社会問題(しゃかいもんだい)とは、特定の地域や社会で広く共有されている問題のこと。何をもって社会問題とするかは、必ずしも事前には判然としない。
現代社会に特有の現象とも言える。それは、社会問題というのが、無差別に誰にとっても問題だと認識される一方で、必ずしも社会の構成員全てが責任を負うべきとは言えないという、領域が曖昧なところが、高度に近代化が進み、互いに自由で個人的な人々が、日々行き交う状態である現代社会と親和的だからである。実際、社会問題を扱う社会学は、当時ヨーロッパで、産業化された新しいタイプの都市で発生する問題に対応する形で誕生した。
前近代では、一般に、社会と言っても地域社会であり、人々の交流も限られており、関係者も特定しやすかった。ゆえに、責任や原因の特定もしやすかった。現代は、産業革命期よりもさらに、自由化・流動化されており、社会問題と言われるものも、多種多様な様相を呈している。
また普遍的なことも社会問題を深刻化している。現代は、自由化が進む一方で、あらゆる社会を均質化・一律にする傾向も有しており、あるところや地域で起きている社会問題は、違うところや地域でも起きる可能性をはらんでいる。ゆえに、特定の人物や組織を罰すれば済む問題ではなく、より一般的で事前抑制的な対処が求められる(法律やルールなど)。しかし、社会問題は、そもそも全体像を把握しづらく、事前に予測することが困難な現代社会の中での現象なので、その対処も一朝一夕にはいかない。
掲示板
107 ななしのよっしん
2025/08/07(木) 20:30:05 ID: ePaEL8tud1
完璧な世界なんて存在しないし、あるなら苦労しない、それだけの事さ
それはそれでとして問題の解決はしなきゃだけど、>>102みたいなリアリスト気取りが、それこそ本人自ら言ってるように「じゃあどうすればいいか?という解決案が出てこない」上に、ただ冷笑してるだけじゃあ何も解決に向かわんわな
108 ななしのよっしん
2025/08/10(日) 03:51:44 ID: QssmvzDXNX
社会問題は解決すべきとは思うが、そもそも日本だけじゃなくて、世界自体が社会問題を解決する気が無いと言うか、個人の権威や能力を信じ過ぎてる様に思う。
どういう事かと言うと、文明や世の中が便利に成れば成る程、便利さや加速主義や資本主義が当たり前に成り、集合知や問題提起や対策議論が弱く成って行くんだと思う。
世の中が便利に成り、自分のワガママや意見や暴言が通れば通る程に、集団での責任や同和における議論と改善策を飛ばして、極端過ぎる速い結果や能力だけに拘り、歴史や哲学を置き去りにして、独裁で集団を管理社会に置くか、独裁で個人だけに能力と重要さに重きを置いて、自然災害や社会問題の責任が取れない程に単純かつ応用や柔軟性が持たない人に劣化していけば、個人でも集団でも話し合いが出来なくなる。
政治やマスコミやテレビが流す集団番組も互いの知性や知見を尊重するのではなく、相手の発言を否定したり悪口で捲し立てるせいで、話し合いに成らないから意見交換の価値や社会集団の価値すら落として、権威や能力に擦り寄る方が楽に成ってしまう。
これら
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109 ななしのよっしん
2025/09/25(木) 06:15:27 ID: /hjH1ufisw
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最終更新:2025/09/28(日) 03:00
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