本土決戦 単語

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ホンドケッセン

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本土決戦とは、

  1. 戦争において土といえる場所でおこなわれる地上戦。
  2. 第二次世界大戦中に日本が計画した、1にカテゴライズされる連合軍との戦い。

以上のことをさすが、本稿では特に2について記述する。

概要

1945年8月日本は降し、太平洋戦争大東亜戦争)は終結を見た。しかし、徹底抗戦を叫ぶ陸海軍の一部将校らのは強く、戦争がさらに続く可性はないとはいえなかった。終戦間際に皇居周辺で起きた「宮城事件」や最大戦力を有する部隊の決起「厚木航空隊事件」など、次第でいかに転ぶかはわからぬ、まさに間一のところで戦闘を続行せずに済んだという事が、現在では数々の資料から明らかになっている。

アメリカイギリスを中心とする連合軍、そして日本軍は、九州南部四国南部関東地方への上陸から始まる本格的な戦いを、1945年から始まるものと予想していた。そしてそれに伴う作戦を、日本では決号作戦、連合軍ではオリンピック作戦鹿児島県錦江湾方面)・コロネット作戦湘南海岸方面・九十九方面)・ダウンフォール作戦(作戦の総称)と呼び、備えていた。

沖縄戦も、都道府県要部分・そして県庁所在地を含んだ地上戦であるため、本土決戦としてカテゴライズしてもよいかもしれないが、作戦計画などで分けて扱われたためか、沖縄戦が本土戦として扱われることは少ない。ただし沖縄戦には時に言われる「捨て石」と見るにしてはあまりに多数の本土人、本土発進の戦力もつぎ込まれている。

決号作戦

本土決戦の日本側呼称は決号作戦連合軍は日本無条件のみを的としており、仮に無条件すれば綿々と続いた天皇制は失われ、植民地化されて戦勝おもちゃになるのは明だった。天皇制の護持と民族存続のため降などありえない選択肢なのだ。

陸軍の総兵力は約400万。数字の上ではバルバロッサ作戦時のドイツ軍以上の戦力を有している訳だが、これらは満州中国大陸インドシナ東南アジアビルマラバウル太平洋々等の広範囲に散在していて、内地にいたのは僅か45万程度に過ぎなかった。日本海を除く日本の制権はアメリカ軍に握られ、最も近い支那派遣軍関東軍からの抽出も船舶や燃料の不足で困難ビルマ東南アジア方面に至っては全に連絡が断たれていたため実質戦力とはなりえなかった。帝國海軍の戦力はと言うとシンガポールの第10方面艦隊とラバウルの南東方面艦隊が孤立。かろうじて内地に残っていた艦艇群も深刻な燃料不足で巡洋艦以上は行動不能駆逐艦以下の小艦艇のみが細々と活動出来る程度であり、まともに作戦行動が取れたのはディーゼルエンジンで動く潜水艦くらいだった。

1945年1月20日海軍作戦計画大綱に基づき、3月24日作戦準備事項が提示。4月6日に決号作戦と命名された。鈴鹿山脈をに東日本を担当する第一総軍(部:東京)と西日本を担当する第二総軍(部:広島市)を編成した。日本側は連合軍の上陸を1945年と予測し、それに間に合うよう準備を進めた。実際、その予測は当たっていた。

まず駆逐艦率いる第31戦隊回天震洋伏龍といった特攻兵器が出撃し、敵の上陸団を攻撃。1万440機用意された特攻機も呼応して出撃する予定だった。新機2300機は特攻任務から外され、通常攻撃を担った。上陸した敵部隊を、爆撃被害を受けにくい丘陵地帯に展開した地上部隊が迎撃する。二週間以内に20個師団の投入及び敵の3倍相当の砲兵火力を敵上陸部隊に浴びせ、へ追い落とすのが的だった。これを実現するのに必要な戦力と想定された戦力は40個師団と22個独立混成旅団で、定数を満たすために根こそぎ動員を実施。何とか200万人をえた。しかしその大半は、戦闘経験の大人子供で占められていた。

硫黄島の戦いやペリリューの戦いで有用性が明された「敵を内陸に誘引する戦法」を採用していたが、6月20日に従来の際防御作戦に変更。現地部隊から強な反対を受けたが、陸軍元帥によって押し切られてしまっている。6月23日義勇兵役法により1560歳の男性と1740際の女性は新編された義勇戦闘隊に編入。政府中枢や皇居の機松代大本営に移す作業も同時に行われた。

北海道千島列島樺太方面の防衛は第5方面軍(部:札幌)、東北地方は第11方面軍(部:仙台)、関東平野は第12方面軍、南九州は第16方面軍、朝鮮半島は第17方面軍が担当。

だが決号作戦には致命的な欠陥があった。傷病者、看護人、老人といった非戦闘員の存在である。戦闘前に彼らを安全な場所に避難させる必要があったが、上陸の可性が高い南九州だけで20万人、関東では480万人もいた。避難させる見通しや衣食住確立困難であり、最後まで解決策が出なかった。武器の不足も深刻で、小銃すら定数を満たしていなかった。このため臣民は各々が所有する猟銃火縄銃物、果ては竹槍で戦うしかなかった。また8月6日原子爆弾投下により、第二総軍の部が消し飛んでしまった(九州部隊事だったが)。

日本の抵抗能力、実行した場合の見通し

沖縄戦に見切りをつけなければならなくなった1945年以降、日本軍は上陸軍の迎撃に備えて航空戦力や戦車を温存したほか、防御地の構築、上や中からの特攻兵器の準備、根こそぎ動員といった方法で抵抗力を確保する算段であった。

内の状況はどうかというと、大本営が書類として作成した力の計算ですら「局地的には飢餓状態」「汽皆無」などの絶望的な文言が並んでいるありさまであった。戦時中の最高生産力に較すると、鋼35、非金属35、液体燃料24、造27、綿製品2%、毛織物1石鹸4、革製品0台、食用砂糖皆無という、恐ろしくなるような数字が並ぶ。

本土決戦は、このような数字をわかったうえで、精神力で補えば実行できる、という妙な理屈を一文加えただけで、そのままプランを実行しただけに過ぎない。

これが実行されると、軍民あげて猛抵抗をおこない連合軍に出血を強いたとしても、それと引き換えに失われるものがあまりにも大きい。連合側の死傷者は、米軍側の予想では5万人から27万人、日本側の犠牲者予想は作家などの予想として、最小でも200万人、あるいは300万人、特に大きいものでは1750万人など、とてつもない数が並んでいる。史実では1945年8月以降に連合により食料の緊急支援が行われ飢餓を幾分緩和したことを考えると、飢餓による犠牲者も無視できない。さらにソ連軍が北海道上陸を企図しており・・・

記事作成者が「もう考えただけでも嫌になる!」と根を上げたほど、明るい見通しがなきにひとしい。これが本土決戦である、と皆様に伝えたい。

2022年になり、ロシア軍が19万の兵力を用意してウクライナに侵攻したが、ウクライナ全土で繰り広げられている身の毛もよだつ数々の蛮行・死・破壊の光景は、まさに21世紀の本土決戦の現実であると言ってよいかもしれない(これは記事作成者の個人の感想です)。

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