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上岡龍太郎 単語

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カミオカリュウタロウ

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上岡龍太郎(本名:小林龍太郎)とは、2000年まで活躍していた伝説芸人である。
芸人の他にも会者・講談師(堂南)・落語立川流門下生(立川右太衛門)の顔も持つ。
所属事務所デビュー当時は吉本興業で、その後独立(上プロモーション)。芸能引退後は事務所預かりとなっている。
長男映画監督小林太郎。甥(長男と次男)は漫才コンビのミキ。

略歴

1942年3月20日京都市出身。父親高知県出身の弁護士母親宮崎県出身の資産だった。
少年時代は香具師や芝居、歌舞伎映画に熱中。京都西高校現:京都外国語大学西高校)在学中はロカビリーに感化されていた。卒業後は京都バンドボーイジャズバンド会などを経験。

1959年に「子にしなさい!」と子入りを志願するも断られ、彼の紹介ロカビリーバンドに加入した。

1960年横山パンチ名前横山ノック横山フックとともに「漫画トリオ」を結成。
よく誤解されがちだが、上横山ノックスカウトされる形で漫画トリオに参加したので師関係ではい。(しかし、漫才師としての教育ノックから「相方」として受けている)
1968年横山ノックの政界進出と同時に活動を休止した。
その後、パンチ→上岡龍太郎に改名するも、ほとんど仕事い状態だったという。

1970年代に入ると、関西名古屋圏で少しずつではあるが仕事も増え、自ら営業活動をやった甲斐もあってか、「ノック用」「ラブアタック!」「の新婚・カンピューター作戦」などの会を務め、関西の一流芸能人仲間入りを果たした。
東京には行かない!」と語していた(ただし前述の「ラブアタック!」は関西発の全ネット番組だったため東京でも顔を見ることはできた)が、1985年に「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演、1988年10月にそれまで関西ローカル番組だった「鶴瓶上岡パペポTV」が日本テレビでも放送されると、東京の業界人にも徐々にその名が浸透し、関東でも本格的にがかかるようになり、次第に活躍の場を東京へ移していった。

1988年3月、「探偵!ナイトスクープ」放送開始。初代探偵局長としてしまれる。

2000年4月、「の芸は21世紀には通用しない」という言葉を残し、芸能生活40周年を機に芸能界を引退。以降、表舞台には顔を出すことは基本的にくなったが、2007年に逝去した横山ノックを送る会で献杯の言葉を述べるなど、極稀に古くからの友人や知人のイベント等に顔を出していた。

2023年5月19日がんと間質性炎のため81歳で死去。その訃報は同年6月2日に報じられ、その際に出された長男小林太郎コメントは以下の通り。

お世話になった方々にも突然お知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。

昨年頃、積極的治療の術がなく本人も延命をめていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開でも私もまだ気持ちが追いついていない状態です。

とにかく矛盾の塊のような人でした。と子なんてそんなものかもしれませんが、本心をい知ることは死ぬまでついにわなかったような気もします。

弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せ人生だったと思います。縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。

人物像

「知性で笑わせられる芸人」として評価が高いが、本人く、「は知的だといわれますが、適当なことばっかり言ってるんです。もっと知識のある人がを見て、『いやつじゃ』と嗤ってくれればいいんです」「しょうもないことはよく覚えてて、大事なところの知識がない。これをは『知識のドーナツ現象』と名付けてます」。

大阪芸人によくある「コテコテ感」が全くなく異を放っていたのは、会者・ミュージシャン出身だからであり、その芸子たちが引き継いでいる・・・しかし子たちはぜんじろう、テントなど奇人が多い。

芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、私が上岡龍太郎です。」というお決まりの自己紹介があり、「私が」を強調していたのも特徴であった。後に縮めて「天才・上岡龍太郎です」としていたが、東京進出以降は「私が上岡龍太郎です」としていた。「探偵!ナイトスクープ」では、局長会)を引き継いだ西田敏行松本人志も「私が局長の……」の挨拶を踏襲している。

横山やすしとやしきたかじんの様に芸には厳しく、短気で妥協を一切許さない一面があり、番組出演中に納得がいかないことがあれば番組を途中で降りたり、役割を忘れることがあった。上岡本人は「知的な横山やすしをしていた」と語っていたが、その横山やすしは相方横山ノックの内子で、自分のほうが2つ年上ではあるが芸能デビューはやすしの方が1年先輩に当たる。しかし漫画トリオ時代は上ノックの「相方」であったため、やすしが三人の世話をしていたという関係であった。このことから、やすしに対しては最後まで「やすし君」と呼び、決して呼び捨てにはしなかった等、複雑な思いを少なからず抱いていたようである。

立川談志く、「芸人に憧れ、憧れ続け、尚も芸人になろうしたが結局、芸人に成り切れなかった芸人」。

少年時代母親がんにかかり、霊媒師・占い師に食い物にされたため、オカルト底的に否定するようになった。しかし前述の東京進出の件やマラソンなど、以前自身がこき下ろしていたことに自分がハマるとそれ以降態度や発言がコロッと変わるという一面も持っていた。

政治思想は「左翼」「判官びいき」であるが、1990年代後半からは右翼思想の人物に対しても議論さえしなければ許容している。

夫人は横山パンチ時代からのファンであり、当時中学生であるにも関わらず「君は将来、結婚する」と口説き続けていた。それを知った笑福亭鶴瓶からは、「あんた犯罪者や」と突っ込まれた。

好きな漫画は「あしたのジョー」。アニメ版でジョー声優を担当したあおいについては「の中のジョーはあんなじゃない」と否定的なコメントを発している。「パペポTV」で「漫画は好きだが、アニメは自分の『間』で楽しむことができないから嫌い」と発言していた。

主な出演番組

TBSテレビ系

MBSテレビ

MBSラジオ

テレビ朝日系

テレビ朝日

ABCテレビ

ABCラジオ

フジテレビ系

フジテレビ

  • 上岡龍太郎のもうダマされないぞ!!→上岡龍太郎にはダマされないぞ!
  • ヒロミの

関西テレビ

日本テレビ系

読売テレビ

KBS京都テレビ

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