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村上義弘とは、 |
1974年7月6日生まれ、京都府出身。弟の博幸も競輪選手である(86期)。
高校時代から国体の自転車競技で優勝するなど実績を重ね、日本競輪学校に73期生として入学し1994年4月にデビューをする。同期には、2008年に日本選手権と高松宮記念杯競輪を優勝した渡邉晴智がいる。
デビュー後は徹底先行を主体として活躍を見せるも、S級戦では上位クラスで目立った活躍がなかなかできなかった。特別競輪(現在のGⅠ・GⅡ)に出場はするものの、ほとんど準決勝で敗退し決勝に乗れなかった。
大きな転機が迎えたのが、2000年に行なわれたふるさとダービー豊橋(GⅡ)。ここで初めて特別競輪で決勝に乗ると、得意の先行で見事逃げ切り初のタイトルを獲得する。
そして2002年、この年ふるさとダービー弥彦(GⅡ)で優勝すると、同年行なわれた全日本選抜競輪(GⅠ)で悲願のGⅠ初優勝を果たし、この年のKEIRINグランプリにも初めて出場した。
2003年に入るとさらに力を伸ばし、地元京都向日町で行なわれたふるさとダービーで優勝。その後行なわれたオールスター競輪(GⅠ)で自身2個目のGⅠタイトルを獲得する。積極的な先行力を武器にさらなる活躍が期待された。しかし2005年以降はケガや不調が重なり、特別競輪でも決勝にこそ乗るもののあと一歩が届かず低迷期を迎える。
その後迎えた2010年の日本選手権競輪(GⅠ)。この年S級S班に選ばれた村上は、同じくS班に選ばれた弟・博幸とともに決勝に進出。その決勝で兄・義弘が果敢に先行勝負を挑むと、最後は番手から博幸が差して優勝。義弘も2着に入り、兄弟でダービーワンツーという快挙を達成する。その年のKEIRINグランプリ2010でも、義弘の捲くりから最後は博幸が追い込んで優勝を決めている。
ダービーの快挙から1年後の2011年、日本選手権でこの年も決勝に乗った義弘は前を任せた市田佳寿浩が道中落車するというアクシデントの中、自力に切り替えて捲くりを仕掛け見事悲願のダービー制覇を果たす。前年の博幸に続き、史上初の兄弟でのダービー連覇という快挙を決める。
2012年はシーズン序盤から快進撃を見せてきたが、夏場に入ると疲労が蓄積されそこに落車が絡むなど1年を通じて満足のいくシーズンではなかった。しかし、賞金上位で出場したKEIRINグランプリ2012では前年に引き続き単騎での戦いから最終バックで渾身の捲くりでグランプリ初優勝を決めた。2010年の博幸に続いて、史上初の兄弟でのグランプリ優勝となった。
悲願のグランプリチャンピオンとなった2013年、2月の読売新聞社杯全日本選抜競輪(GⅠ)で決勝進出(5着)を果たし迎えた3月の日本選手権。単騎の競争を選んだ村上は早いレース展開の中で終盤武田豊樹の後ろに付き、捲くる武田に乗って最後は追い込みを決めて優勝。自身2度目のダービー優勝を果たし、同時にグランプリ出場&連覇挑戦の権利を手に入れた。
デビュー当時から徹底先行が主体であり、どんな場面においてもとにかく先行を繰り返していたため「先行マニア」と揶揄されるようになった。しかし徐々に力を付け始めると、その積極果敢な走りからいつしか「先行日本一」と呼ばれるようになってきた。特に2003年のKEIRINグランプリ03では、後のアテネオリンピック銀メダリストで村上同様に先行を主体としていた伏見俊昭とのマッチアップは「先行日本一」の座を賭けたレースとして注目を集めた。
現在ではこれまでのように積極果敢に先行する回数は減っているが、それでも捲くりも打てる自在型としても結果を残している。近年近畿勢の若手先行型が増え、番手に回るレースも見られるようになってきた。しかし、現在でも先行は村上にとっては戦法の一つとしており、2010年に行なわれた競輪祭(GⅠ)の決勝では当時売り出し中だった深谷知広に対して先行勝負をしている。
その迷いのない競争スタイル、そして男気溢れるレースぶりは「魂の走り」と称して、多くのファンを引きつけている。
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最終更新:2025/04/23(水) 22:00
最終更新:2025/04/23(水) 21:00
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