伊達杏子とは、大手芸能プロダクションのホリプロのバーチャルアイドルである。人間らしい見た目を目指した立体的な3DCGを使って作られているのが特徴。1996年にデビューし、2001年にデザインを変更した2代目が、2007年も3代目が再登場と、断続的に活動が行われているが、毎回失敗している。世界初のバーチャルアイドルと呼ばれることもあるが正しくはない(詳細は後述)
伊達杏子のプロデュースを行ったのは、ホリプロ創業者の次男で、現会長兼社長の堀義貴である。ファンが作った要素の強い初音ミクや芳賀ゆいと比較して、芸能事務所の作ったトップダウン型のバーチャルアイドルという印象の強い伊達杏子だが、実はその成り立ちには芳賀ゆいが影響している。堀は、ホリプロに入社する前にはニッポン放送に勤めていて、芳賀ゆいを生み出した「伊集院光のオールナイトニッポン」で当時ディレクターを務めていたのだ。また、その立体的な萌を意識させないデザインからオタク文化とは無縁の存在のように見えるが、実は1990年代のオタク文化、美少女のキャラクタービジネスの隆盛に影響されている。架空の少女が若者たちの人気を集めるのを見て、生身の人間だけでなく、バーチャルアイドルも手掛ける必要があると判断したのである。
しかし、ではどうしてトップダウン型の手法で、オタク受けしないデザインのバーチャルアイドルを作ってしまったのだろうか?ここから先は想像になってしまうが、おそらく、目の付け所は良かったが、成功の要因を理解できていなかったということではないだろうか。芳賀ゆいが素人のリスナーの意見を組み入れ成功できたのだから、プロの自分たちが手掛ければもっと成功できると考えたのではないか、線の少ない単純に見える絵の美少女キャラクター達でも人気を集められるのだから、もっと人間の姿に近づければさらに人気を集められると考えたのではないか。アイドルの人気拡大にファンの参加性が重要と認識されるのはAKBのヒット以降、漫画やアニメの目の大きなキャラクターデザインが一つの表現手法として認知されるのもアキバブーム以降で、どちらも2000年代になってからであり、当時の一般の感覚としては、伊達杏子のやり方はまずいものには見えなかったはずだ。実際当時のマスコミは、同時期にバーチャルアイドルとしてデビューし、それなりに成果を上げたときめきメモリアルのヒロイン、藤崎詩織を理解しがたい存在として扱った一方、伊達杏子を次世代のアイドルとしてもてはやしたのである。
1996年の春に伊達杏子が発表されると、マスコミで大きな話題となり、出身地と設定された福生市にまで問い合わせの電話が多数寄せられたり、海外メディアがホリプロに取材に訪れるといったことまで起きた、ただ、実際のところ、このように大きな話題になることはホリプロ自身にとっても想定外のことだったらしい。そして、もう一つ、CGで人間の姿をリアルに造形することの難しさも想定外だった。話題になった時点では全く完成の目途が立っていなかったのである。しかし、話題になったことで後に引けなくなり、当初の予定よりも多くの予算をかけながら、騒ぎもすっかり沈静化した時期に、思ったほどのクオリティにも到達でない状態でデビューし、そして目立った活躍のないまま消えていったのである。その後は、派手に失敗したバーチャルアイドルとして歴史に名を残すことになる。ただし、伊達杏子の唯一まともな活動と言える、ラジオ番組については、決して評判の悪いものではなかったことは明記しておく。もっとも、このラジオに膨大な予算を投じたCGの体は宣伝以上の貢献はしていないわけだが。
初代伊達杏子は失敗したわけだが、当事者的には成功の目が無かったとは思っていなかったらしく、2001年にはキャラクターデザインを変更したうえで再デビューしている、しかし、この新デザインが、以前の黒髪ではなく、何故か金髪になったことで物議をかもした。生身のアイドルのようにファンのイメージを裏切らないことがバーチャルアイドルの強みではなかったのか。どういった意図でこの変更が行われたのかは不明である。活動は、登場時の金沢工業大学webサイトのナビゲーター以外は知られていない。
そして、現時点で最後のデビューとなったのが、ちょうどは初音ミクの登場と同じ2007年である。当時話題となっていた仮想世界のサービスSecondLifeにアバターとして投入されたが、SecondLifeは話題性だけでさっぱりヒットしなかったので、ほどなく活動を停止した、なお、この時のデザインは2代目をベースにしたものであり、しかも、SecondLife上のCGの粗さから、ビジュアル面では更なる劣化を遂げた。最新なのに。
伊達杏子は世界初のバーチャルアイドルと呼ばれることがあるが、これは事実ではない。初のバーチャルアイドルプロジェクトであるコナミの「ウィンビー国民的アイドル化計画」は、伊達杏子の発表の3年前の1993年に開始され、1994年にデビューアルバムを発売している。また、コナミ関連では、伊達杏子と同時期にも藤崎詩織のバーチャルアイドルプロジェクトが行われている(ちなみに藤崎詩織のプロジェクトにはホリプロと並ぶ芸能プロダクション大手のナベプロが関わっている)。伊達杏子のバーチャルアイドルという名乗りも、以前から存在するバーチャルアイドルを踏まえたものであり、無関係に新しく考え出されたものではない。ただ、伊達杏子以前のバーチャルアイドルはオタク層以外への話題性が大きく劣っていたので、多くの人にとって伊達杏子が初めて目にしたバーチャルアイドルだったため、伊達杏子が世界初であると思われたのではないだろうか。例えば、世間ではファミコン以前の家庭用ゲーム機や、iPhone以前のスマートフォンは存在しないと思っている人がほとんどだろう。また、伊達杏子が話題になったことで、バーチャルアイドル=3DCGのアイドルというイメージができてしまったことも、それ以前の3DCGではないバーチャルアイドルに目が向かなくなった要因と思われる。バーチャルアイドル=3DCGのアイドルというのは、初音ミクがバーチャルアイドルの代表格となっている現在ではわかりにくいが、初音ミクが登場したばかりのころは、なぜCGじゃないのにバーチャルアイドルなのかという声はちらほら見られた。伊達杏子は、アイドルとしての実績を残すことはできなかったが、記録より記憶に残ったバーチャルアイドルなのである。
掲示板
33 ななしのよっしん
2021/05/27(木) 02:50:35 ID: qzE2lzKIC7
当時ニュース番組で紹介されてコメンテーターから「なんか寂しい気持ちになる」とかなりネガティブな印象持たれて終わってたのを覚えてる
サブカル大好きだった俺でもまだまだローポリ感否めない不気味の谷の底にいるようなあのモデルは「ちょっと時代が追い付いてないな・・・」とは思った
今みたいに表情豊かでアニメチックなCGが確立されていたらまた違ったかもしれない
34 ななしのよっしん
2023/01/25(水) 23:51:47 ID: Xb6MUzT+5h
これの子供(という設定)のVtuberがデビューしてたけど最初だけちょっとしたニュース扱いされたけどバズらず
今はVとしてはかなり小規模な登録者数と同接視聴者相手にゲーム実況してるんだな (個人枠ならマシな方だけど個人勢とは言えない)
どうモチベーション維持してるのかしらんけどちょくちょく配信してて草。じゃなかった、偉い。
Vは本来なら未来を変える新時代のエンタメとして出てきたはずなのに今やただの女生主、みたいな論調は好きじゃないけど(時代の流れと需要がそうだっただけなので)、この子に関してはあの伊達杏子の娘がただの女生主ってのは残念だな
35 ななしのよっしん
2023/10/17(火) 15:00:40 ID: J3RDVE3bQh
>>27
今更だけど
ゲームとかはこうだった!って言うけどゲーム
あくまでもゲームはそうだったってだけで
アニメとか美少女ものに関してはオタクって気持ち悪い奴らがいるよーっていう、珍獣みたいな扱いだったよ
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最終更新:2025/03/24(月) 10:00
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