租税罰金説とは、租税が課される根拠についての学説の1つである。「税金は罰金」ということもある。
「租税は、国内に住んでいる人々の悪行に対する罰金として存在している」「政府は、国内に住んでいる人々の行動を誘導して望ましい社会にするために罰金として租税を課している」という考え方を租税罰金説という。あるいは「税金は罰金」という[1]。
租税罰金説から、以下の表に記されるような意義が租税に与えられる。
税金の名前 | 意義 |
所得税 | 労働意欲の過剰刺激と仕事中毒(ワーカホリック)の蔓延は、家庭崩壊につながり、少子化となり、国家の衰退を招く。ゆえに労働に対して累進課税で罰を与える。 また、「国防や警察といった危険な仕事を他人に押し付けつつ、安全地帯に引きこもって金儲けに専念する人」ばかりになることは望ましくないので、罰金を科す |
相続税 | 金持ちの子が遺産相続して金持ちになる行為によって階級社会が生まれ、「異なる階級に属する人に話しかけづらい雰囲気」を生み出し、人々の表現の自由を制限し、社会における情報の流通を阻害し、社会を停滞させる。ゆえに遺産相続に罰金を科す |
法人税 | 収益を増やしたらそれに応じて費用を計上して従業員に給料として配布すべきなのにそれを行わず内部留保が積み上がるのは、国家の経済基盤を弱体化させる行為であり、望ましくない。ゆえに罰金を科す |
消費税 | 生産が消費に追いつかずインフレ率が上昇し続けると、社会にとって望ましくない。ゆえに消費に対して罰金を科す |
たばこ税 | タバコは健康にとっての害が大きいので、罰金を科す |
酒税 | アルコールは健康にとっての害が大きいので、罰金を科す |
ガソリン税 | ガソリンは貴重な資源であり、浪費するのは望ましくない。ゆえに罰金を科す |
自動車税 | 自動車の利用者が増えすぎると交通渋滞が慢性化し、国家の発展にとって望ましくない。ゆえに罰金を科す |
自動車重量税 | 重い自動車を乗り回す人が増えすぎると道路の劣化が深刻化し、国家の発展にとって望ましくない。ゆえに罰金を科す |
租税罰金説から、「税率を変更していない状況の中で税収が増えることはそんなに望ましくない」という意外な結論が導かれる。
タバコ税の税収が増加したら喫煙という悪行をする人が増えたことになるので為政者にとって望ましいことではないし、タバコ税の税収がゼロになったら喫煙という悪行をする人が消滅したことになるので為政者にとって望ましいことである。そうした論理が他の税にも適用されていく。
累進課税を組み込んだ所得税の税収が増えたら「労働意欲が過剰に刺激され仕事中毒(ワーカホリック)が蔓延した可能性があるので望ましくない」などと考えるようになる。
租税罰金説から、税金を多く納める人に対して、「政府の理想像から離れた行動をとり続ける人」という評価が与えられるようになる。
法律に違反しているわけではないのだが、政府の期待に反する行動をとり続けているので、政府から「ちょっと困った人だ」といった感じの扱いを受けることになる。
租税罰金説は機能的財政論から生まれる思想である。詳細は当該記事を参照のこと。
機能的財政論は国定信用貨幣論から生まれる思想である。詳細は当該記事を参照のこと。
租税を課して納税者からお金を召し上げる行為は、納税者の財産権を否定する行為であり、納税者の基本的人権を否定する行為である。
基本的人権を制限するときの口実の中で有力なものは3つになる。箇条書きにすると次のようになる。
憲法学の教科書においては、「1.のように他者加害原理を基礎として基本的人権を制限すべきである。2.のように『限定されたパターナリスチックな制約』で基本的人権を制限することは例外的に許される。3.のように『社会における多数または全体の利益の達成』を口実にして基本的人権を制限することは基礎とすべきではない」と説かれる[2]。
以上のことを分かりやすく言い換えると、「君の行動で他人に害が及ぶから、君の基本的人権を制限する」とか「君の行動は君の人生を設計する能力を回復不可能なほど永続的に喪失させるから、君の基本的人権を制限する」と言った方が相手が納得しやすい、「君は何も悪いことをしていないが全体の利益のため我慢してもらう」というのは相手が納得しにくい、ということになる。
さて、租税罰金説は、他者加害原理または「限定されたパターナリスチックな制約」を基礎として基本的人権を制限している。「君の行動で他人に危害が及ぶので、それを防ぐため、君の基本的人権を制限し、君の財産権を制限する」とか「君の行動で君自身の人生設計能力が回復不可能なほど永続的に低下するので、それを防ぐため、君の基本的人権を制限し、君の財産権を制限する」と宣告して徴税するので、多少は納税者を納得させやすい。
租税罰金説は、「政府は憲法学の教科書が推奨するような口実で基本的人権を制限している」と説明する考え方であり、政府を悪玉に仕立て上げない思想である。
租税罰金説は、政府への憎悪を煽り立てる思想ではなく、政府へのヘイトスピーチにならない思想である。
政府の徴税をある程度容認すべきとする政治勢力は、反・新自由主義の信奉者や、反・無政府主義の信奉者などである。そうした人たちは租税罰金説を強く支持することになる。
租税罰金説は、ある行動を悪と決めつけて、その上で課税するというものである。
しかし、ある行動が悪であるかどうかの判断は、時代が経つにつれて変遷するし、人によっても異なる。
例えば喫煙という行為を例にすると、副流煙で他者に危害を加えているし、自己に危害を加えて心筋梗塞などのリスクを高めて自己決定権を回復不可能なほど永続的に喪失するリスクを高めるので悪であるが、しかしながら、「麻薬や危険ドラッグといったものに手を出さずタバコで満足している」という性質をもっているので善良なる行為と扱うこともできる。
このため「タバコ税を極端に高くすると麻薬や危険ドラッグよりもタバコが高くなり、タバコから麻薬・危険ドラッグに流れてしまう」「タバコから麻薬・危険ドラッグに流れずに踏みとどまっているという善良なる性質に配慮して、タバコ税の引き上げはやめよう」という意見も出てくる。
このように、ある行動を悪とみるか善とみるかについては大いに論議する余地がある。住民一人一人の意見を集めることが非常に重要視される。
租税罰金説だと人々が積極的に政治に参加しようという気運が生まれやすい。日本国憲法の基本原理とされる国民主権の考えにも合致するし、租税法定主義の考えにも合致する。
日本国憲法第84条で「租税は法律によって課されるべきである」という租税法定主義が定められている。そして日本国憲法第41条で「法律は国会が立法する」と定めてられており、日本国憲法第43条で「国民から選挙された議員で国会が構成される」と定められている。これらの条文から「国民の意見を吸収する国会議員が法律を決めて租税を決める」という体制が構築されている。こういう体制と、租税罰金説から生まれる「人々の意見を集めて善悪をしっかり議論して租税を決めるべきだ」という思想はぴったりと一致している。
日本国憲法第84条では「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と定めており、租税法定主義を採用している。
また日本国憲法第31条では「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と定めており、罪刑法定主義を採用している。
日本国憲法は租税と刑罰を同一のものと扱っている。そうした日本国憲法と、「租税とは政府による罰金なのだ」と主張する租税罰金説は、相性が良い。
日本国憲法は、第15条第3項や第14条
や第44条
で、すべての有権者に対して平等に1人1票の投票権を与える普通選挙を実施するよう政府に義務づけている[3]。
租税罰金説は、「納税者は大して偉いわけではなく、政府の理想像から離れた行動をとっている人である」とか「納税はすごく偉い行動ではない」といった思想を導く。
そのため租税罰金説は「税金は参政権の対価」という考え方を導かない。このため、高額納税者にも低額納税者にも全く同じように1人1票の投票権を与える普通選挙との相性がよい。
ゆえに、租税罰金説は、日本国憲法との相性がよい考え方だと言える。
この所得税を租税罰金説の観点から解説すると「労働は100%の悪ではないが、100%の善でもない。国家経済を推進するという善の一面もあるし、仕事中毒(ワーカホリック)を誘発して周囲の人の疲弊を招くという悪の一面もある」ということになる。
こういう考え方は「労働は100%の善」と考える人からの反発を受けやすい。そういう人たちを説得することが、租税罰金説の支持者にとっての課題となる。
学歴競争・受験勉強競争で一定の成果を収めた人のなかにも色んな人がいるが、その中の一部には「勉強は100%の善」という考えに染まる人がいる。勉強は労働とよく似た行動なので、「勉強は100%の善」という考えが「労働は100%の善」の考えに変換しやすい。このため、学歴競争・受験勉強競争で一定の成果を収めた人の一部に「労働は100%の善」と考える人が見られる。
租税罰金説はそれほど異様な考え方ではなく、かつての経済学・財政学の有識者のなかにその考えを持つ人が散見される。従来の学術的用語だと、社会政策的租税とか政策手段的租税などと呼ばれている。
17世紀の英国では関税によって輸入を減らして輸出を増やすことが行われ[4]、内国消費税によって倹約を奨めるべきという論議も行われた[5]。18世紀の英国の経済学者ジェームズ・スチュワートは「内国消費税によって国内消費を抑えて輸出を促進させることができる」と論じた[6]。
19世紀のドイツではアドルフ・ワーグナーが大々的に「社会政策を実現するための手段として租税を活用すべき」と論じた[7]。そのアドルフ・ワーグナーは、所得税の累進課税を導入して所得格差を縮小することを提唱した。
20世紀のアメリカ合衆国では、ウッドロウ・ウィルソン大統領が独占資本の経済力を削減するため法人税の超過利潤税を1917年に導入した[8]。
1933年にアメリカ合衆国大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、ニューディール政策という経済政策を実行した。その中には社会政策的租税が多く、所得税・法人税・相続税の累進課税の強化を大々的に行い、格差縮小や独占阻止という社会政策のための課税を次々と実行していった[9]。
租税罰金説にやや近い英語はsin taxといい、悪行税などと翻訳される。
ただし英語版Wikipediaでも日本語版Wikipedia
でも、「社会に有害とみなされる一定の商品に課せられる消費税もしくは物品税が悪行税である」と定義するにとどまり、「所得税や法人税や相続税も悪行税である」という論理が欠けている。
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