洞爺丸台風は昭和29年(1954年)9月21日にミクロネシア・ヤップ島で発生し、9月26日2時ごろに日本に上陸した台風である。なお、台風の名称の由来は後に記述する。
昭和29年9月21日にヤップ島沖で発生した台風は非常に速い速度で9月26日2時ごろに大隅半島北部に上陸した。その後九州東部を縦断し、中国地方を時速100kmで進行した。8時に山陰沖から日本海を進行しながら発達し、北海道に接近して寿都町沖を通過、9月27日0時ごろに稚内市に達した。
この台風により函館港を出港した洞爺丸や停泊中の船(北見丸・日高丸・十勝丸・大雪丸)などを含めた5隻の青函連絡船が暴風や高波により座礁・転覆し、乗船客・乗員1139名が犠牲となった。この台風及び事故の後に青函トンネル構想が具体的になるほど、衝撃的な事件であった。
また、北海道岩内町では火鉢の飛び火などが原因で住宅など3000戸が焼失、38人が死亡・行方不明となった。この火事は岩内大火と言われるが洞爺丸の悲劇の陰に隠れて注目度は低いものであった。
昭和37年(1962年)に作家・水上勉が発表し映画化もされた小説『飢餓海峡』はこの台風で誘発された洞爺丸事故と岩内大火を題材にしている。
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最終更新:2025/03/14(金) 08:00
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