小池百合子(こいけ ゆりこ)は、日本の政治家、元ジャーナリスト。都民ファーストの会所属。第20.21代東京都知事。
1952年7月15日生まれ。兵庫県芦屋市出身。1976年10月カイロ大学文学部社会学科卒業。
大学卒業後、ジャーナリストとして仕事を始め、1988年にテレビ東京で放送開始した、経済を中心とする夜のニュース番組、「ワールドビジネスサテライト」初代キャスターに就任する。
1992年に、日本新党から参議院議員選挙に出馬し、当選。その後、新進党、自由党(小沢一郎党首時代)、保守党を経て、2002年に自由民主党に加入する。
2003年9月に環境大臣に就任、小泉内閣のもと、「クールビズ」キャンペーンの旗振り役を担った。
2007年、第一次安倍内閣では女性初の防衛大臣に就任。しかし直後に内閣改造が行われ在任期間は1ヶ月半と短かった。
2008年6月10日、ニコニコ動画に「Yuri Channel」を開設し、「小池百合子のNEWSNETWORK」を配信開始。
2010年、当時野党であった自民党のもとで、女性初の総務会長に就任。
衆議院議員、環境大臣、防衛大臣を歴任。防衛大臣では女性初と話題になった。事務次官との関係も話題になった。また、初当選後から日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党と5つの党を渡り歩いてきた「政界渡り鳥」の異名を持つ。
アラビア語通訳を務めた経験から、イスラム、中東地域との政治的な繋がりも多い。
「親学」の考え方を推進する親学推進議員連盟のメンバーであったとされるが、日経DUALのインタビューで「一度だけ誘われて講演を聴きに行ったことはありますが、ちょっと私の考えとは方向性が違うと考えて、以降は何も関わっていません」と述べ、勉強会に一度参加しただけ、としている。
衆議院議員の身であったが、舛添要一の辞職に伴う東京都知事選挙に突如立候補を表明。別の候補を模索していた自民党都議連と衝突し、結局都議連の推薦を得られずに出馬。都議連の推薦した増田寛也と自民党を二分して戦うこととなった。これに伴い、衆議院議員の身分は自動的に失職した。
小池は自民党都議連を「意思決定のプロセスがどうなっているかわからないブラックボックス」と批判し対決姿勢を強める一方、都議連は増田ではなく小池を応援した者を除名処分するという異例の引き締め策を行うことで対抗している。しかし若狭勝衆議院議員や一部の区議会議員らはそれでも小池の応援に来るなどしているほか、元東京都知事である猪瀬直樹が都議連批判への援護射撃を行うなど混沌とした状況が続いている。
立候補に際し、自民党に進退伺を提出。党費も未納になっていたが、最終的に都民ファーストの会代表になるにあたり2017年6月に離党届を提出し受理されている。
外国人参政権には反対を表明している。韓国学校の建設問題については計画の白紙撤回を明言した。
表現規制問題については、
私は東京を文化の発信地にしていきます。コミケ開催地も出版社もその多くが東京にあるのです。東京都が総力を挙げて、コミケを応援します!
と公式で自身のコスプレ画像付きでツイートする[1]一方、小池は過去に国会で表現規制法案についての請願を行ったことがあるなど規制推進派の人物と目されている。これに対して小池側の選対は
「表現規制推進派というのはデマです。規制を進めると言ったことはありません。表現の自由は、しっかりと守るべきだと思います。ただ、漫画などへの支援と規制とは、正反対のベクトルだとは思えません。目をそむけたくなるものも中にはあり、そこをどのように線引きするか議論が必要でしょうね」
と述べている。[2]一方、この線引きを業界団体の自主規制ではなく法令で定めようという動きそのものが表現規制であり、憲法で定められた表現の自由に反するのではないかといった意見もある。
衆院選2017直前の2017年9月25日、自らが代表となる新党「希望の党」の結成を発表。民進党は希望の党との合流を決断するが、「安保、改憲で一致しない人は公認せず排除する」と発言。それに反発したリベラル派の議員らは立憲民主党を設立。また、一部議員は民進党に所属しながら公認を受けない無所属での出馬となる分裂状態になった。 選挙後、玉木雄一郎と共に共同代表になるも、最終的に小池が共同代表を辞任。事実上追い出される形になった。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/18(水) 10:00
最終更新:2024/12/18(水) 10:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。