ブーマー・ウェルズ 単語

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ブーマーウェルズ

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ブーマー・ウェルズBoomer Wells、1954年4月25日)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手であり、日本プロ野球において初めて外国人選手として三冠王を獲得した選手である。

概要

元々は野球だけでなくフットボールプレイしており、大学卒業時にはNFLテストも受けたが結果は不合格だった。

そこから一時教師となったが、結局大リーグマイナーチーム契約、しかしメジャーでは結果を残せなかったため、1983年阪急ブレーブスに入団。

日本球界時代

MLBでの登録名は「グレッグ・ウェルズ」だったのだが、同チームには「バンプウィルス」という選手がいたため、球団から「ウェルズ?ウィルス?ええい、ややこしいわ!今日から君は"ブームを呼ぶ男"ブーマーだ!」ということで阪急での登録名は「ブーマー」となった。この記事内においても以降略称ブーマーとする。(ちなみにバンプウィルスの登録名も「バンプ」となった。)

1983年(1年)は練習で場外弾を連発し、公式戦で場外弾を放てば「ブーマーパン」というパンを観客にプレゼントするという企画も行われたが、この年の成績は打率.304、17本塁打62打点で場外弾はしという成績に終わる。

1984年は1発狙いの打撃から本来の持ち味であるアベレージなスタイルを心掛けるようになり、結果ヒットの延長のような形で長打も増えていき、4番として阪急打線を牽引する。8月14日ロッテ戦では1打席死球を受けると、2打席に3ラン、3打席ソロホームラン、4打席には満塁で走者一掃のスリーベース、5打席押し出し死球を受けマウンドに突進して退場処分と色々と凄まじいことをやってのけ、9月22日には以前原徳が記録した20勝利打点える21勝利打点記録、翌23日の近鉄戦では4点ビハインドの場面からブーマーヒットをきっかけに逆転し、阪急は実に6年振りとなる優勝を達成した。
この優勝決定戦で4打数3安打で打撃三冠トップにたったブーマーシーズン終了まで三冠を維持し、最終的に打率.355、37本塁打130打点外国人選手として初めて三冠王を獲得した。しかし日本シリーズではブーマーを警した広島投手底的なマークを受け、打率.214本塁打しの2打点という成績に終わり、チーム日本一を逃した。

1986年打率.350、42本塁打103打点と高打率記録した他初めて40本塁打越えを達成したが、この年同リーグロッテに所属する落合博満打率360、50本塁打116打点というハイレベルな成績を残したためいずれのタイトルも獲得できなかったが、その落合中日に移籍した87年は119打点打点王を獲得。

1988年は故障で初めて規定打席に到達できなかったが、7月13日西武戦ではエース渡辺久信フォークを捉えてかっ飛ばし、その打球は左翼最上段を越え場外に消えた。この打球は球場の後方にある道路まで飛んで行ったところを通りすがりの学生によって発見され、距離を測った結果なんと162メートル記録。これは、落下地点が分かっている本塁打としては日本最長飛距離である。

1989年チーム名がオリックスに変わる。打率.322、40本塁打124打点の成績で首位打者打点王を獲得するが、本塁打王は49本塁打を放ったラルフ・ブライアントに譲ったため2度三冠王達成は成らなかった。
ちなみにこの年の9月25日ダイエー戦にて本塁打を放ってホームに還ってきた門田博光ハイタッチをした際に門田の右腕を脱臼させたというエピソードがあり、本人も申し訳なく思っていた。

1992年福岡ダイエーホークスに移籍し、97打点打点王を獲得したが、年齢の問題もありこの年限りでチームを退団し、現役を引退した。

引退後

現在は代理人として活動しており、日本の球団にも外国人選手を紹介している。中でも、推薦し来日したナイジェル・ウィルソンは、1997年日本ハムファイターズに入団するなり2年連続本塁打王となり活躍した。

人物・プレースタイル

非常に優しい人物でファンからのサインめにも快く応じ、サインには本名でないにも関わらずしっかりと「ブーマー」とカタカナで書いてくれる。

1986年近鉄戦で小野和義から死球を受けるとマウンドに突進して退場処分となっているが、この時退場前に近鉄捕手であった梨田昌孝に謝罪をしている。(この時マウンドに突進していく様子がCMに起用されている。ブーマーが慌てて薬局に駆け込みながら「パ、パ、パスタムクダサイ!」と話す様子は必見。)

外国人選手としてはしく阪急ブレーブスに強い着を示しており、球団名がオリックスになったときは監督であった土井正三と対立気味だったことも相まって「プレーしたくない」という本音が出たこともある。
ちなみに恐妻家であり、阪急時代の監督であった上田利治からは何度か食事をおごってもらっていたようで、のちに代理人に転身した時は上田監督を務めていた日本ハムナイジェル・ウィルソンなどを紹介するなどして恩を返している。野村克也といい落合博満といい何故パ・リーグ三冠王恐妻家が多いのだろうか。

最大の武器は2メートルの巨体から繰り出されるパワーのほかに、その長い腕を生かした抜群のミートセンスがあり、外国人選手としては驚異的な打率三振の少なさを誇っている。NPBにおける4000打数以上での通算打率.317は右打者としては最高の数字

また守備でもゴールデングラブを2度受賞しているため、攻守にわたって活躍したと言える選手だった。 

成績

通算打撃成績

通算:12年
Total



G



PA



AB



R



H



2B



3B



HR



RBI



SB



SH



SF



BB



HB



SO



GDP



AVG



OBP
MLB:2年 47 135 127 12 29 6 2 0 8 0 0 2 6 0 20 2 .228 .259
NPB:10年 1148 4915 4451 678 1413 210 8 277 901 18 0 50 389 25 333 167 .317 .372

タイトル・表彰・その他

タイトル
首位打者 2回 1984年1989年
最多本塁打 1回 1984年
最多打点 4回 1984年-1986年1989年
MVP 2回 1984年8月1989年4月
オールスターゲームMVP 2回 1984年第2戦、1988年第1戦
ベストナイン 4回 1984年1986年1987年1989年
MVP 1回 1984年
その他
オールスターゲーム出場 5回 1984年-1986年1988年1989年

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