穴山梅雪(あなやま・ばいせつ 1541 ~ 1582)とは、戦国時代の甲斐の武将である。武田二十四将のひとり。梅雪は出家後の号で、俗名は穴山信君(あなやま・のぶただ/のぶきみ)。
武田信玄の甥であり娘婿。こうした出自から一門衆の一人として重きをなした。信玄没後は武田勝頼を支えるが、徐々に距離を置き始める。
やがて甲州征伐が始まると徳川家康に内通して織田・徳川軍へと寝返った。こうして武田家滅亡後も生き残り、更に息子には武田の家督を継がせる約束を取り付けて上手く乱世を渡り歩……くかに見えたが、本能寺の変直後の混乱の中で落ち武者狩りに遭遇、不慮の死を遂げる。
大河ドラマ「真田丸」が放映された際、ネット上では「アナ雪」とあだ名されていた。
穴山氏は甲斐武田氏の庶流にあたり、甲斐南西部、駿河との国境付近(河内地方)を領有していた。戦国時代には武田氏傘下で事実上の家臣として行動していたが、一領主としての独立権限も強く持っており、それが後々の離反にも影響する事になる。
穴山信友の子。母は武田信玄の姉。妻は武田信玄の娘(見性院)。二代続けて武田氏から妻を取った事でその繋がりは強く、親族・一門衆として遇されていた。事実、武田の名乗りも許されていた。
1558年に父が出家して家督を継いだ。今川氏に対する姿勢を巡る「義信事件」での立場は不明だが、同時期に弟が自害している。その領地から駿河・今川氏との関係性も有していた穴山氏の中でも、何らかの対立があったと考えられている。
ともかく、梅雪は信玄に従って駿河侵攻に参加。その結果、江尻城主となった(江尻城は現在の静岡市清水区の中心部に存在した)。地図を見れば分かるが、駿河から甲斐にかけて、ちょうど富士山の西側にあたる地域を領有していたことになる。言うまでもなく、甲斐と東海道を結ぶ超重要地帯である。なお駿河侵攻の時点で既に出家している。
信玄の死後は武田勝頼に仕え、武田信豊らと共に一門重鎮として重きをなした。
ただ、長篠の戦いではかなり消極的な行動を取っており、結果生き残るが、高坂昌信が勝頼に「梅雪(と信豊)は責任を取って自害させるべき」と進言するほどだった(採用はされず)。
息子・勝千代は勝頼の娘と婚約していたのだが、これが取り消しになるなど、徐々に勝頼とは溝が出来始める。そして織田氏・徳川氏による甲州征伐が現実味を帯びる頃には、織徳方へと内通し始めていた。
そして1582年2月、徳川家康を通して寝返った。前述の通り、彼の領地は甲斐への侵攻路そのものであったので、調略の対象となったのも必然だったと言える。そして4月に武田氏は滅亡した。
寝返りの条件としては甲斐一国と、息子・勝千代の武田氏継承(勝千代の母は信玄の娘である)を挙げていたが、前者に関しては反故にされて、結局江尻・河内の既存領地を安堵されるに終わった。河内を除く甲斐国は河尻秀隆に与えられた。
その後は徳川家康と行動を共にして、安土、堺を回り、京都の信長の下へ向かう最中に本能寺の変が勃発する。
大混乱の中、家康は伊賀越えを決意する。梅雪も初めはこれに同行していたのだが、やはり伊賀の山々を突っ切るのは無理があると考えたのか
「こ、こんな危険な場所を無事に通れるものか!! ワシはこっちの道を行く!!」
…と言ったのかは知らないが、途中から家康と別行動をとったところを一揆勢に襲われて死亡してしまった。
単なる落ち武者狩り狙いの農民・地侍だったのか、光秀の命令を受けて家康たちを狙っていた連中だったのか、どの辺りで別れたのか、追い詰められて自害したのかあっけなく殺害されたのか…などなど、その最期については諸説あるが、やはり裏切りの罰なのか……。
本能寺の変から、秀吉が織田旧臣を掌握するまでの間は、選択肢を一個間違えれば即死んでしまう超難度サバゲー(クソゲー?)と言える状況だったが、見事にスタート直後に脱落となってしまった。明智光秀より先に死んだのは、彼と津田信澄くらいではないだろうか。
子・穴山勝千代(武田信治)が家督を継いだが、まだ11歳であった為、生き残った徳川家康の従属下に(事実上)置かれることになった。不幸中の幸いというかその結果、天正壬午の乱に巻き込まれて滅亡という事にはならず、徳川庇護下で引き続き江尻・河内を統治する……が、1587年に16歳の若さで病死してしまい、穴山武田氏は断絶した。
その後、梅雪の養女が家康の側室となり、その間に生まれた五男・武田信吉が穴山武田氏を継いだ。梅雪の未亡人であり、信玄の娘である見性院が後見人を務める。その後、徳川氏の関東移封によって下総に移り、関ヶ原の戦いの後は水戸藩主(25万石)となった。ここに穴山武田氏が再び日の目を……と思ったら、1603年に信吉は21歳で病死してしまい、結局再断絶。その後、武田氏の家督は信玄二男・海野竜芳の家系へと移り、穴山氏が復興される事はなかった。
見性院は徳川家の庇護下で余生を送り、1622年に没した。晩年には徳川秀忠の隠し子・保科正之を養育している(武田旧臣の繋がりから、後に保科正光の養子となる)。
余談ながら、真田十勇士のひとり・穴山小介は穴山氏の一族という設定である。
「信長の野望」(PC)シリーズにおける穴山梅雪(穴山信君)の能力一覧。
いっぱしの内政官といった能力。戦いに消極的だったためか、あっけなく死んだためか、戦闘面はイマイチ。義理は概して低い(蒼天録~天道では15)。信君のルビはシリーズ通して「のぶきみ」。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 58 | 政治 | 54 | 魅力 | 75 | 野望 | 77 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 40 | 政治 | 76 | 魅力 | 76 | 野望 | 65 | 教養 | 74 | ||||
覇王伝 | 采配 | 51 | 戦闘 | 37 | 智謀 | 34 | 政治 | 78 | 野望 | 65 | ||||
天翔記 | 戦才 | 102(C) | 智才 | 70(B) | 政才 | 156(A) | 魅力 | 61 | 野望 | 71 | ||||
将星録 | 戦闘 | 45 | 智謀 | 46 | 政治 | 77 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 21 | 戦闘 | 22 | 智謀 | 54 | 政治 | 66 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 18 | 智謀 | 45 | 政治 | 55 | 野望 | 40 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 17 | 知略 | 48 | 政治 | 67 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 17 | 知略 | 46 | 政治 | 66 | 教養 | 67 | ||||||
革新 | 統率 | 38 | 武勇 | 19 | 知略 | 52 | 政治 | 74 | ||||||
天道 | 統率 | 38 | 武勇 | 19 | 知略 | 52 | 政治 | 72 | ||||||
創造 | 統率 | 56 | 武勇 | 55 | 知略 | 54 | 政治 | 70 |
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26 ななしのよっしん
2023/08/03(木) 07:36:05 ID: O9GviYPH2h
光秀は信長と対比的なキャラ付けされきただけだと思う
残忍で旧権威を蔑ろにする革命家の信長、保守的で教養人で人格者の光秀みたいな感じで
梅雪は勝頼が朝敵扱いに近いところまでいってしまった点でも、相当に筋通してからの寝返り
それも人質もきっちり逃がすことに成功してるからかなり上手い寝返りだったけど
上手すぎる寝返りをした割に事故死の挙げ句、息子も早死にで全部台無しになってしまったのが
27 ななしのよっしん
2023/08/04(金) 09:40:07 ID: QiFR7rqQB6
穴山武田家が、徳川の天下で武田宗家として続いていたら、前田利家みたいな扱いされてたのかな?、前田利家も裏切ったけど、硬骨漢、不器用のイメージ強いよな。
28 ななしのよっしん
2024/05/03(金) 14:02:41 ID: lnWJEptxTX
>>27
存続してたら逆に忖度されて無二の忠臣扱いされたかもしれないな
武田旧臣の子孫たちが先祖顕彰を行う際に梅雪を物語の核にすることになったんじゃないかな
勝頼側近たちが梅雪を讒言したため止むを得ず離反した、みたいな筋書きで
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最終更新:2025/03/28(金) 00:00
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