加藤康介(かとう こうすけ、1978年7月2日-)とは、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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加藤康介 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県清水市 |
生年月日 | 1978年7月2日 |
身長 体重 |
181cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2000年ドラフト2位 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
日本大学から、2000年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズを逆指名し2位で入団。ロッテでの背番号は28。
2001年(1年目)から先発に中継ぎにとフル回転、34試合で9勝10敗、防御率4.11の成績を残し、新人王の候補にもなった。
2002年は主に先発で32試合に登板し11勝15敗(リーグ最多敗)、防御率4.58といかにもロッテの先発らしい成績を挙げるが、それ以降はアトピーの発症と左肩の故障などで影が薄くなる。二軍では2005年に完全試合を達成したりしたが、一軍での登板は1桁に留まるシーズンが続いた。
2007年のシーズン中、金銭トレードでオリックス・バファローズへ移籍。
2008年には登録名を「康介」にしたりもしたが、オリックスでは2年間で2試合の登板に留まり戦力外通告を受ける。トライアウトを経て、横浜ベイスターズへ移籍。
2009年は貴重な左の中継ぎとして重宝され、31試合に登板、13ホールドを挙げ防御率3.68とそれなりの成績を残す。
2010年は自己最多の49試合に登板したが、防御率7点台と乱調で、オフに戦力外通告を受ける。今度はトライアウトを受けず、阪神タイガースに拾われた。
2011年は4試合で防御率10点台という成績に終わったが、二軍ではそこそこ数字を残し残留。
2012年は6月から中継ぎで一軍に定着。ビハインドでの登板が主だったが、スライダーを武器に好投を続け、41試合で7ホールド、防御率0.83とキャリアハイと言っていい成績を残した。
2013年は開幕から一軍で安定した投球を続け、セットアッパーとしての起用も多くなった。阪神のブルペン陣では唯一1度も抹消されずに61試合登板で17ホールド、防御率1.97と前年以上の成績を残した。6月28日にはプロ初セーブ、8月21日には4年ぶりの勝利、8月31日には移籍後初のヒーローインタビューを受けた。
2014年は開幕から中継ぎで登板していたが、不安定な投球が続き7月に二軍落ちする。その後は結果を残せず、日本シリーズのロースター入りはならなかった。
2015年は6試合に留まり戦力外通告を受けた。12月18日に福島ホープスに選手兼任投手コーチで入団したことが発表された。背番号は63。
2017年に現役を引退。2018年もコーチとして福島に残留したが、同年をもって福島を退団した。
2013年9月26日の横浜DeNAベイスターズ戦、8回表に松田遼馬がピンチを迎えた場面で、投手交代が告げられていないにもかかわらず、連絡ミスで加藤がリリーフカーに乗ってグラウンドに出てきてしまう珍事があった(関連動画参照)。なお、松田続投のため加藤を乗せたリリーフカーはそのままバックで戻っていった。2012年に同様のアクシデントでリリーフカーに乗ったまま帰っていったロッテの南昌輝とセットでネタにされることがある。
通算:14年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
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NPB | 320 | 4 | 1 | 29 | 43 | 1 | 54 | .403 | 574.2 | 244 | 509 | 314 | 282 | 4.42 | 1.39 |
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最終更新:2025/03/30(日) 16:00
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