四式十五糎自走砲とは、大日本帝国陸軍が第二次世界大戦末期に開発・運用した対戦車自走砲である。開発時の秘匿名称はホロ。(以下ホロ車と記述する。)
別名、四式砲戦車とも呼ばれるが、ホロ車は砲戦車として開発・運用をされたわけではないので誤りである。
口径/砲身長 | 150㎜/1880㎜(閉鎖器除く) |
全長 | 5.55m |
全幅 | 2.33m |
全高 | 2.36m |
全備重量 | 16.3t |
最高速度 | 約38㎞/h |
エンジン馬力 | 170馬力(最大) |
装甲 | 最大25㎜(正面) |
搭載弾数 | 28発 |
四式十五糎自走砲は、昭和19年(1944年)頃「根こそぎ動員」の一環として、旧式火砲を自走化させることで有効活用しようという考えから開発された車両である。(また成形炸薬弾の実用化によって、旧式火砲への対戦車能力が付与されたことにより、再戦力化の目途がたったという点もホロ車の開発動悸の一つである。)
ホロ車の主な任務は、150㎜に及ぶ大口径による大火力を生かした対戦車戦闘及び、味方部隊への火力支援である。開発は1944年7月にはじまり、その後各試験を受け12月には開発が完了、終戦までに12~25両が完成した。
ホロ車は、独立自走砲中隊を編成しフィリピン防衛戦に投入されることが決まっており、翌年の1945年1月下旬には現地に2両のホロ車が到着した。(本来は三両のホロが到着する予定だったが、空襲により一両のホロ車と多くの備品が失われている。)
その後、47㎜戦車砲を搭載する九七式中戦車とともに、クラーク飛行場を防衛する任務に就き米軍と交戦し、複数のM4中戦車を擱座させ、それなりの損害を与えた(ちなみに、対戦車戦闘ともに使用弾は榴弾であり、構想にあった成形炸薬弾は使われなかった)。
最終的には三両すべて撃破されたが、内一両は損傷が少なかったためアメリカ、バージニア州に運ばれ今も現存しているという。
九七式中戦車から、砲塔と車体正面上部を取り外し、オープントップ方式の戦闘室を新たに設け、そこに三八式十五糎榴弾砲(150㎜短砲身砲)をほぼ砲架ごと搭載している。似た方式の搭載方を採っている一式七糎半自走砲(以下ホニ車と表記)とは、やや異なる形状をしており、四式中戦車にも使われた溶接技術も使用された。
搭載砲である、三八式十五糎榴弾砲は明治の頃に採用された骨董品ともいえるシロモノであり、本来であれば、現役で使用される九六式十五糎榴弾砲を搭載するのが理想的であった。
実際、その自走砲化の構想・計画は、第二次世界大戦の初期のころにすでに存在している。ただし、いずれの計画・構想も、95式重戦車やチハ車の後継車両の車体を利用するといったもので、チハ車体を使うつもりは全くなかった。
元々、チハ車は日中戦争勃発で増大した要望・需要を一時的に叶えるために採用した暫定的な新中戦車であり、急造かつ(つなぎでしかない)チハ車を長期にわたって量産するつもりは無く、自走砲や砲戦車などは将来的には、本命に当たる九八式中戦車チホや一式中戦車(原案)の車体を流用、または将来的に更新していく予定だったからである。
また、九六式十五糎榴弾砲は性能が良い代わりに、重く反動も大きかったためチハ車に乗せるのは無理があり、 旧式の三八式十五糎榴弾砲や四年式十五糎榴弾砲ならばどうにか搭載できたが、自走化するほどの性能がなかった。ところが、計画は諸事情の問題により全て頓挫、そして情勢は徐々に切迫、最終的には贅沢も言えなくなり、結局、旧式の三八式十五糎榴弾砲と余ったチハ車体という組み合わせを選ぶ羽目になった。
(一応、新型の重戦車に対抗するため、九六式十五糎榴弾砲を搭載するタイプも開発していたりするが、開発中止になったとも試作車ができたとも言われ、よく分かっていない。)
その外見からは分かりづらいが、ホロ車は当初から対戦車自走砲として開発されたため、ホニ車とは異なり、火砲用の照準器だけでなく戦車用の照準機も搭載している。対戦車用であるため、上述の搭載砲の射程の短さは問題になりにくかった。
ちなみに、主砲の150㎜砲は、旧式であったことが幸いし後座長(射撃時の反動を軽減させるために一時的に後ろに下がる長さ)が短く、搭載に向けて大改造を施さなくても済み、開発から半年という異例の速さで量産までこぎつけることができた。
(機関部上に弾薬箱を設置するというスタイルは、砲戦車の原型となった自走式戦車支援砲と同様であり、一種の復古案と言えるのかもしれない。)
他に特徴的な点として、実戦に投入された二両と海没した一両はすべて試作車型であり、それぞれ車体後部に設置してある弾薬庫や防盾など細部が異なっていたという。
もちろん、急造兵器ゆえにどうしようもない欠点もあり、旋回砲塔式とは違い、ホロ車のようなタイプの車両は砲を向けられる範囲が限られていたが、ホロ車は特に狭く主砲のベースになった砲をそのまま搭載したので左右3度ずつしか向けられなかった。なお、ホニは左右22度ずつであった。また仰俯角(上下方向)に関しては九七式中戦車と同等の+20°~-10である。この問題に関しては、防御用兵器であるという理由から目をつぶることになった。
その他の問題としては、射撃による反動が大きく、変速機や足回りの保護のため射撃時にはギアをニュートラルに入れる必要があり、オープントップ方式の戦闘室を採用しているため装甲板の無い、後ろ半分から銃弾やすぐ近くで炸裂した砲弾の破片が飛び込んでくるため、乗員の生存率が低く、実戦においても撃破は免れても乗員が死傷し、戦闘能力が低下してしまっている、また、ホロ車を鹵獲した米軍からも、ホニ車と比べ(おそらく防盾部分の)開口部が多く爆風による破片や銃弾が吹き込む危険性があるということを指摘されている。
掲示板
3 ななしのよっしん
2019/08/19(月) 15:25:45 ID: saT1GDCrkp
実際にフィリピンでの戦闘では、
砲弾片を食らって戦車長はじめ搭乗員がかなり死傷してるんだよな
そんな対戦車戦闘のノウハウも、フィードバックするには遅すぎた…
4 ななしのよっしん
2019/08/30(金) 05:48:30 ID: 3QOV2QLpvE
ホロがオープントップかつ開口部だらけなのは、生産簡略化と装填スペース確保のため
密閉式でなければ対戦車戦闘等で不利という意見は、太平洋戦争の半年前からさんざん言われていたことで、
別に知らなかった訳じゃなく、フィードバックしたくてもできなかった。
5 ななしのよっしん
2020/04/10(金) 22:18:51 ID: YnS+vmL7Il
>>4
三式砲戦車は全周とは言い切れないけど一応は装甲で囲ってあるしね
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最終更新:2025/04/15(火) 10:00
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