正義とは熱く心に秘めるもの。
決して振りかざすものではない。
「~は正義」と一般人の前で叫ぶなど論外である。
対義は不正。もしくは悪(別の対は善)。
義の漢語的語源は儒教における五常徳目「仁・義・礼・智・信」のうちの1つであるが、儒教における義の意味は様々に分かれている。
正義はどうしてもその根本に道徳的(morality)な観念がかかわってくるため、道徳を規定してきたすべての宗教(儒教のような東洋宗教のみならずキリスト教などでも)においても正義について論じられていたり、これを典拠として正義とするような団体が存在する。
日本での正義の概念はこれら宗教的正義のほかに英語における「justice」(政治的正義)としての性質も受けている。しかしこのjusticeも時代によって様々な概念が付与されており、例えば古代では「個人に割り当てられた職務(兵士や革細工師など)を全うすることが個人の正義となり、全ての民衆が割り当てられた職務を全うすることで国家の正義となる」という理論が正義であった。
現代での正義は「法哲学」または法哲学を包含する「自然法論」というジャンルで論じられている。
ルールに合っているか、合っていないかについては明らかであるケースが多いため、それに基づいて正義とか正義じゃないとか言うのは比較的無難であるが、規範、常識、道理などについて正義は、前提としている規範、常識、道理が各人によって根本的に異なることがあるため、そこで正義が衝突してしまうことがよくある。
正義という言葉の意味や目指すところから、正義というのが絶対的な善であると考えてしまい、それを大義名分として他人の正義を無視した強引な行動を起こしてしまうことがある。特にルールや法律などに反した出来事が起こった際には、それを犯した相手や集団が悪であるというお墨付きとなり、過剰な正義感が暴走して誹謗中傷から事件沙汰などを正当化してしまう事態になる場合もある。そこからやたら「振りかざすもの」ではなく「熱く心に秘める」くらいで十分であると考えることができる。
正義は、強引に議論を決定したり、何かを行ったりすることについての万能な根拠となるとはかぎらない。
人間以外でも一部の動物では、攻撃を受けた際の「怒り」等、「正義」「善悪」に繋がりうる感情は持っていることが観察される。しかし「正義」「善悪」の概念を持っていると明確に確認された例は人間以外でこれまで観察されていない。また「子殺し」「強姦」「楽しみのために捕らえた獲物で遊ぶ」など、現代の一般的な人間の倫理観から見ると「正義」「善」とは相反するような行動様式を持つ動物も多数存在する。自然界では「正義」「善」が優遇されている痕跡はこれまで観測されていない。
よって、2019年現在時点では、「正義」「善悪」の概念を明確に持つ存在は人間のみと言ってよいようだ。ただし、将来において「正義」「善悪」の概念を持つ人類以外の存在が人類と接触する / 生み出される可能性は否定できないが。
「正義」「善悪」が現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)が初めて生みだした概念であるのかは不明である。現生人類の祖先となる「その前の種」(ハイデルベルク人など)や、そこから現生人類とは別分岐したがすでに絶滅してしまった種(ネアンデルタール人やデニソワ人など)については、文字記録などが残されていないために彼らの文化や思考を推しはかるには限界があり、「正義」「善悪」の概念をどの程度持っていたかどうかはわからないためだ。
ただし、現生人類のおそらく全ての文化で「正義」「善悪」の概念が生まれていることや、それら別々に生まれた「正義」「善悪」の基準に様々な相違点はあるものの大筋のところでは似通ったところが大きいことから、現生人類の脳は「正義」「善悪」の概念を産み出しやすいものになっていると推定される。そんな現生人類の脳によく類似する脳を持っていたと思われるネアンデルタール人やデニソワ人が、彼らなりの「正義」「善悪」を持っていたとしても何らおかしなことではない。確かめるすべはないが。
しかし断片的な発見物から、ネアンデルタール人が壁画を描いていたり埋葬を行っていたと推測する研究者もいる。もしそれらの推測が正しいとすれば、「美醜」や「死者を悼む心」を感じるほどに現生人類に似通った感性を持っていたネアンデルタール人が「正義」「善悪」の感性も持っていた可能性は低くはないのではないか。
ちなみに、上記の記述はやや無神論的・無宗教的にバイアスがかかっていると感じる人も居るかもしれない。多くの宗教では「正義」「善悪」は神などの超常的存在が、現生人類よりも先に既に持っていた概念であると解釈されることが多く、「人類が進化の過程で生み出した感性」ではないからだ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などのいわゆるアブラハムの宗教での聖典のひとつ『創世記』では「善悪を知る木」が登場し、人類の祖先(アダムとイブ)がこの木の実を口にしたことで「善悪」を知ったこととなっている。なおこれは神(YHVH)に禁じられた行為であった。
男性の名前として用いられる。「まさよし」または「せいぎ」と読む事が多い。
掲示板
3042 ななしのよっしん
2025/02/01(土) 17:42:57 ID: OwRapVuLXS
>>3039
今までもそうやって無理して考えてきたけど、やっぱり一度正義棒を振りかざしたら対象が死ぬまで叩く風潮が社会全体に浸透してしまったからもう駄目だと感じる
3043 ななしのよっしん
2025/02/02(日) 12:38:10 ID: l5ADo5F8zB
嵐の大野みたいに誹謗中傷、名誉毀損に対して然るべき処置を淡々と取っていくしかないね。これは批判とか言って甘く考えてる連中も含めてな。そこら辺は裁判で判断される事。流れてくるニュースのコメント欄やSNSの投稿を見る限り批判では無く誹謗中傷でしかない発信ばかりにしか見えない。
3044 ななしのよっしん
2025/02/16(日) 10:58:19 ID: e4cWY41/wG
この時代になって正義棒(物理含む)で殴る風潮が生まれたんじゃなくて、正義棒で死ぬまで殴るのは多分人類が知恵や言語を手に入れた時からある最古の娯楽なんじゃないかなぁ。
違うのは情報の拡散度合いと昔は物理メインだったのが精神攻撃メインに変わった事だと思う。
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最終更新:2025/02/16(日) 20:00
最終更新:2025/02/16(日) 19:00
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