田中耕一(たなかこういち)とは、日本のエンジニア、化学者である。
1959年8月3日、富山県富山市に生まれた。出産して1か月後に母親が亡くなり、父親も体が弱かったことから、叔父と叔母に養子として迎えられた。兄2人と姉がいたが、両親は分け隔てなく彼を育てた。のんびりとした性格も相俟って、18歳になるまで養子であることを知らなかったという。
東北大学工学部電気工学科に進学。1年間留年したものの、優秀な成績を収め1983年に卒業し、精密機器を製造している京都府の島津製作所に入社した。入社後は、中央研究所に配属され、生体高分子の質量分析法に関する研究に従事した。
1985年、タンパク質をイオン化する方法、「ソフトレーザー脱離イオン化法」を開発した。この功績が、のちのノーベル化学賞の受賞につながる。1987年、学会で発表。翌1988年には、アメリカの国際学術雑誌に論文が掲載され、製品化もされた。1989年、日本質量分析学会奨励賞を受賞した(のちに日本質量分析学会特別賞も受賞)。
そして、開発から17年後の2002年、生体高分子をイオン化する方法を開発した功績により、ノーベル化学賞を受賞した。これは、アメリカの分析化学者ジョン・フェン[1]、スイスの化学者クルト・ヴュートリッヒ[2]との共同受賞。ノーベル賞の受賞はまったく予想していなかったため、はじめは似たような名前の別の賞か、同僚によるドッキリかと思ったという。
受賞当時、ノーベル賞受賞者としては43歳と若いこと、博士や修士の学位をもたない[3]ことが、世間一般のノーベル賞受賞者の印象からかけ離れていたことで話題を呼んだ。また、一見してごく普通のサラリーマンであること、七三に分けられた髪型や記者会見での作業服姿、穏やかな性格、お見合い結婚であったことなどが、多くの日本人に共感や親近感を与えた。ただし、報道関係者による連日の追いかけや、一人歩きする聖人のごときイメージは、彼を悩ませた。
現在は、血液1滴から病気を早期発見する技術の開発に携わっている。2014年には、血液1滴からアルツハイマー病の発症に関連するタンパク質を検出できたと発表している。
彼は、「ソフトレーザー脱離イオン化法」の開発に携わった。これは、のちに「マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(Matrix-assisted laser desorption/ionization)」、通称「MALDI(マルディ)」の名で知られるようになる。
物質の質量を分析するには、物質をイオン化する必要がある。運動エネルギーを与え、分子の一つ一つを単独で飛ばすためである。運動エネルギーを与えた分子を、真空中で飛行させると、質量が小さい分子ほど速く飛行するため、その飛行時間や距離から質量を算定できる。
イオン化の方法として、原子や電子を衝突させる方法や、レーザーを直接照射する方法などがある。しかし、高分子化合物であるタンパク質に対してこうした処理を行っても、イオン化せず分解してしまう。
この問題に対し、島津製作所中央研究所では、添加物を用いたイオン化法[4]を模索していた。タンパク質の試料に、添加物として金属や有機物の粉末を混合してレーザーを照射すると、添加物がレーザーのエネルギーを吸収、熱エネルギーに変換して、タンパク質を間接的にイオン化してくれる可能性があったためである。直接レーザーを照射するより、タンパク質のイオン化に使われるエネルギーが大きくなるが、それでも分解してしまうため試行錯誤していた。
そんなある日、試料に添加する予定のコバルト粉末に、彼は誤ってグリセロール(グリセリン)を混ぜてしまった。本来なら廃棄するが、「もったいない」から実験に使ってみたところ、タンパク質の質量が検出されたのである。こうして偶然発見されたイオン化法は「ソフトレーザー脱離イオン化法」と名付けられた。このセレンディピティ(偶然に得られた発見)について、彼は「生涯最高の失敗」と述懐している。
この手法は、改良が加えられ、「マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)」という名称で普及。現在では、生化学分野の重要な測定方法の一つとなっている。添加物(マトリックス)の研究も進み、試料の種類や分子量に応じて、シナピン酸、フェルラ酸、ゲンチジン酸、ヒドロキシピコリン酸などが使い分けられている。
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