伊上勝 単語

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伊上勝とは、日本脚本家である。
代表作は『仮面ライダー』『仮面の忍者 赤影』など、東映特撮時代劇で知られる。
本名は井上正喜(いのうえ まさき)。実子は同じく脚本家井上敏樹

概要

現代の「時代劇忍者」に対するイメージや、特撮ドラマの基礎を築き上げた男。そして現在まで続く『仮面ライダーシリーズの生みのの一人である。
1931年7月14日生まれ。群馬県出身。

明治大学卒業後、1958年広告代理店の宣社に入社。それと同時期に東芝商事が行っていたテレビドラマ脚本の懸賞に応募。一晩で書き上げたこの脚本は入選し、そのまま宣社のテレビヒーローシリーズの第2弾『遊星王子』としてドラマ化された。これによって脚本デビューを果たす。

1962年には『隠密剣士』の脚本を担当。小具を多用したその作劇は現代にまでつながる『忍者』のイメージ確立ブームを引き起こした。

1965年に宣社を退社してフリーランスに。以降は東映特撮作品で脚本を務めることになる。『仮面の忍者 赤影』では全ての脚本を担当するという記録立。

そして1971年には『仮面ライダー』でメインライターを務める。もはや説明不要の大ヒットを巻き起こした本作はシリーズ化され、『仮面ライダー(スカイライダー)』の前半まではメインを担当、後の『仮面ライダースーパー1』まで関与した。また、同年には『帰ってきたウルトラマン』でも一部脚本を担当。

しかし、1980年代に近づくとスランプに陥り、ワンパターンな脚本しか書けなくなったことに悩みにおぼれるようになっていった。50歳となる1981年には前述の『スーパー1』の他『水戸黄門』で数話執筆したが、それ以降ほぼ脚本家引退した状態となり表舞台から退いた。

1991年肝硬変で死去。享年60。

人物像や作風など

快な性格で知られており、後輩などへの面倒見が良い人物だったとも伝えられている。

筆が乗った時は非常に速筆で、完成度の高い脚本をく仕上げることが多いが、一方で締め切りをろくに守らなかったことも多々あるらしく、その督促に際して次々と身内を勝手に殺していたとも噂されている。

脚本にはセリフや動作などを大まかに示し、それを監督プロデューサーなどと打ち合わせして決めるというパターンで、脚本作りのセオリーから離れたそれを後に平山が「手抜き脚本」と評しているほどであった。そうしたスタンスのためか完成した脚本を現場で手直しすることにも抵抗を感じなかったという。

突拍子もないアイディアを絡めることが非常にうまく、アイディアのために設定を無視することもしばしば。またセリフ回しのうまさから特に主人公を支えるポジションキャラ造形には定評がある。『仮面ライダー』の立花藤兵衛や『人造人間キカイダー』のハンペンなど。

これら作劇のスタンス快な性格は息子である井上敏樹にも引き継がれている。しかし、そのの姿(特に晩年見せた弱い部分)を敏自身は「反面教師」であると感じており、上の死後もについて語る機会は非常に少ない。
インタビューなどで語られる内容では、敏上を「実は人づきあいが苦手だと思う。子煩悩と関心の中間ぐらいで、子供に嫌われるのが嫌いだった」「よく遊んでくれることはあったが、勉強しろなどと説教をすることはほとんどなかった」「仕事の関連でライダーグッズお土産に持って帰ることはあったが、それ以外はろくなもんくれなかった」などと評している。
一方で敏現在の自身にの姿を重ねていることも自覚しており「あまり反面教師にはならなかったかも」とも述べている。

代表作

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