四条隆謌とは幕末の公卿、明治時代の軍人である。名前の読みは「たかうた」。
文政11年(1828年)9月9日、公家の四条隆生の子に生まれる。四条家は藤原北家魚名流で、家格は羽林家に属す。
尊皇攘夷派の公卿として活動。安政5年(1858年)の八十八卿列参事件に名を連ねる。
文久3年(1863年)2月、国事寄人に就任。攘夷実行を幕府に要求するが、同年8月18日の政変によって一転、官位を剥奪され京都を逐われる身となった。(七卿落ち)
三条ら同志と長州藩に落ち延び、元治2年(1865年)2月に三条らと太宰府に移送される。
慶応3年(1867年)12月の王政復古の政変により京都に戻り、参与に就任。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争にて東征大総督府参謀、仙台追討総督などを務めた。
明治後は各地の鎮台司令長官、陸軍少将(のち陸軍中将に昇進)などを務めた。
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最終更新:2025/03/30(日) 16:00
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