和泉守兼定とは、以下のことを表す。
刀工・兼定には2つの流れが存在する。
また、このうち「和泉守兼定」の名で活動したのは二人のみである。
他の兼定が打った刀は「和泉守兼定」ではないので注意。
美濃国(現在の岐阜県南部)の中部・関(せき)において活動した刀工集団。
室町時代において美濃国は刀剣の生産地として、備前国(現在の岡山県)と勢力を二分していた。
「五箇伝」と称される五つの刀剣の流派において「美濃伝」と呼ばれる流派には兼定のほか、兼氏(かねうじ)・兼元(かねもと)など、「兼」の一字を持つ刀工が多く存在している。
兼定はその中でも四代に渡り作刀が確認されている流派で、「関孫六(せきのまごろく)」こと孫六兼元と人気を二分、美濃伝を発展させた。
このうち、二代関兼定こと「之定(ノサダ)」が朝廷から「和泉守」の官職を拝領して活動。
通称は刀の銘のうち、「定」のウ冠の下に「之」と刻んだ事に由来する。
四代関兼定が芦名家に招聘され、会津(現在の福島県)に移住した後に続いた名跡。
芦名、蒲生、上杉、保科と次々に代わる領主に庇護されたお抱え刀工として、明治まで存続した。
このうち、十一代(十二代とも)会津兼定が、26歳の時に之定以来の「和泉守」の官職を朝廷より拝領。
戊辰戦争を生き抜き、戦後は福島県の職員として働きながらも作刀を続けていた事が判明している。
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最終更新:2025/04/08(火) 01:00
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