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岩手県交通とは異なります。 |
岩手県北バス(正式名称:岩手県北自動車株式会社)は、岩手県盛岡市厨川1-17-18に本社を構えるバス事業者。
通称、「県北バス」。
歴史的経緯から、岩手県内の北部のバス事業を牛耳っている存在の企業である。
県中部・南部は「岩手県交通」が牛耳っている。
また、宮古市内にて浄土ヶ浜を遊覧する観光船や浄土ヶ浜パークホテルを、
八幡平市内にて東北自動車道岩手山SA(上り線側)の施設運営をしている。
岩手県内にて道路旅客運送が始まったのは1906年。馬車で、盛岡市と東閉伊郡宮古町(現:宮古市)を結んでいた。1912年にバス輸送になった。
1923年に鉄道省によって山田線が開通するまでバス輸送は続けられた。
その後、県内に多数の中小バス事業者が誕生するが、第二次世界大戦の真っ只中である1942年、陸上交通統制の通達が出されたことにより、県内の太平洋側北部エリアのバス事業者は「岩手県北自動車」として強制的に合併されることとなった。当時の本社は下閉伊郡岩泉町に存在した。
山田線はちょくちょく災害で運休することが多い路線であるが、この路線の代行輸送で生き長らえてきた。
1948年のアイオン台風の際には、県北バスの収支が改善してしまうほど長期間山田線が長らくの間不通になっていた。
山田線は1951年全線復旧するが、沿線自治体からは「県北バスも輸送力を強化するように」との要請が出ていたことから、これに味をしめた県北バスは、盛岡市~宮古市を結ぶ急行バスを運行するようになった。
当初は国道がまだ未完成だったことから、片道5時間もかかっていたが、1978年に国道106号線の改良工事が完成すると片道2時間程度での運行が可能となり、「106急行」という愛称が付けられた。
県北バスは106急行に社運を賭けており、鉄道より速くマイカーより快適というウリ文句で営業を開始した。
すると、これが大当たり。山田線から乗客を奪い取ることに成功した。
続行便を出し、経営が更に改善するほどのレベルにまでなった。
しかし、2008年に発生した岩手・宮城内陸地震や燃料費高騰などの煽りを受け、2009年民事再生法の適用を申請し、事実上の倒産となった。
その後、経営共創基盤(みちのりホールディングス)の支援を受け、経営再建に入った。
元々は南部鉄道という鉄道事業者であったが鉄道事業からの撤退に伴い1970年に南部バスに改名・業態変更した。
2013年からはツアーバス最大手のウィラーエクスプレスと事業提携し、合弁企業「南部ウィラーエクスプレス株式会社」(後にウィラーエクスプレス東北株式会社に改称、現在はウィラーエクスプレス関東(現:ウィラーエクスプレス)に吸収され消滅)を設立。
しかし、またもや悲劇は訪れてしまう。
2016年、民事再生法の適用を申請し事実上の倒産に追い込まれた。負債総額は約30億円だった。
その後、南部バスは事業を岩手県北部を牛耳るバス事業者『岩手県北バス』に譲渡する契約を結び、南部バスの企業そのものは消滅することになるが、ブランドとしては残ることが決まっている。従業員は県北バスがそのまま再雇用する。
2018年、ツアーバス時代から運行業務を行ってきたウィラーエクスプレスの運行から撤退し、翌年より同じ路線のままみちのりグループ共通ブランドであるMICHINORI EXPRESS(MEX)に転換する。
掲示板
提供: スメルジャコフ
提供: ゆんなの
提供: ゲスト
提供: ミキ
提供: 大好き!模造アイドル
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最終更新:2025/04/13(日) 13:00
最終更新:2025/04/13(日) 13:00
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