李承燁(イ スンヨプ、1976年8月18日-)とは、韓国出身の元プロ野球選手(内野手)である。
OB | |
---|---|
李承燁 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 大邱広域市 |
生年月日 | 1976年8月18日 |
身長 体重 |
183cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1995年 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
五輪 | 2000年、2008年 |
WBC | 2006年、2013年 |
プロ野球選手テンプレート |
2003年、韓国プロ野球チーム三星ライオンズ所属時代にシーズン56本塁打の大記録を成し遂げる。その後、「国民的打者」と呼ばれるようになるが、一部メディアからは、「国民的置物」と呼ばれてる。
2003年オフ、FA権を行使し、メジャーリーグ志望を明らかにしていたが、日本プロ野球チーム千葉ロッテマリーンズに移籍した。背番号33。本来一塁手だが、福浦和也という不動のレギュラーがおり守備機会は増えず、主に指名打者での出場が多かった。
2006年、ロッテとの契約が切れ、残留で合意したとの報道もあったが球団の起用法に不満があり、結局自由契約となった。その後読売ジャイアンツに移籍した。背番号25。
巨人入団2年目あたりまでは安定した成績を残していたが、急遽大不振に落ち入り、ファーム生活が増えてしまった。
2009年、前年の不調の関係でWBC出場を辞退。前半戦は今までの不振が嘘のように打っていたが、またしても急遽打てなくなり、二軍落ち。
2010年に巨人は李承燁を自由契約。12月2日にオリックス・バファローズと単年契約。背番号は3。
2011年は中軸を期待されたが、打撃不振に陥り二軍落ち。一軍に復帰したが、成績は伸び悩んだ。オフにオリックスを退団、古巣である韓国の三星ライオンズに復帰した。
2012年は日韓通算2000本安打、500本塁打を達成。打率.307、21本塁打、85打点と復活。韓国シリーズでは7打点を挙げ、見事にMVPを獲得した。
2013年はWBCに選出され、10打数4安打と活躍。シーズンではKBO記録であった通算351本塁打を更新したが、打率.253、13本塁打、69打点と成績を落とした。
2016年8月24日に韓国プロ野球新記録の通算1390打点、9月7日に通算2000本安打を記録。
愛称は「置物6億」。年俸6億円を貰っておきながら、打てない事から来ている。
燁の字が機種依存文字のため、スポーツニュースなどでは最後に「火へんに華」という注訳が付いており、同時に彼のあだ名ともなっている。
また、かつて報道陣の取材を受けた際に「すごく興味がある、通信販売でよく日本のゲームを買ってた。枯れない桜の魔法と学生の日常を描いたゲームが好きだった(D.C. ~ダ・カーポ~の事と思われる)」と語った事がある。また、ロッテ時代にランブルローズを所持していた事が発覚したこともある。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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ロッテ | 応援歌のピコカキコ一覧#440 | 9775 | ![]() |
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#581 | 10280 | ![]() |
通算:23年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
KBO:15年 | 1906 | 8270 | 7132 | 1355 | 2156 | 464 | 28 | 467 | 1498 | 57 | 6 | 76 | 953 | 102 | 1344 | 120 | .302 | .389 |
NPB:8年 | 797 | 2969 | 2668 | 394 | 686 | 138 | 8 | 159 | 439 | 18 | 4 | 21 | 252 | 24 | 661 | 40 | .257 | .324 |
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最終更新:2025/04/13(日) 12:00
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