孫興民(ソン・フンミン、손흥민、1992年7月8日 - )とは、韓国のサッカー選手である。
イングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFC所属。サッカー韓国代表。
ポジションはFW(左WG)。183cm77kg。利き足は右足。
韓国の江原道春川市出身。父親のソン・ウンジョンも元プロサッカー選手であり、U-23韓国代表としての経験もある。幼い頃から父の厳しい指導を受けたことで実力をつけ、十代の頃からヨーロッパの舞台で活躍することになる。
2015年からイングランドのトッテナムでプレーしており、6年連続で二桁得点を記録するなどアジア最高のフットボールプレイヤーと呼ばれるようになる。2021-22シーズンにはアジア人として初めてプレミアリーグの得点王を獲得。アジア年間国際最優秀選手に史上最多の3度選出されている。
スピードとテクニックを駆使したドリブルと決定力の高さでプレミアリーグでもトップクラスのアタッカーへと成長しており、トッテナムで見せるハリー・ケインとのコンビネーションは「プレミア最強デュオ」と称されるほど他チームの脅威となっている。ケインが移籍した後はスパーズのキャプテンに就任し、名実共にクラブの顔という立場となった。
韓国代表には2011年に18歳の若さでデビューすると、代表のエースとして君臨。FIFAワールドカップには三度出場し、キャプテンも任されているが、クラブで見せているほどの爆発力は見せられずにいる。
なお、正式な名前の表記は「孫興慜」。
元プロサッカー選手であるソン・ウンジョンの次男として生まれる。少年時代からサッカーに夢中で、普通の子どものようにおもちゃやゲームには興味を持たず、ひたすらプロサッカー選手になるための英才教育を受ける日々を過ごすのだった。
韓国では、小学校や中学校のサッカー部で育成を受けるのが通常だが、ソンはサッカー部には所属せず、14歳まで父親のマンツーマンによる直接指導という異色の育成期間を過ごす。父であるウンジョンは、若い頃から勝利至上主義で必要以上のトレーニングを積ませる韓国サッカー界のやり方を疑問視しており、ボールコントロールのスキルを磨き上げさせるなど基礎に特化した独自の練習方法で息子たちを鍛えあげた。ただし、父親の訓練は徹底されたものであり、幼い頃からプロになるためのストイックな生活を過ごしていた。
2008年より東北高等学校に所属。在学中の夏にKFA(韓国サッカー協会)が主導でおこなっている優秀選手海外留学プログラムの第6期生としてドイツのハンブルガーSVのU-17チームに加入。すると、中心選手としてリーグ戦15試合9得点を記録する活躍を見せ、翌年は1つカテゴリーが上のU-19チームのリーグ戦に出場する。シーズン終了後、予定通り帰国し東北高校に戻るが、ハンブルガーの関係者から高く評価され、3か月後に再びドイツへ渡ることになる。
2010年1月、ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVに正式に加入することが決定する。契約期間は4年。最初はトップチームではなくユースチームに所属することとなる。すると、U-19チームのリーグ戦で11試合6得点を挙げ、4部リーグに在籍するセカンドチームの試合にも出場し1得点を記録し首脳陣の期待に応える活躍を見せる。
自身の18歳の誕生日である2010年7月8日にハンブルガーとプロ契約を交わし、トップチームへと昇格。プレシーズンマッチで9ゴールを決める大活躍を見せたことで期待が膨らむが、開幕前に左足指を骨折するアクシデントに見舞われたことでデビューが大幅に遅れることに。10月30日の1.FCケルン戦でブンデスリーガでのデビューを飾ると、デビュー戦で初得点を記録。この活躍にブンデスリーガ公式サイトは前半戦最も良いデビューを果たした選手に選出。また、FIFA公式サイトの10代の有望選手の23人中の1人として名を連ねる。
プロ2年目となった2011-12シーズンは、チームは開幕から深刻な不振によって開幕から低迷。監督がトルスティン・フィンクに交代となった中で途中出場が多かったもののコンスタントに出場機会を得て数少ないチームの希望となる。厳しい残留争いに巻き込まれた大事なシーズン終盤のハノーファー戦やニュルンベルク戦で貴重なゴールを決め、チームをクラブ創設史上初の降格から救う活躍を見せる。2シーズン目は30試合5得点と成績を伸ばし、チームからの信頼を勝ち得た1年となる。
2012-13シーズンでは、この年司令塔のラファエル・ファン・デル・ファールトが3年ぶりにチームに復帰したことが追い風となってスタメンに定着。選手としてのクオリティが飛躍し、チームのエースと呼べる存在へと成長。特に前年度ブンデスリーガ王者であるボルシア・ドルトムントとの試合ではホームとアウェイの2試合で計4得点を決めるなど、大舞台での勝負強さも発揮。この年のゴール数は初めて二桁得点の大台に到達するチームトップの12ゴールを記録しており、ハンブルガーを7位にまで上昇させる。
2013年6月14日、同じブンデスリーガのバイヤー・レヴァークーゼンへの完全移籍が発表される。移籍金は1000万ユーロで当時のクラブの最高額となった。チェルシーFCに移籍したアンドレ・シュールレの代役として期待され、左サイドハーフを任されることとなったが、早い段階からチームにフィットし、11月9日の古巣ハンブルガー戦では、プロになって初となるハットトリックを達成。また、この年に初めてUEFAチャンピオンズリーグ(CL)のピッチにも立っている。リーグ戦では2シーズン連続での10得点、公式戦通算43試合12得点と期待通りの活躍を見せ、チームのCL出場権獲得に貢献する。
2014-15シーズンもコンスタントに結果を残し、特にCLでは2014年10月1日のベンフィカ戦で初ゴールを記録すると、11月4日のゼニト・サンクトベテルブルク戦で2ゴールを決めるなどチームのグループステージ突破に貢献。シーズン前半戦だけで公式戦でのゴール数はすでに二桁に到達しており、チーム内ではクリスティアーノ・ロナウドを文字った「ソナウド」というニックネームで呼ばれ、活躍を称えられている。最終的にブンデスリーガでは3シーズン連続で二桁得点に到達し、シーズン通算17ゴールという成績を残す。
2015-16シーズンになると、トッテナムへの移籍が秒読みとなり、ついには練習を無断欠席して渡英し、メディカルチェックへ向かう。これには流石にチーム内外から批判が噴出し、後味の悪い移籍劇となる。
2015年8月28日、イングランド・プレミアリーグの強豪トッテナム・ホットスパーFCに5年契約で移籍。背番号は「7」。移籍金は2001年に中田英寿がパルマへ移籍した際のアジア人歴代最高額を更新する3000万ユーロとなった。9月17日のUEFAヨーロッパリーグ、カラバフ戦で移籍後初ゴールを含む2ゴールを記録。9月20日のクリスタル・パレス戦でプレミアリーグ初ゴールも記録する。しかし、フィジカルを重視するイングランドのスタイルにフィットするのに苦労し、怪我もあって不調に陥ってしまう。スタメンを確保することもできず、1年目は期待外れの出来に終わる。
シーズンオフには放出の話も出ていたが、マウリシオ・ポチェッティーノ監督の慰留もあって残留。すると、2016-17シーズンは飛躍の年となる。2年目となったことでイングランドの生活にも慣れ、チーム戦術も理解し、何よりハリー・ケインという最高の相棒を見出したことが大きかった。9月にはストーク戦で2ゴールを決めると、リーグ戦、CLと合わせて5ゴールの活躍を見せ、プレミアリーグ月間最優秀選手賞に選出される。3月12日、FAカップのミルウォール戦では移籍後初のハットトリックを記録。4月にはプレミアリーグでの二桁得点を記録すると共にこの年2度目の月間最優秀選手に選ばれる。その後も勢いは止まらず、5月16日のレスター・シティ戦で2ゴールを決めたことでシーズン通算21ゴールを記録。一気にプレミアリーグでもトップクラスのアタッカーとして成長した。
2017-18シーズンは開幕当初はなかなかゴールが生まれなかったものの、10月22日のリヴァプール戦でケインのアシストからプレミアリーグでのシーズン初ゴールを記録。CLではグループステージで4ゴールを決め、前回王者レアル・マドリードを押しのけての1位通過に貢献。結局CLはベスト16で敗れたが、プレミアリーグではケイン、クリスティアン・エリクセン、ジャーメイン・デレ・アリと形成した攻撃のカルテットが機能し、チェルシーとの優勝争いを演じてみせる。3月4日のハダーズフィールド戦で2ゴールを決め、プレミアリーグで2年連続二桁得点に到達。チームは終盤に力尽きて優勝は逃したが、自身2度目となるAFCアジア国際最優秀選手賞に選出されている。
2018-19シーズンは、母国の兵役義務の期間短縮がかかっていたこともあり第18回アジア競技大会に参加。そのためチームへの合流が遅れることになる。2018年11月24日のプレミアリーグ第13節チェルシー戦でハーフライン付近からドリブルを開始し、相手5人を抜き去ってゴールを決め、シーズン初ゴールを記録。この鮮烈なゴールはこの年のプレミアリーグ年間最優秀ゴールに選ばれる。新スタジアムのこけら落としとなった4月3日のクリスタル・パレス戦ではトッテナム・ホットスパースタジアムでの第1号ゴールを決める。激しい死闘となったCL準々決勝のマンチェスター・シティ戦ではホームの1st legで決勝ゴールを決めると、敵地での2nd legでは2ゴールを決め、準決勝進出に貢献。5月4日のプレミアリーグ第37節ボーンマス戦で激昂してジェフェルソン・レルマを突き飛ばし、退場となる。トッテナムはCL準決勝も勝ち抜き、クラブ史上初の決勝進出を果たす。6月1日のリヴァプールとの決勝では同胞のパク・チソンに次いで史上2人目となるCL決勝のピッチに立ったアジア人選手となる。しかし、リヴァプールの守備の前に完封され、チームは敗れて準優勝に終わる。もっともこの年、クラブ年間最優秀選手賞を受賞。さらに2019年度のバロンドール候補30人に選出される。
2019-20シーズン、プレミアリーグ第5節のクリスタル・パレス戦での2ゴールがシーズン初ゴールとなる。ところが、2019年11月3日の第11節エヴァートン戦でアンドレ・ゴメスに対して背後から危険なタックルを見舞うと、アンドレ・ゴメスの右足はあらぬ方向へ曲がり、長期離脱を強いられることに。このプレーで退場となったソンは3試合の出場停止処分を受けるが、トッテナム側の抗議によってレッドカードが取り消され、出場停止処分も撤回される。当然、この裁定によってソンとクラブは英国中から非難されることになる。その3日後のCLレッドスター戦でゴールを決めると、祝福はおこなわず、アンドレ・ゴメスに対して謝罪の意を示す。さらに開幕から不安定な戦いを続けていたことで恩師であるポチェッティーノが解任となり、ジョゼ・モウリーニョが新監督に就任する。そんな逆風の中、11月23日のウェストハム戦では自陣深くから相手7人をかわしてゴールを決める。このゴールは自身にとって2度目となるプレミアリーグ年間最優秀ゴールに選ばれ、さらにはFIFAプスカシュ賞も受賞する。ところが、12月22日のチェルシー戦でまたしても事件を起こす。接触で転んだ際に激昂し、相手のアントニオ・リュディガーの脇腹を故意に蹴る報復行為で一発退場となる。それでも出場停止が解けると結果を残し、2020年2月16日のアストン・ヴィラ戦で2ゴールを決め、リーグでの通算ゴール数を50とする。新型コロナウィルスによる中断期間を利用して兵役を終えると、リーグ再開後の7月12日アーセナル戦で1ゴール1アシストを記録すると、自身初となる二桁得点、二桁アシストを達成。前年に続いてクラブ年間最優秀選手賞も受賞する。
2020-21シーズンは、2020年9月20日の第2節サウサンプトン戦で自身初となる1試合4ゴールを記録。しかも4ゴール全てがハリー・ケインのアシストによるものだった。この年、長年コンビを組んだケインとのコンビネーションが例年以上に冴えわたり、10月には4ゴール2アシストを記録し月間最優秀選手に選出。2021年3月27日の第27節クリスタル・パレス戦ではケインのゴールをアシストすると、二人のコンビによるゴールはシーズン14得点目となり、リーグ史上最多記録を樹立。名実共にプレミア最強デュオとなる。シーズン後半戦に入って急激に失速したことで4月にモウリーニョ監督が更迭されるが、最後までケインとのコンビは大暴れし、最終的に17ゴール10アシストを記録。シーズン終了後には自身初となるPFA年間ベストイレブンに選出される。
2021-22シーズン開幕戦では、前年王者マンチェスター・シティを相手に決勝ゴールを決める順調なスタートを切る。シーズン前半戦はチームの不調に加え、相棒ケインの不調という状況で孤軍奮闘。2021年だけで公式戦二桁得点を記録する。アントニオ・コンテが監督に就任し、チームが復調。さらにケインも復調した年明け以降は、負担が減ったことでさらにゴールを量産。2022年4月9日のアストン・ヴィラ戦ではハットトリックを記録。5月7日の第34節リヴァプール戦では、リヴァプールの連勝記録を止めるゴールを決め、ゴール数が自身初となる20ゴールの大台に到達。5月12日のアーセナルとのダービーマッチはCL出場権を争う重要な試合となったが、チームの3点目を決め勝利に貢献。4月と5月の脅威的な追い上げによって得点王への期待も大きく膨らむと、5月22日の最終節ノリッジ戦で後半に2ゴールを決め、結果23ゴール7アシストでシーズンを終え、モハメド・サラーと並びプレミアリーグ得点王を獲得する。なお、欧州4大リーグでアジア出身の選手が得点王を獲得したのは史上初の快挙である。
2022-23シーズンは開幕から調子があがらず、公式戦8試合連続ノーゴールという状況になる。批判の声が高まるようになった中で2022年9月17日のレスター・シティ戦ではスタメンを外れる。だが、後半14分から出場すると、待望のシーズン初ゴールを決めたのを皮切りにハットトリックの大活躍を見せる。11月1日のCL オリンピック・マルセイユ戦で左眼窩底骨折を負い、前半29分で交代となる。その後も前年のような爆発的な得点力を発揮できず、CL出場権獲得から遠のくチームにあって批判の対象の一人とされる。それでも終盤になり本来の得点力を発揮するようになり、2023年4月30日のリヴァプール戦でゴールを決め、プレミアリーグで7シーズン連続での二桁得点に到達する。
2023-24シーズンは、退団したケインに変わってチームのキャプテンに就任。2023年9月2日のプレミアリーグ第4節バーンリー戦ではキャプテン就任後初ゴールを含むハットトリックの大活躍を見せ、チームを勝利に導く。9月24日のアーセナルとのノース・ロンドンダービーでも2ゴールを決める。ポジションもケインが務めていた3トップのセンターに移り、好調なスパーズのエースとして9月は4試合6ゴールの活躍を見せ、3年ぶりに月間最優秀選手に選ばれる。その後、チームが失速する中でも攻撃の大黒柱としての役割を務め、コンスタントにゴールを決める。アジアカップから戻って来た後も好調を維持し、アーセナル、リヴァプールといった強豪相手にもゴールを決めている。最終的にリーグ戦17ゴール10アシストの二桁ゴール、二桁アシストを達成。ELでも4ゴールを決めている。
2008年に韓国U-17代表に選出され、翌年10月にナイジェリアで開催された2009 FIFA U-17ワールドカップに出場。グループリーグ初戦のウルグアイ戦と第3戦のアルジェリア戦でゴールを決め、グループ2位通過に貢献。準々決勝のナイジェリア戦で一度は同点とするゴールを決めるが、チームは敗れる。それでもチームトップの3ゴールを決め、韓国のベスト8進出の立役者となる。
2010年12月に初めて韓国代表に選出されると、12月30日のシリアとの親善試合で18歳の若さでフル代表デビューを果たす。2011年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2011にも出場。1月18日のグループリーグ第3戦のインド戦において後半36分に代表初ゴールを記録。その後はコンスタントに代表で出場できずにいたが、2013年3月26日、2014 FIFAワールドカップ アジア最終予選で2勝1分1敗という状況でのホームのカタール戦において、1-1で迎えた試合終了直前に値千金の決勝ゴールを決め、ワールドカップ出場権獲得の立役者となる。
2014年6月にブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップに出場する韓国代表メンバーに選出される。グループリーグ3試合全てにスタメンとして出場し、第2戦のアルジェリア戦ではワールドカップ初ゴールを決める。しかし、チームは1勝もできないままグループリーグ敗退となる。また、9月に自国開催となる仁川アジア大会に大韓サッカー協会は出場させようとするが、所属するレヴァークーゼンが承諾しなかったことで実現しなかった。
2015年1月にはオーストラリアで開催されたAFCアジアカップ2015に出場。欧州での実績からエースとしての活躍が期待される立場となったが、グループリーグの3試合では不発に終わる。だが、準々決勝のウズベキスタン戦の延長戦で2ゴールを決め、ようやく勝利に貢献。準決勝のイラク戦も勝ち抜いたチームは、決勝で開催国のオーストラリアと対戦。0-1でビハインドを背負い敗色濃厚となった後半終了直前に起死回生の同点ゴールを決め、チームを救う。しかし、延長戦で力尽きたチームは準優勝に終わる。大会のベストイレブンに選出されたが、自身初の代表でのタイトルを逃すことに。
2015年9月3日の2018 FIFAワールドカップ アジア2次予選ラオス戦では自身代表で初となるハットトリックを記録。2次予選ではチームトップとなる6ゴールを記録している。
2016年8月に開催されたリオデジャネイロオリンピックに出場するU-23韓国代表にオーバーエイジ枠として選出される。メダルを獲得すれば兵役が免除されるという条件が付いたことから所属するトッテナムからの出場許可を得ることができ、高いモチベーションで挑んだはずだったが、初戦のフィジー戦のPKによる1ゴールのみに終わり、チームも準々決勝で敗退。OAとして出場しながら、スパーズで見せる活躍が発揮できなかったことで批判を受け、兵役免除のチャンスも逃すことに。
2016年9月からの2018 FIFAワールドカップ アジア最終予選では、すでに世界的なビッグネームとなっていたことで相手からの徹底マークに遭い、孤立する場面が多くなる。2016年10月6日のカタール戦では貴重な決勝ゴールを決めて勝利に貢献するが、最終予選でのゴールはこの1ゴールのみとなる。
2018年6月には、自身にとって2度目となる2018 FIFAワールドカップ ロシア大会に出場。第2戦のメキシコ戦で試合終了間際にゴールを決めるものの、チームはグループリーグ2連敗で早くも敗退が決定する。それでも、第3戦では前回優勝国のドイツを相手にまたも試合終了直前にゴールを決め、強豪相手の大金星に貢献。結果、大国ドイツを道連れに大会を去ることになる。
2018年8月にはインドネシアで開催される第18回アジア競技大会に出場するU-23韓国代表にOA枠で選出。出場が認められた背景には、21か月間の兵役義務が目前に迫っており、所属するトッテナムも異例中の異例でプレミアリーグの序盤戦を欠場することになっても出場を認めることとなった。いわば今後のサッカー人生を大きく左右する重要な大会となったのだった。キャプテンを任されたソンは、豊富な国際経験でチームを牽引。決勝の日本戦は延長戦までもつれこむこととなったが、2アシストの活躍によって見事韓国を優勝へと導く。1ゴール5アシストと若手をサポートしつつ、ラストチャンスで兵役免除を勝ち取ることができた。そして、この大会がプロになって初めて獲得したタイトルとなった。
2019年1月には、UAEで開催されたAFCアジアカップ2019に出場。しかし、自身はまさかの大会ノーゴールで終え、チームも準々決勝でカタールに敗れ、失意の大会となる。大会後、キ・ソンヨンが代表引退を表明したことで韓国代表のキャプテンに就任。2021年9月からの2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選では、チーム最多の4ゴールを記録し、9大会連続での出場権獲得に貢献する。2022年6月6日のチリ戦で韓国代表として100試合目の出場を果たし、FKからの直接ゴールを決める。
2022年11月に開催された2022 FIFAワールドカップ・カタール大会は直前のCLで左眼窩底骨折を負い手術を受けたことで出場が危ぶまれたが、顔にフェイスガードを付けて強行出場する。大会では全4試合でフル出場を果たしたものの、やはり負傷の影響で本調子ではなくノーゴールに終わる。それでもグループリーグ第3戦のポルトガル戦では、試合終了直前のファン・ヒチャンの決勝ゴールをアシストし大逆転での決勝トーナメント進出に貢献している。
2024年1月のAFCアジアカップ2023では、第2戦のヨルダン戦で先制ゴールとなるPKを決め、第3戦のマレーシア戦でも試合終了間際に勝ち越しゴールとなるPKを決めている。準々決勝のオーストラリア戦では延長戦に決勝ゴールとなる直接FKを決め、チームを勝利に導いている。しかし、準決勝のヨルダン戦で敗れ、タイトルを獲得することはできなかった。
大会後、ヨルダン戦の前日に食事を早々に終わらせて卓球を興じようとしていたイ・ガンインら若手選手を咎めたことで揉め事が起きたことが発覚。注意された若手勢が反発し揉み合いになった際にソンは指を脱臼。韓国国内ではイ・ガンインらに対する激しいバッシングが巻き起こる騒動となる。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2010-11 | ![]() |
ハンブルガー | ブンデスリーガ | 13 | 3 |
2011-12 | ![]() |
ハンブルガー | ブンデスリーガ | 27 | 5 |
2012-13 | ![]() |
ハンブルガー | ブンデスリーガ | 33 | 12 |
2013-14 | ![]() |
レヴァークーゼン | ブンデスリーガ | 31 | 10 |
2014-15 | ![]() |
レヴァークーゼン | ブンデスリーガ | 30 | 11 |
2015-16 | ![]() |
レヴァークーゼン | ブンデスリーガ | 1 | 0 |
![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 28 | 4 | |
2016-17 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 34 | 14 |
2017-18 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 37 | 12 |
2018-19 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 31 | 12 |
2019-20 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 30 | 11 |
2020-21 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 37 | 17 |
2021-22 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 35 | 23 |
2022-23 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 36 | 10 |
2023-24 | ![]() |
トッテナム | プレミアリーグ | 35 | 17 |
攻撃的なポジションならどこでもこなせるが、メインポジションは左ウイング。スピードに乗ったドリブルからのカットインが最も得意なプレーであり、細かいタッチでかわしながら、スペースを見つけた時にギアを上げて一気に抜き去ることが多い。フィジカルも強いため、屈強なイングランドのDFに当たられてもバランスを崩すことなく、ボールを運ぶことができる。
決定力の高さも世界トップクラスであり、逆足の精度も高く、両足からパンチ力のあるシュートを叩き込むことができる。ストライカー的なセンスも高く、フリーランニングでDFの死角に入り込むのがうまい。同サイドでボールを回している間に内側へ入り込み、相手の意識が外側に行ったところで再度外側へ回り込み、マークを外してボールを受けたり、必要に応じて逆サイドへ流れるなど味方をサポートする動きにも長けている。
2019年と2020年に2年連続で二桁得点二桁アシストを記録するなど、周りを使うプレーも年々進化しており、トッテナムでのハリー・ケインとのコンビネーションは阿吽の呼吸と言えるレベル。
守備での貢献度も高く、運動量とスピードを生かして献身的に前線からプレッシャーをかける。ただし、プレスバックのタイミングを間違えたり、自陣に戻っての守備は得意ではない面もある。
逆境に強く、勝負強いため強靭なメンタルの持ち主だが、熱くなりすぎてしまうのは弱点であり、感情的になってラフプレーに走ったり、報復行為など余計なことをしてしまうのは玉に瑕。
母国韓国では絶大な人気を誇るスーパースターであり、同国での好きなスポーツ選手のアンケートでは2017年から2021年まで5年連続1位に輝いている。
父親のソン・ウンジョンは韓国版・星一徹と言えるほど徹底的なスパルタ指導で息子を幼い頃から鍛えており、逆足の左足をうまく使えるように日常生活において靴ひもを結ぶとき、靴下を履くときなどを左足からするよう促している。この独自のトレーニング方法は欧州でも注目を集め、BBCニュースで特集が組まれたほど。
フンミンがハンブルガーに加入した際は、息子をさらに鍛えるためにドイツまで付いてきており、アカデミーの隣の安いモーテルに宿泊。早朝に息子を叩き起こすと、チーム練習前にみっちりとウエイトトレーニングとシュート練習を課している。一方、祖国を離れた息子がホームシックにならないよう韓国料理を自ら振る舞うなど、生活面でサポートしている。
世界的なスター選手となっても父の教えは守っており、24時間をサッカーのために費やすストイックな生活を送り、引退するまで結婚はしないと宣言している。
レヴァークーゼン時代のチームメイトであるハカン・チャルハノールとは犬猿の仲だと言われており、トッテナムへ移籍した際、強引なやり方で移籍を進めた経緯もあって互いにメディアを通して口論となっている。
掲示板
3 ななしのよっしん
2022/12/05(月) 19:41:27 ID: IahdAF00NT
韓国チームの戦い方がポケモンでいうとレベル90の御三家一体とレベル40の旅パで四天王やチャンピオンに挑むようで心配すぎる
4 ななしのよっしん
2023/07/18(火) 08:19:21 ID: ZGDtC0EgF/
こいつのお陰で市場価値が韓国のほうが高いニダーってホルホルしてるんだけど
日刊直接対決では直近でも日本3-0だったり。
21年シーズンだったか全世代で17-0とかなんだよね
アジア最高の選手が居るのになんでだろね?w
W杯でも点取れないあたり只のケインの寄生虫なんだろか
5 ななしのよっしん
2024/09/14(土) 13:42:09 ID: 9n2YtXqQAB
トッテナムがソン・フンミンを今季限りで放出か
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最終更新:2025/03/19(水) 21:00
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