 47 | 135 | 127 | 12 | 29 | 6 | 2 | 0 | 8 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | 20 | 2 | .228 | .259 |
NPB:10年 | 1148 | 4915 | 4451 | 678 | 1413 | 210 | 8 | 277 | 901 | 18 | 0 | 50 | 389 | 25 | 333 | 167 | .317 | .372 |
タイトル | ||
---|---|---|
首位打者 | 2回 | 1984年、1989年 |
最多本塁打 | 1回 | 1984年 |
最多打点 | 4回 | 1984年-1986年、1989年 |
表彰 | ||
月間MVP | 2回 | 1984年8月、1989年4月 |
オールスターゲームMVP | 2回 | 1984年第2戦、1988年第1戦 |
ベストナイン | 4回 | 1984年、1986年、1987年、1989年 |
MVP | 1回 | 1984年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 5回 | 1984年-1986年、1988年、1989年 |
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最終更新:2024/12/27(金) 20:00
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