1923年9月16日、関東大震災による混乱と騒乱の中で発生したリンチ事件である。被害者の名前から大杉事件とも呼ばれる。
この時代を代表するアナキスト(無政府主義者)大杉栄とその妻(内妻)伊藤野枝が、憲兵隊に所属する甘粕正彦陸軍大尉の命で、憲兵隊員数名によるリンチで一方的に殺害された、痛ましい事件である。
軍法会議ではあるが一応裁判が開かれ、事件のあらまし自体は分かっている。しかし、起こった状況が状況だからか史料との食い違いや犯行の不明瞭な点が目立ち、謎の多い事件として知られている。
この事件の被害者は大杉栄。高校日本史を履修してれば聞いたことくらいはあると思われる、明治から大正にかけてのアナキストであり、東京外大に在学中から堺利彦らの設立した平民社に加わり、無政府主義を掲げて電車賃値上げ反対運動や屋上演説事件、赤旗事件などに関わり度々警察や軍といさかいを起こしていた。『種の起源』の和訳でも知られる。
また、もうひとりの被害者である伊藤野枝も、洋書の翻訳や雑誌『青鞜』の編集を務めるなどの婦人活動家として知られている。当時は姦通罪として裁かれる可能性すらあった不倫行為を堂々と行っているほどの奔放な人であり、大杉栄もそのパートナーであった。
関東大震災は東京や神奈川を中心に10万人以上が亡くなり、190万にのぼる人が被災するという明治以来の東京では未曾有の大災害であった。当然、その混乱は大きく、江戸時代からの慣例で受刑者を一時的に解き放ったせいもあって、当時日本の統治下にあった朝鮮人の虐殺をはじめ治安は混迷を極めていた。新聞社が主体的にデマや曖昧な情報を流したこともそれに拍車をかけており、9月7日には2年後に発布される治安維持法の前例にもなった戒厳令こと緊急勅令が出されるに至った。
当面の治安維持にあたっていた陸軍は前々から自らの存立基盤でもある天皇を非難するなど、目障りな行動が相次いでいた社会主義や自由主義者たちを苦々しく思っていた。そんな最中、無政府主義者たちが朝鮮人を煽動して政府を転覆しようとしているという流言がどこからかまことしやかに囁かれるように(言うまでも無いがこれはデマである)なり、それに動揺した陸軍の一部では先んじて彼らを殺そうとする動きが起こった。
事件の一方の当事者である、甘粕正彦はそれに同調する一人であった。陸軍大尉を務め、東京憲兵隊の麹町分隊長の任に就いていた彼は、9月16日に知人の辻潤(伊藤野枝の前夫)を見舞いの為家族ぐるみで訪ねた帰途の大杉栄を家族ごと拉致同然に憲兵隊司令部へと連行した。不審に思った大杉の友人が捜索願を出して、管轄の淀橋警察署(現在の新宿区あたりを管轄)が憲兵司令部に確認を取った所、憲兵隊からの解答は「拘束はしたが既に帰した」というものであった。
しかし、事実は違った。甘粕は部下に命じて、大杉と伊藤は16日夜の段階で、雑談の取り調べで油断させた後に、後ろから絞殺するという方法で殺害したのである(だが、後に発見された死因鑑定書では胸部の激しい損傷や肋骨が複数本折れてるなどの記述が見られ、疑問が残る)。居合わせていた甥の橘宗一という当時6歳の少年も巻き添えに命を落とした。遺体は露見を嫌って井戸に放り込まれた。
憲兵隊は当初この事件を隠蔽していたが、9月18日に戒厳令が解かれると同時に報知新聞が「大杉夫妻が子どもと共に憲兵隊に連れて行かれた」と報じたことで噂は一気に広まった。9月20日には甘粕陸軍大尉が大杉を殺害したことを読売新聞と時事新聞が号外で報じた。甥の橘宗一も父親の関係でアメリカ国籍を有し(二重国籍)ていたため、消息不明が知れると大使館を通じて猛抗議が来たことも政府の頭を悩ませた。
シラを切っていた山本権兵衛内閣はもはや事ここに至っては隠しきれないと判断し、軍は同日中に甘粕正彦はじめ複数の事件関係者を軍務上の不正行為を理由に軍法会議に送致。裁判を受けることになった。
軍法会議の中で甘粕は動機として、上記にあげたデマの件をあげ容疑をすべて認めた。大杉の次は堺利彦や福田狂二を殺すつもりだったと供述している。12月には判決が下り、甘粕を首謀者と断じて懲役10年の判決が下った。なお直接の実行犯は命令に従っただけという理由で無罪になっている。世論としては大杉を支持していた社会主義者たちからの脅迫などがありつつも、全体的に甘粕には"国士"であると同情的であり、減刑嘆願署名が30万も集まったほどである。
甘粕正彦当人はその後、裕仁親王(昭和天皇)ご成婚による恩赦で7年半に減刑、獄中での態度を評価されて更に減刑され、1926年10月に仮出獄となり、軍へ予備役として復した。実質3年足らずほどの刑でシャバにでられたということになる。その後、軍費で渡仏し、更に後には満州国で諜報などに従事、1939年には満洲映画協会の理事長となった。
だが、1945年の終戦間際のソ連の侵攻で甘粕はその地を追われることを余儀なくされ、社員たちに退職金として社の金を全部引き出して分配するなど身辺整理をしてから8月20日に服毒自殺した。享年54。
甘粕事件は、亀戸事件や朝鮮人虐殺事件、福田村事件などと共に関東大震災後に発生した軍や警察、自警団などによる不法リンチ事件の一つとして現在まで伝わっている。だが、一方で軍法会議や当人や関係者の述懐などとは異なる史料が次々と出てきており、真相は藪の中と言わざるを得ない側面もあるミステリアスな事件でもある。
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最終更新:2025/03/21(金) 14:00
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