特殊急襲部隊とは、日本の警察に編成されている特殊部隊である。通称『SAT』。
1977年9月に日本赤軍が起こしたハイジャック事件『ダッカ事件』において日本政府は人質解放と引き換えに身代金と『超法規的措置』として過激派メンバーの釈放を行ったがその直後の10月、ドイツ赤軍が起こしたハイジャック事件『モガディシュ事件』において西ドイツ政府は特殊部隊『GSG‐9』による実力行使で事件を解決したことに刺激を受けた警察庁は『GSG‐9』に範をとる形でその1か月後となる11月には警視庁と大阪府警察の機動隊から選抜した要員で極秘に2つの特殊部隊、警視庁に『特科中隊(SAP)』、大阪府警察に『零中隊』を編成した[1]。
その後1996年になって公式に存在が明らかにされた上で『特殊急襲部隊 Special Assault Team SAT』と表記されるようになった。
2006年の時点では警視庁、大阪府警察、神奈川県警察、北海道警察、千葉県警察、愛知県警察、福岡県警察、沖縄県警察に総勢300人の規模で編成されている。
発生年 | 事件名 | 概要 | 備考 |
1979年 | 三菱銀行人質事件 (大阪府) |
2日に渡って銀行に籠城し、警官や 銀行員合わせて4名を殺害した強盗犯 を大阪府警察零中隊が拳銃射撃 で制圧。 |
犯人は制圧後、 被弾が原因で 死亡した。 |
1995年 | 函館空港ハイジャック事件 (北海道) |
オウム真理教信者を名乗る ハイジャック犯がいる旅客機への 突入に対し警視庁SAPが支援活動 を実施した。 |
犯人は信者を 騙った便乗犯 で武器も全て 偽物だった。 |
2000年 | 西鉄バスジャック事件 (広島県) |
乗客1名を殺害した未成年の バスジャック犯の制圧に際して 大阪府警察、福岡県警察SATが 支援活動を実施した。 |
この事件で 日本の歴史上 初となる閃光 手榴弾による 制圧が行われた。 |
2007年 | 長久手町立てこもり事件 (愛知県) |
家庭内トラブルを起こして発砲した 元暴力団員の立てこもり事件で被弾 して取り残された警官の救出時に 警戒中の愛知県警察SAT隊員が 被弾して殉職した。 |
犯人は翌日に なって人質が 自力脱出した 後に投降、 逮捕された。 |
拳銃 | 基本的に自動式拳銃を使用。 |
特殊銃 | MP5短機関銃やボルトアクション式 狙撃銃、89式小銃を装備。 |
目出し帽 | 身元を秘匿するため出動時や報道 公開時に着用。 |
突入機材 | 障害物を排除するプラスチック爆弾や ハンマー、降下用のロープ、内部の情報 を探る盗聴器などを保有。 |
ビークル | 機動隊用の警備車(装甲車)や ヘリコプター、各種支援車両を使用する。 |
1996年に機動隊の機能別部隊の一つとして編成された部隊。
元々は1968年に静岡県で発生した立てこもり事件で犯人が小銃や爆発物で武装していたことにより解決に3日半を要した経験から狙撃用のボルトアクション式小銃が配備されたことにより臨時編成の『特殊銃隊』が常設化されたものである。
尤も、編成当初は小銃と拳銃しか保有していなかったが、2002年になってMP5短機関銃の配備が実施され、更に2015年には主要都市を管内に持つ警察の銃器対策部隊に突撃銃の配備が決定した。
ERT(警視庁)、RATS(埼玉県警察)、国境離島警備隊(沖縄県警察)はこの部隊に該当する。
俗に『特殊捜査班=SIT』と呼ばれる2000年代から引きこもり立てこもり事件に出動することで注目された部隊。
編成は高度経済成長期の昭和30年代からで戦後復興に伴い様々な新型犯罪が増加したことに対抗するために刑事部の一部門として設置された=刑事の部隊である(SAT、機動隊は警備部)
担当はハイジャックを含む立てこもり事件、誘拐事件、企業に対する脅迫事件に加え医療ミス、企業の過失による事故・事件を担当している。
立てこもり事件、誘拐事件では人質救出の際に犯人を制圧することも考慮されることから1995年のオウム真理教強制捜査直後に警視庁SAP(当時)経験者がSITに転属したことを皮切りに突入能力の強化が始められ、2000年代前半からMP5短機関銃[2]の配備も実施された。
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最終更新:2025/03/21(金) 11:00
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