中上貴晶とは、千葉県千葉市出身のMotoGPライダーである。
1992年2月9日生まれ。
2018年よりMotoGPの最大排気量クラスに参戦している。
1992年2月9日、千葉県千葉市出身。
4歳の頃からポケバイでレースを開始。6歳の時にはレースで初優勝を記録。
9歳からミニバイクレースに参戦、最年少の全国大会優勝を果たし、3年連続のチャンピオンを取って頭角を現す。
この頃よく通っていた場所は千葉北ポケバイコース、茂原ツインサーキット、サーキット秋ヶ瀬、
桶川スポーツランドである。
2004年(12歳)から本格的なロードレースへ参戦することになった。
2006年(14歳)、全日本ロードレース選手権125ccクラスを6戦6勝の完全勝利で制覇。
2006年から2007年にかけて、MotoGPの運営企業ドルナが主催するMotoGPアカデミーに参加した。
それと同時にスペイン選手権125ccクラスに参戦、これはMotoGPへの足がかりとなるものであった。
MotoGPアカデミーの同期はスコット・レディング、ブラッドリー・スミス、ヨナス・フォルガー、
イサック・ヴィニャーレスなど。
彼らについて中上貴晶は「何年も一緒にやってきてよく知っている。今もパドックで会話をする。
彼らのバイクの乗り方は昔っから何一つ変わっていない」と語っている。
スペイン選手権の同期はポル・エスパルガロやマルク・マルケスなど。
2008年からMotoGPの125ccクラス(現在のmoto3に当たる)に参戦した。
しかし2シーズンに渡る参戦で大きな結果を出せなかった。シングルフィニッシュは2年で4回だけだった。
1年目はI.C.チームに所属、チームメイトはミハエル・ランセデール。
2年目はオンガッタ チーム I.S.P.A.に所属、チームメイトはヨナス・フォルガー。
2010年は全日本ロードレース選手権の中量級であるST600クラスに参戦した。この時のチーム、MuSASHi RT HARC-PRO(通称ハルクプロ)とは現在まで続く関係となっている。
ハルクプロは鈴鹿8耐でも最有力のチームであり、2010年の鈴鹿8耐に清成龍一、高橋巧、中上貴晶の
3人でレースに臨んだ。
ハルクプロは見事優勝を果たすが、中上はレース本番で走る機会を与えられなかった。
2011年、引き続きST600クラスにエントリーした中上は、参戦した全レースでポールポジション、
さらにはそこからレースにも勝つ、つまりポール・トゥ・ウィンを成し遂げたのである。
ただ、シリーズすべてのレースに参戦したわけではなく、欠場したことがあった。その理由は…
2011年のMotoGP日本GPにおいて、負傷したレギュラーライダーの代役としてmoto2クラスの
イタルトランス・レーシングから参戦。ウォームアップセッションの途中で転倒して負傷し、
決勝は欠場となってしまったが、この時の好タイムを評価されて翌年の同チームでのレギュラー参戦が決まったのである。先ほどの全日本の欠場はこの影響であった。
2012年、晴れてMotoGPの舞台に前とはクラスが違うとはいえ、再び舞い戻ることになった中上。このように一度世界選手権のシートを喪いながらカムバックしたのは日本人ライダーとしては初めてだった。
2012年はランキング15位、最高位は5位だった。
2012年はマシンセッティングに苦しむことが多かった。
そんななか第9戦のイタリアGPを迎え、メインスポンサーのイタルトランスの重役の前で
なんとか好結果を残したいと思った中上は、ハルクプロの本田重樹監督に来てもらうことにした。
ハルクプロは全日本でも鈴鹿8耐でも最有力のチームであり、しかも7月15日のイタリアGPは
7月29日の鈴鹿8耐の2週間前で、とんでもなく忙しい。
それでも中上がしつこく「来てください!」と頼み込むので仕方なく応援に行くことになった。
そのイタリアGPで好走することができたので、結局2012年は7回も本田監督に来てもらった。
2013年も引き続きイタルトランス・レーシングから参戦。
開幕戦での3位表彰台初登壇を皮切りに、シーズン中盤には4戦連続の2位表彰台の戦績を上げた。
これによって、中上はmoto2クラスの中でもトップクラスの実力を持つと周囲からも認識され、
あとはいつ勝利を上げるかという期待を集めるまでになった。最終ランキングは8位。
2014年もイタルトランス・レーシングから走ることが決まっていたが、
最終戦の前になってチームアジアと契約して移籍することが決まった。
チームアジアとは岡田忠之が率いるチームで、日本人を始めとするアジア人の若者をMotoGPに
送り込むことを目的に活動していた。
なお、その後もイタルトランスとは良好な関係が続いており、2014年から現在に至るまで
中上の個人スポンサーになってもらっている。詳しくは個別記事イタルトランスを参照のこと。
2014年は開幕戦こそ2位に入ったものの(レース後の車検でエアクリーナーの規定違反が発覚し失格となっている)、この後はマシン作りの方向性を見失い、下位に沈む不本意なものとなってしまった。
ランキングは22位で、もちろんワーストである。
チームアジアは参戦2年目、KALEXのシャーシを使うようになったのが2014年から、ということで
マシンセッティングの腕がこの時点では今ひとつのチームだった。
「moto2クラスは厳しいクラスで、ちょっとマシンセッティングを外すとすぐに20位にまで落ちる」
と言われるが、その典型的な例となってしまった。
2015年シーズンも開幕からスランプは続き、10位内に入るのが精一杯のレースが続く。
ところがシーズン後半になってやっと復調の兆しが見えた。
サスペンションメーカー出身の優秀なチーフメカが途中から加入したのが大きく、
そのチーフメカによってマシンセッティングが一気に良化した。
13戦目のサンマリノGPにて遂に復活の3位表彰台を獲得した。オーストラリアGPとマレーシアGPでも
2戦連続4位を獲得。ランキングは再び8位まで上がり過去最高タイまで戻した。
2016年、オフシーズンでのテストで好タイムを記録し、手応えを掴んでいた中上。
今年こそトップ争いの常連へと返り咲くことが期待された。
しかし、フタを開けるとシーズン序盤はまたも苦戦する。
カタールGPで他ライダーに釣られてジャンプスタート、
アメリカGPでシモーネ・コルシにぶつけられて転倒、と散々なレースが続く。
シーズン中盤のイタリアGPで予選2番手となり復調の兆しを見せ、カタルーニャGPで3位表彰台に登り、
勢いに乗って迎えた次戦のオランダGP。
ドライで始まったレースの中、今までになくマシンが決まっていた中上はトップを快走。
次第に雨が落ちてくるコンディションに変化すると、2位のヨハン・ザルコが猛追をかけてきた。
残り2周の時点で雨が強まり、中上は左手を上げてオフィシャルに危険をアピール。
レッドフラッグが振られてレースは成立し、moto2クラス初優勝、
そして世界選手権のキャリアにおいての初優勝となった。
2016年は、4回の表彰台に登り、ランキングは6位となり過去最高となった。
2017年、オフシーズンテストではトップタイムを連発し、優勝争いばかりかチャンピオン候補として
注目されることになった中上。
開幕戦カタールGPでは3位に入り、幸先よいスタートとなった。しかし、そこから後は出入りの激しい結果となり、細かくポイントを重ねられないことからランキングは伸び悩んだ。
そのような状況の8月20日に、翌シーズンのMotoGPクラス昇格が発表された。
口さがない者達からは「moto2たった一勝のライダーが昇格するのか」とささやかれもしたが、
直後の8月27日に行われたイギリスGP、レース中盤にトップに立つと、完璧な走りでそのままゴール。
キャリア2勝目、そしてシルバーストンサーキットにおけるでの日本人初勝利という快挙を成し遂げ、大向こうをうならせたのである。
2017年シーズン終了時のランキングは7位。
2017年の夏はハルクプロから鈴鹿8耐に参戦した。組んだライダーはジャック・ミラー、高橋巧。
ヤマハワークスの1秒遅れにまで追いつめたが、なんとヘアピンで転倒してしまう。
これが響いて4位に終わった。レースレポートはこちらの記事が詳しい。
2018年のセパンテストやブリーラムテストで新人勢トップの好タイムを連発し、カル・クラッチローに
「中上はとても素晴らしいロケットのような速さを持っている!(He’s a f***ing rocket.)」
と絶賛の言葉をもらった。
また、予選でも4回のQ2進出を果たし、一発の速さを見せつけた。
決勝レースとなると渋い成績となり、ポイント獲得圏の内外を出入りすることが多かった。
夏にはホンダワークスから鈴鹿8耐に参戦した。組んだのは高橋巧とパトリック・ジェイコブセン。
一時はトップも走ったがヤマハワークスの完成度の高さに敵わず、2位となった。
レースレポートはこちらの記事が詳しい。
鈴鹿8耐は結構というか非常に疲れるレースで、7月29日に行われた。
鈴鹿8耐だけでも疲れるのに、翌週の8月5日にチェコGP、翌々週の8月12日にオーストリアGP。
3週連続レースとなり、HRC所属の日本人MotoGPライダー特有の拷問のような日程となった。
最終戦バレンシアGPでは豪雨の中レースが行われ、中上はしぶとく走りきって6位入賞。
11月のヘレステストでは2018年型のマシンを与えられ、「2018年型は2017年型より大きく異なり、
とても走りやすい」と満足げなコメント。そしてなんとマルク・マルケスを上回り、
トップタイムを叩き出してシーズンを締めくくった。
ブレーキングが強烈に激しいというわけではなく、ブレーキを頑張るスタイルではない。
2017年11月のバレンシアテストでチームメイトのカル・クラッチローに言われたことは
「お前のブレーキングはしょぼすぎだ!・・・ブレーキング以外は良い感じだ」であった。
アクセルを存分に開けていってスピードをどんどん乗せていくのが得意である。
このため、コーナーリング速度も高い。
カル・クラッチローからは「マルク・マルケスと一緒に中上の走行データを見たが、
中上のコーナーリング速度がすごく速いと2人で大笑いしていた」とのコメントが出ている。
11月、2月と同じ内容のコメントをしている。
予選ではコバンザメ走行(先行するライダーの後ろに付ける後追い走法)が有効なのだが、
中上はコバンザメ走行をほとんど行わず、いつも単独で走る。
コバンザメ走行をするとブレーキングのタイミングなどをほとんど考えずに済み、非常に楽である。
とても気が楽になるので、全ての集中力をタイム出しに振り向けることができる。
それゆえコバンザメ走行でタイムを稼ごうとするライダーは多い。
コバンザメ走行で悪名高いのはアンドレア・イアンノーネ、ステファン・ブラドルなど。
こうしたコバンザメ走行に頼らず走り、しかも予選のタイムが速いことが多いので、
中上貴晶の資質は高いと言えよう。
コーナリング最中に外側の足を外すことがある。こちらはその画像。
左足でステップを踏み込むのが普通なのだが、すこし左足を外している。
コーナリング最中に外側の脚を外さないこともある。こちらは足を外さず、しっかり踏んでいる。
近年はコーナリング最中に外側の足を外すライダーがちらほら見られる。
マーヴェリック・ヴィニャーレス、アレックス・リンス、ヴァレンティーノ・ロッシなどが、
しばしば足外しを行っている。
高速サーキットでの成績が良い。アクセルを開けてスピードを乗せていくスタイルと合致している。
2012年のmoto2ルーキーシーズンに、一時期トップを走行して周囲を驚かせたのは
ムジェロサーキットだった。このサーキットは高速の開け開けサーキットである。
2016年のTTサーキット・アッセンと2017年のシルバーストンサーキットで優勝している。
どちらも中高速コーナーが多いサーキット。
また、2017年のフィリップアイランドサーキットでの走りも見事なもので、
どんどん順位を上げていって2番手にまで上がっていった。
あと1周と少しというところでギア抜けを犯して転倒したが、負けて強しの内容だった。
このサーキットも高速サーキットであり、相性の良さがうかがえる。
ロサイル・インターナショナルサーキットでの成績も良い。ここの後半は流れるような高速区間で、
アクセルをどんどん開けてスピードを乗せるスタイルにピッタリである。
本人がはっきりと大嫌いだと明言しているのは、ザクセンリンクである。
ここはアクセル全開が少ない低速サーキットで、彼のライディングスタイルに合わないのだろう。
また、バレンシアサーキットの成績も非常に悪い。ここもまたアクセル全開が少ない低速サーキット。
2016年のカタルーニャGPではコース変更が行われ、F1のレイアウトでレースが行われるようになった。
このとき、「スピードを乗せていく区間がなくなったのは痛かった。あの高速区間が武器だったのに」
とコメントしている。スピードをどんどん乗せていくレイアウトを好む性格が表れた発言といえるだろう。
ゼッケンは30番。アルベルト・プーチが主宰するMotoGPアカデミーに参加していたとき、
プーチに与えられた番号が30番だった。それを気に入って今も使い続けている。
ゼッケンは白地に赤文字の30で、日の丸を連想するカラーリングになっている。
ヘルメットはAraiと契約していて、こちらも赤丸が目立つデザインで、日の丸を連想させられる。
イタルトランス時代のデザインもチームアジアの時代のデザインも日の丸が基調。
四つ葉のクローバーがラッキーアイテムとして好みのデザインである。
2018年はゼッケンの中に小さい四つ葉のクローバーを入れた。
2016年はヘルメットに四つ葉のクローバーを取り入れた。
2016年チェコGPではブーツに四つ葉のクローバーを取り入れてもらった。
こちらの右の画像にも、四つ葉のクローバーが入っている。
水玉模様が好みのデザイン。
帽子のツバ、ライダースーツの肘に水玉模様がある。
ライダースーツの尻にも水玉模様を仕込んでいる。画像1、画像2
ファングッズにも多く取り入れられている。画像1、画像2
雑誌『Riding Sports』のロゴが水玉模様になったことがある。画像1、画像2
通称はタカ。欧米人は「ナカガミ」とか「タカアキ」といったような音節が多い名前を発音するのが
苦手なので、音節を少なくした「タカ」が通称である。
パルクフェルメでのインタビューで他の欧米人ライダーが「今日のタカは速かったね」などと
コメントしていることが多い。
ライダースーツの尻の部分に「TAKA」と書いてあり、オンボードカメラに映るようにしてある。
父の慎吾さん、母の由比子さん、姉の百世(ももよ)さんの4人家族。
百世さんはもうほとんどレースに帯同していて、頻繁にドルナの国際映像に映り込んでいる。
2018年はチームLCRのシャツまで支給されるようになった。
海外メディアには「タカの彼女」と誤解される始末である。
由比子さんもちょくちょくレースにやってきて、ピットの中で祈るようにモニターを見上げている。
由比子さんがピットで観戦している姿は、なんというか授業参観みたいな風景になっている。
「自分の妻(美由希さん)とは全日本時代に知り合った。全日本から海外に出て1年目の1993年5月、
自分と妻の共通の友人がサーキットで事故を起こしてしまった。
その事故があってから、彼女はどんなときも一緒についてきてくれるようになった。
あの事故を見て彼女の中で何かが変わったのだろう」
中上家も似たようなことがあった。
百世さんや由比子さんの心境にも変化があったことが推測できる。
中上貴晶はMotoGPライダーにしては珍しくあまり怒らない。
メカニックに怒鳴りつけることもしないし、迷惑をかけてきたライダーを怒鳴りつけることもしない。
中上貴晶にはシモーネ・コルシという天敵がおり、2016年アメリカGPとチェコGP、2017年ヘレスGP、
少なくとも3回追突されている。
この中でも最低なのは2017年ヘレスの追突で、前輪でシャヴィ・ヴィエルヘ、
後輪で中上貴晶にぶつけるという信じられないほどアクロバティックな悪行をやらかしている。
シモーネ・コルシはどこに向かっているのであろうか。
中上は激怒してシモーネのピットに怒鳴り込んでも良かったのだが、それをしなかったようだ。
怒らないMotoGPライダーというとベン・スピーズを思い出す。
そういえばベン・スピーズのピットにはいつも母親がいたのであった。
やっぱり姉貴やお袋さんがいつもピットにいるような環境だと怒るに怒れないのであろうか・・・
中上貴晶は2014年から現在に至るまで出光のカラーリングが入ったマシンにまたがっている。
ギリシア神話の男神アポロンをイメージしたアポロ・マークが目印。
出光のガソリンスタンド従業員に扮したことがある。
2018年日本GPにはスターティンググリッドに木藤俊一社長がやってきていた。
レース前には対談もしている。画像1、画像2
こちらの画像に写っているのは月岡隆 前社長。
スイスの腕時計メーカー。全ての製品がクロノメーター(揺れや温度変化に強い機械式時計)。
航空機へ計器を納入しており、航空機メーカーとの関係が深い。
曲技飛行隊を所有していて、色んなイベントに派遣する。
レッドブル・エアレース(こんな感じの飛行機レース)にも自社のチームを参戦させている。
中上がSNSの写真の中でさりげなく腕時計を付けているのはこのためである。画像1、画像2
アメリカのサングラスメーカー。
日差しが全くない曇りのときにサングラスを付けていることがあるのはこのため。画像1、画像2
2018年イタリアGPにはオークリーの看板が立てられた。それを背景に写真を撮っている。
オークリーからもらったシャツやスパッツで自転車トレーニングをしている。画像1、画像2
イタリアの物流企業。詳しくは個別記事イタルトランスを参照のこと。
中上貴晶は2012年から2013年までイタルトランス・レーシングに在籍していた。
2013年12月31日をもって契約が満了し、これにてイタルトランスとは手切れとなるはずだったが、
なんとイタルトランスは2014年から個人スポンサーになってくれた。現在も関係が継続している。
レーススーツの左鎖骨、ヘルメットの左右にITALTRANSの文字が見える。
2018年鈴鹿8耐出場時も、ITALTRANSの文字が入ったヘルメットを被っていた。
イタリアのスナック菓子メーカー。レースに理解があり、スーパーバイクの名門チームの
クレセント・レーシングのメインスポンサーになっている。またMotoGPでは
イタルトランス・レーシングのスポンサーになっている。
ヘルメットの口やレーススーツの左胸にPATAの文字が入っている。
2017年5月のスペインGPまではヘルメットの口にPATAの文字が入っていない。画像1、画像2
2017年5月のフランスGPからPATAの文字が入りはじめた。
オーストリアのエナジードリンク。2015年頃までレッドブルの支援を受けていた。画像1、画像2
日本のヘルメットメーカー。シーズンオフには挨拶に出向く。画像1、画像2、画像3
イタリアのライダースーツメーカーで星のマークが目印。2014年から現在まで使用している。
シーズンオフには挨拶する。画像1
2015年から現在まで中上貴晶はバルセロナに住んでいる。
そのバルセロナの郊外のこの場所に、CARサン・クガがある。(個別記事あり →CARサン・クガ)
ここはマルク・マルケスや藤波貴久(トライアル世界チャンピオン)が常用しているところで、
中上貴晶も通っている。この写真ではマーヴェリック・ヴィニャーレスやジャック・ミラーもいる。
バランスボールを使ったトレーニングが多い。画像1、画像2、画像3
そのほかのトレーニングも行っている。画像1、画像2、画像3、画像4
自転車トレーニングの画像も多くSNSに上がっている。画像1、画像2、画像3
こちらやこちらは、バルセロナ郊外のこの場所にあるコル・フォルミック山に登ったときのもの。
こちらは、バルセロナから遠く離れたこの場所にあるパンタ・デ・サウのダム湖に行ったときのもの。
ダートトラック(平坦な土の路面をバイクで走る競技)のトレーニングもしばしば行っている。
MotoGPにはモトクロス(凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)をするライダーがいて、
アンドレア・ドヴィツィオーゾやマーヴェリック・ヴィニャーレスはとんでもないジャンプをしている。
ところが中上貴晶はモトクロスをせず、ダートトラックにとどめている。
モトクロスはジャンプの着地に失敗したときの負傷リスクが高い。
ヴァレンティーノ・ロッシの父親グラツィアーノ・ロッシもモトクロス否定派で、
「本番のレースではジャンプしないからモトクロスをする意味がない」と語っていた。
ともあれ、中上貴晶はダートトラックをトレーニングに取り入れている。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7、画像8
たまにスーパーモタードの画像がSNSに上がる。画像1、画像2
スーパーモタードは舗装路面8割・土路面2割のコースを同じバイクで走る競技。
SNSでしばしば犬(フレンチブルドッグ)の画像を上げている。千葉県の自宅にて飼っているのだろう。
真っ黒い犬と白黒の犬の2匹体制が2015年秋まで続いた。画像1、画像2、画像3
2015年11月に黒い犬が1匹追加された。
誕生日は2月9日で、肉の日であるから肉の画像が出てきたことがある。
GoProが作った特集動画がある。それによるといつも必ず右からグローブ・ブーツを着用し、
マシンにまたがるのも右からだという。
2015年から現在まで住んでいるのはスペインのバルセロナ。ここはHRCの拠点もあり、
CARサン・クガという立派なトレーニングセンターもある。住むには絶好の場所となっている。
この画像はおそらく、この場所にあるギナルド公園から撮ったのだろう。
この画像は、バルセロナから少し離れたこの場所にある聖地モンセラートのもの。
レース前のコース下見はライダーごとに方法が違う。ジョギングする者、自転車で走る者、
スクーターで走る者、歩く者と、いろんなタイプのライダーがいる。
中上貴晶は歩いてコース下見をするタイプであるらしい。画像1、画像2、画像3
2018年10月に、相撲部屋へ入門した。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
2018年は「トップ10入りしたら坊主になる」という約束をしていて、最終戦で見事6位になった。
そのためスタッフともども丸刈りになった。画像1、画像2
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最終更新:2025/01/21(火) 02:00
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