ミシェル・フランソワ・プラティニ(Michel François Platini, 1955年6月21日 - )とは、フランスのサッカー選手、サッカー指導者である。元サッカーフランス代表、元UEFAの会長。
1980年代を代表する攻撃的ミッドフィルダー。テクニック、得点能力に優れとくにフリーキックの名手として有名である。
イタリア人の父アルドが選手をしていたASナンシーでプロとしてのキャリアをスタート。その後サンテティエンヌを経て1982年からユヴェントスの一員となり1984/85、1986/87シーズンにセリエA優勝、1984/85シーズンにチャンピオンズカップで優勝した。1985年のインターコンチネンタルカップでのキャプテン翼的なボレーとオフサイドと判定されて取り消されたあとの芝生で寝転ぶ姿は有名である
1983/84シーズンから3年連続でセリエA得点王になり、バロンドールも3年連続で受賞した。
サッカーフランス代表には1976年に選出され、1978 FIFAワールドカップ、1982 FIFAワールドカップ、1986 FIFAワールドカップに出場。
とくに1982年、1986年大会ではアラン・ジレス、ルイス・フェルナンデス、ジャン・ティガナチームらと黄金の中盤を形成し両大会でベスト4入りを果たす。
またUEFA EURO 1984では5試合で9得点しチームを初優勝に導いた。
引退後、1988年からサッカーフランス代表監督を4年間務めた。1998年にはワールドカップフランス大会の大会組織委員長を務め、2007年からUEFAの会長となる。
クラブチームの外国籍選手の数を制限する6+5ルールの導入検討や、18歳以下の選手の外国クラブへの移籍禁止の検討など所謂青田買いに対する規制などに動いていた。
その後、FIFAの会長選に立候補し最有力候補とみられていたものの汚職事件への関与が浮上、2015年に8年間の活動禁止処分[1]を受け活動することができなくなり、2016年に退任することになってしまった[2]。
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最終更新:2024/12/21(土) 20:00
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