アストン・ヴィラ(Aston Villa Football Club)とは、イングランド・プレミアリーグに所属するサッカークラブである。本拠地はバーミンガム。ホームスタジアムはヴィラ・パーク。愛称はヴィラ。
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1874年創設。1部(現プレミアリーグ)、FAカップを7回ずつ制した経験を持つ古豪。著名なサポーターとしてはイギリスのウィリアム王子が有名。
1888年に世界最古のサッカーリーグとして開始されたフットボールリーグに参加した最初の12クラブの中の1クラブであり、1910年代までに6度のリーグ優勝を果たしている。しかしその後FAカップ優勝を数度挟み、長年タイトルから遠ざかることとなる。
長い低迷期を経て1980年代に入ると黄金期が到来。1980-1981シーズンに約70年ぶりとなる1部リーグ優勝を果たすと、翌1981-1982シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)でクラブ史上初の優勝を成し遂げた。しかしそれも長く続かずまたもや低迷。その後2部への降格などを経て、現在はプレミアリーグの中堅としての立ち位置を確立している。2010年代に入るとさらに低迷期に差し掛かり、2015-16シーズンにはとうとう2部のフットボールリーグ・チャンピオンシップへの降格の憂き目を経験している。近年はエジプト企業のNSWEグループの投資を受けることで資金力を得られ、チーム力を増している。
イングリッシュフットボール全クラブ中2位となる110シーズンをトップリーグで過ごし、全クラブ中2位となる76人のイングランド代表選手を輩出した実績を持つ名門であり、1888年の創設以来、イングランドのトップリーグの歴代順位で5位にランクされている。クラブの伝統的なユニフォームの色はクラレットのシャツにスカイブルーの袖、白いショーツ、スカイブルーのソックスである。
同じバーミンガムを本拠地とするバーミンガム・シティFCとは激しいライバル関係にあり、両チームの対決はバーミンガム・ダービーとして盛り上がりを見せている。ヴィラの支持層は市北部郊外在住の中産階級が多く、バーミンガムの支持層は市南部や東部在住の労働者階級が多いと言われている。
1874年11月21日にハンズワースのヴィラ・クロス・ウェズリアン・チャペル(現在はバーミンガムの一部)のメンバーによって結成されたと言われている。1876年にヴィラの選手たちの練習試合に偶然出くわしたというスコットランド出身のジョージ・ラムゼーがチームに加わり、彼がキャプテンとしてチームを牽引したことで当時のイングランドでも革新的な素早いパスを回すスタイルのフットボールを見せるようになる。
1884年にクラブのスタイルを構築したラムゼーが監督に就任。翌年にはクラブがプロ化し、1887年にミッドランド地方のチームとして初めてFAカップを制覇し、全国的に有名になる。1888年9月に始まったフットボールリーグに最初から参加した12クラブの一つとなり、チームはアーチー・ハンター、ジェームズ・コーワン、ジョン・キャンベルといった才能あるスコットランド人選手によって強化されていた。1893-94シーズンに初優勝を飾ると、1909-10シーズンまで6度の優勝を達成した。1896-97シーズンは、FAカップも制しクラブ史上初のダブルを成し遂げ、ヴィクトリア朝において最も成功したフットボールチームとなる。
しかし、42年間もの間に監督を務めたラムゼーが退任すると、クラブは低迷期を迎える。1936-37シーズンにクラブ史上初めて2部へ降格。わずか1年で1部に復帰し以降はトップディヴィしょんの地位を保ったものの、第2次世界大戦中の中断期間を挟み、長らくタイトルから遠ざかっていた。それでも1956-57シーズンには決勝でマンチェスター・ユナイテッドを下して7度目のFAカップ優勝を果たし、1960-61シーズンにはフットボールリーグ・カップ初優勝を飾っている。
1960年代に入ると、クラブはさらに深刻な暗黒期へと突入。負債が膨らみ、深刻な財政危機に直面していたクラブは1966-67シーズンに2部降格が決まると、1969-70シーズンに3部に降格し2部昇格に2シーズンを要してしまう。クラブは新たな会長を迎え、負債の清算と共にチームの改革を図るが、そう簡単に立て直すことができず、2部からなかなか抜け出せずにいた。
1974年にロン・サンダースを監督に招聘。フィジカルを重視したサンダースのスタイルによって沈んでいたチームは生まれ変わり、就任2年目の1975-76シーズンに9年ぶりに1部リーグへ復帰。しかもリーグカップ優勝というタイトルも獲得している。1部に返り咲いたヴィラは、ブライアン・リトルとアンディ・グレイの強力なストライカーコンビを擁して強豪クラブへの道を歩むようになり、1976ー77シーズンにはリーグカップを連覇。やがてクラブの全権を掌握するようになったサンダースのもとでクラブは常勝チームへと変貌していき、ゲイリー・ショー、ゴードン・コーワンズ、トニー・モーリー、キャプテンのデニス・モーティマーなどがチームの中心となった1980-81シーズンに70年ぶり7度目のリーグ優勝を果たす。
1981-82シーズンにはイングランド王者としてUEFAチャンピオンズカップに初出場。準々決勝を前にチームを強豪へと育てあげたサンダース監督がフロントとの対立で辞任するというまさかの事態が起きるが、監督に昇格したトニー・バートンのもとでチームは決勝まで進出。デ・カイプでの決勝ではカールハインツ・ルンメニゲを擁するバイエルン・ミュンヘンを相手に1-0で勝利し、欧州王者の座に輝く。
まさに欧州の頂点に立ったヴィラだったが、その栄光も長くは続かなかった。クラブは多額の負債を抱え、1980年から1982年にかけてヴィラパークのノーススタンドの建設をめぐる不正な財務活動について警察から疑問が提起される。結果、サンダース時代のチームは事実上解体となってしまい、弱体化。1986-87シーズンにヨーロッパ制覇から僅か5年で2部へ降格してしまう。それでも、監督に就任したグラハム・テイラーのもとでチームは立ち直り、1年で1部に復帰。1989-90シーズンにはリーグ2位と躍進している。
1992-93シーズンに新設されたプレミアリーグに創設メンバーとして初年度から参加し、マンチェスター・ユナイテッドに次ぐ2位になる。1995-96シーズンにはリーグカップを制覇。以降はプレミアリーグの中堅チームとしての地位で定着するようになる。2000年にFAカップ決勝に進出したものの、旧ウェンブリー・スタジアムで行われた最後の試合でチェルシーFCに0-1で敗れて準優勝に終わっている。
2007年夏にランディ・ラーナーが新オーナーとなり、マーティン・オニールが監督に就任。オニール監督はガブリエル・アグボンラホル、ガレス・バリー、アシュリー・ヤング、スティリアン・ペトロフ、ジェームズ・ミルナーといった選手を中心に堅守速攻の手堅いチーム作りをおこない、3シーズン連続で6位に入るなどBIG4に次ぐ勢力として力をつけていた。ところが、2010-11シーズン開幕5日前に中心選手を次々と売却するオーナーの方針に反発したオニールが突如辞任。ここからクラブは次々と監督が交代となる混乱期に入り、さらに2012年2月、クラブは5390万ポンド(約69億円)の損失を計上。結局ラーナーはクラブを手放すことになる。
財政難の中、クリスティアン・ベンテケの活躍もあって何とかプレミアリーグの地位を保っていたが、2015-16シーズンはそのベンテケも売却せざるを得なくなってしまう。エースの穴を埋められないチームは二度の監督交代も効果は無く、1987年以来となる2部のFLC降格となってしまう。その後、中国人実業家がオーナーとなるが、チームの財政を立て直すことができず、ELCでも13位と低迷してしまう。2017-18シーズンもプレーオフで敗れ、2シーズン続けてプレミアリーグ復帰に失敗。
一時は解散の危機も報じられるほど財政危機が深刻化していたクラブだったが、アメリカの投資会社アタイロスが所有する企業であるVスポーツが買収。2019-20シーズン、ジャック・グリーリッシュ、タミー・エイブラハムの活躍によってプレーオフを勝ち抜き、3年ぶりにプレミアリーグに復帰。プレミアリーグに復帰後毎年降格の危機に直面する危ういシーズンが続いていた。2020-21シーズンにはエースのグリーリッシュを1億ポンドという記録的な金額でマンチェスター・シティへ売却。その資金を元に補強をおこない、シーズン途中にリヴァプールFCのレジェンドであるスティーブン・ジェラードが監督に就任。しかし、チームの成績は好転しないままだった。
2022年10月、成績不振を理由にジェラード監督を解任し、UEFAヨーロッパリーグ4度の優勝の実績を持つウナイ・エメリを監督に招聘。エメリのヴィラは躍進し降格圏に沈んでいたチームを最終的に7位に導き、2023-24シーズンには大型補強を敢行。前シーズンから続くプレミアリーグ、ホームゲーム15連勝を記録し2位で年内のリーグを折り返すなど大躍進を遂げる。しかもこのシーズンの2強であるマンチェスター・シティとアーセナル相手に白星を飾っており、最終的にリーグ戦4位でフィニッシュ。1982-83シーズン以来のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得している。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ![]() |
ウナイ・エメリ | 1971.11.3 | 2022 | ビジャレアルCF 監督 |
2 | DF | ![]() |
マティ・キャッシュ | 1997.8.7 | 2020 | ノッティンガム・フォレスト |
3 | DF | ![]() |
アクセル・ディサシ | 1998.3.11 | 2025 | チェルシーFC |
4 | DF | ![]() |
エズリ・コンサ | 1997.10.23 | 2019 | ブレントフォード |
5 | DF | ![]() |
タイロン・ミングス | 1993.3.13 | 2019 | ボーンマス |
6 | MF | ![]() |
ロス・バークリー | 1993.12.5 | 2024 | ルートン・タウン |
7 | MF | ![]() |
ジョン・マッギン(C) | 1994.10.8 | 2018 | ハイバーニアン |
8 | MF | ![]() |
ユーリ・ティーレマンス | 1997.5.7 | 2023 | レスター・シティ |
9 | FW | ![]() |
マーカス・ラッシュフォード | 1997.10.31 | 2025 | マンチェスター・ユナイテッド |
11 | FW | ![]() |
オリー・ワトキンス | 1995.12.30 | 2020 | ブレントフォード |
12 | MF | ![]() |
リュカ・ディーニュ | 1993.7.20 | 2022 | エヴァートン |
14 | DF | ![]() |
パウ・トーレス | 1997.1.16 | 2023 | ビジャレアルCF |
16 | MF | ![]() |
アンドレス・ガルシア | 2003.2.7 | 2025 | レバンテ |
17 | MF | ![]() |
ドニエル・マレン | 1999.1.19 | 2025 | ボルシア・ドルトムント |
21 | MF | ![]() |
マルコ・アセンシオ | 1996.1.21 | 2025 | パリ・サンジェルマン |
22 | DF | ![]() |
イアン・マートセン | 2002.3.10 | 2024 | ボルシア・ドルトムント |
23 | GK | ![]() |
エミリアーノ・マルティネス | 1992.9.2 | 2020 | アーセナル |
24 | MF | ![]() |
アマドゥ・オナナ | 2001.8.16 | 2024 | ホッフェンハイム |
25 | GK | ![]() |
ロビン・オルセン | 1997.7.19 | 2022 | シェフィールド・U |
26 | DF | ![]() |
ラマレ・ボハルデ | 2004.1.5 | 2021 | ブリストル |
27 | MF | ![]() |
モーガン・ロジャーズ | 2002.7.26 | 2024 | ミドルスブラ |
30 | DF | ![]() |
コートニー・ホース | 1995.7.16 | 2019 | ワトフォード |
31 | DF | ![]() |
レオン・ベイリー | 1997.8.9 | 2021 | レヴァークーゼン |
41 | MF | ![]() |
ジェイコブ・ラムジー | 2001.5.28 | 2019 | ドンカスター |
44 | MF | ![]() |
ブバカル・カマラ | 1999.11.23 | 2022 | マルセイユ |
45 | DF | ![]() |
トリストン・ロウ ※ | 2006.5.18 | 2024 | アストン・ヴィラユース |
48 | GK | ![]() |
オリヴィエ・ジフ ※ | 2004.6.28 | 2023 | プシュツァ |
50 | MF | ![]() |
シル・スウィルケンズ ※ | 2004.1.6 | 2024 | アストン・ヴィラユース |
54 | MF | ![]() |
エイダン・ボーランド ※ | 2007.4.25 | 2024 | アストン・ヴィラユース |
56 | MF | ![]() |
ジャマルディーン・ジモー ※ | 2006.10.2 | 2024 | アストン・ヴィラユース |
79 | MF | ![]() |
ベン・ブロッシオ ※ | 2007.1.19 | 2024 | アストン・ヴィラユース |
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最終更新:2025/03/22(土) 04:00
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