政府と宗教を分離させ、個人に対して信教の自由や思想・良心の自由を十分に保障しようとする制度が政教分離である。
公の場から宗教を徹底的に排除するという思想は、生活の一部 (服装・食事の慣習等) にまで信仰の影響がある宗教と激しく対立する。イスラム教は信者の行動を規定しようとする傾向が強いので、イスラム教の勢力が強い国では政教分離にならず、その反対の政教一致になる傾向が強い。
政教分離を導入している国の代表例は、フランス、アメリカ合衆国、日本である。
政教分離の一番の実例がフランスのライシテである。
アメリカにおいては、政教分離は「宗教の政治への介入の阻止」ではなく、「政治の宗教への介入の阻止」を意味する。アメリカがイギリスから独立した際、アメリカはイギリスのように国教(イギリス国教会)を定めるのではなく、特定の宗教を国教として定めないことを定めた。これが結果として、アメリカ国内における様々な宗教団体の活動を促進させ、政治に対する宗教の影響力を強めたのである。例としては、アメリカ南東部のバイブル・ベルトを中心に活動する福音派(保守派・共和党支持)など。
日本において、戦前は神道が実質的国教 (国家神道) として振る舞っていた。しかし敗戦後GHQによって国家神道が解体され、日本国憲法が導入され、政教分離がすすめられることとなった。
戦後の日本においては日本国憲法第20条において信教の自由とともに明記されている。第3項において国及びその機関は、宗教教育や宗教的活動を禁じられている。政教分離が特に議論されるものとしては、公機関の宗教活動に対する関与が挙げられる (愛媛県靖国神社玉串訴訟など) 。
日本国憲法第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 又は政治上の権力を行使してはならない。
日本国憲法第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
日本国憲法第20条第1項では、国が宗教団体に特権を与えることを禁じている。この特権とは、他の団体から区別して宗教団体のみに与えられる優遇的地位・利益や、他の宗教団体から区別して特定の宗教団体のみに与えるのみに与えられる優遇的地位・利益のことをいう。
日本において宗教団体は、宗教法人法に基づいて法人格を得て宗教法人になると租税に関して様々な優遇措置を受けられる。しかし、宗教法人以外の公益法人も租税に関して様々な優遇措置を受けている[1]。宗教業界だけが特別扱いされているのではないので、合憲とされる。
国教制度や公認宗教制度は、日本国憲法第20条第1項によって完全に否定される。これにより個人が好みの宗教団体を選べるようになり、信教の自由が保障される。
戦前の日本は神道が実質的に国教 (国家神道) として振る舞っていたし、イギリスは英国国教会を国教としていて、サウジアラビアはイスラム教ワッハーブ派を国教としているが、そうしたことを現在の日本政府が模倣することは不可能である。
またドイツやイタリアでは国家と宗教団体の一定の協力関係を維持しており、公認宗教制度を導入している。ドイツにいたっては、公法上の社団である宗教団体に対して教会税賦課徴収権を憲法で認めている[2]。こうした制度を現在の日本政府が模倣することは不可能である。
日本政府は、特定の宗教団体に対して補助金を支給し、宗教団体が保有する建築物や仏像の保存を支援することがある。これは文化財の保護という世俗的な目的による補助金の支給とされ、「特定の宗教団体に特権を与えたのではなく、特定の『貴重な文化財を保有する団体』に特権を与えた」「宗教団体の使用・便益・維持のために公金を支出したのではなく、『貴重な文化財を保有する団体』の文化財維持事業のために公金を支出した」と解釈され、日本国憲法第20条第1項や第89条に違反しないとされる。
日本国憲法第20条第1項では、国が宗教団体に「政治上の権力」を与えることを禁止している。
この「政治上の権力」は、憲法学者の佐藤功によれば「政治的権威の機能」「政治的影響力」と解釈される[3]。
しかし憲法学者の佐藤幸治は「政治力の権力は、第20条第1項全体の趣旨に照らし、課税権とか裁判権といった統治的権力を指すと解すべきであろう」と論じている[4]。
日本国憲法第20条第3項では、国が宗教教育をすることを禁止している。
ここでの宗教教育は、特定の宗教を宣伝することや特定の宗教を排斥することを目的として行う教育のことをいう[5]。ゆえに、特定の宗教の教義を解説し、特定の宗教に対する理解と寛容の精神を養うための教育は禁止されない[6]。
日本国憲法第20条第3項では、国に対して、いかなる宗教的活動をすることも禁止している。
ここでの宗教的活動をどのように定義するかは、長らく「目的・効果基準」が用いられてきた。「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる行為」のことを宗教的活動とするものである。津地鎮祭訴訟の1977年7月13日最高裁判決で初めて登場した。基準とするには大まかすぎ、裁判官の中に有用性を疑問視する人もいるが、より適切な代替案も見当たらないので、学説の多くはこの「目的・効果基準」によりつつ厳格な適用を志向している[7]。
学校の教室でクリスマスツリーを飾るような行為は、特定の宗教に源を持つものであるが一般人にそのことを感じさせない程度まで生活様式化・慣例化しているので、行為の目的が宗教的意義を持たず、宗教的活動に当たらない[8]。
地鎮祭は一般的慣習に従った儀礼であって、宗教的意義の目的を持たない行為である。ゆえに合憲とした
合祀申請は県隊友会による単独行為であり、政府が関わっていない。自衛隊職員の関わり方も事務的であり、宗教的意義の目的を持たない行為である。ゆえに合憲とした
地蔵像の信仰は習俗化しており、宗教的意義の目的を持たない行為である。ゆえに合憲とした
忠魂碑は戦没者記念碑的性格のものであり特定宗教との関わりが薄い。それに対する公金支出は宗教的意義の目的を持たない行為である。ゆえに合憲とした
史上初めて違憲判決が出た。靖国神社への公金支出は現存する宗教団体への公金支出であると判断された。
小泉純一郎内閣総理大臣が靖国神社に参拝したが、人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫・干渉を加えるような性質のものではない。ゆえに合憲とされた。
目的・効果基準を使わずに判断し、史上2例目の違憲判決となった。
目的・効果基準を使わずに判断し、史上3例目の違憲判決となった。
21世紀の日本では、統一教会や神道政治連盟や全日本仏教会が自民党の支持基盤となり、創価学会が公明党の支持基盤となり、立正佼成会や浄土真宗本願寺派が立憲民主党の支持基盤となり、幸福の科学が幸福実現党の支持基盤となっていて、さまざまな宗教団体が政党に対して政治的影響力を多少なりとも及ぼしているが、いずれの宗教団体も課税権や裁判権といった統治的権力を獲得するに至っていない。
こうした現象は、佐藤功の解釈に従うと宗教団体が「政治上の権力」を得ていて違憲であるということになり、佐藤幸治の解釈に従うと宗教団体が「政治上の権力」を得ているわけではなく合憲ということになる。
僧侶や宗教法人職員といった宗教関係者が既存の政党の公認を得て立候補する例がある。これを問題視して規制を求める声もあるが、立候補者の信教の自由や職業選択の自由を尊重せねばならず、日本国憲法第14条の法の下の平等を尊重せねばならず、規制することは不可能である。
掲示板
426 ななしのよっしん
2023/11/22(水) 20:42:51 ID: 69d2fzM39l
キチ田「今後は統一教会には期待できないので創価学会の皆さん選挙協力よろしくお願いしますw」
427 ななしのよっしん
2023/12/25(月) 19:02:46 ID: PITj1CxdLr
そりゃあ、靖国神社にしか記念物が残ってないような部隊もいるから、更地にしろとは言えんわ。
ただ、単に国家神道の色を払拭してくれ。
あの周辺の土地勘あるが、天皇崇拝の変な宗教やら黒い街宣車やら異様である。
428 ななしのよっしん
2024/11/14(木) 17:09:05 ID: iec2F+XfQw
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最終更新:2025/04/22(火) 14:00
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