臼砲(mortar)とは、曲射砲の一種である。おもに城塞などを攻撃するために生まれた。
文字通り、臼のように太く短い砲身を持っていた。小型の砲から大きな弾を発射できたものの、弾の速度が遅いので、射程をかせぐために砲身に大きな角度をつけて撃つ必要があった。敵に対して上から砲弾を落とせるので城攻め等に使われたが、とにかく射程が短いのでやがてすたれてしまった。しかし第一次世界大戦で臼砲は「簡単な鉄パイプのような砲身から発射し、大きな放物線によって塹壕にこもっている敵の頭の上に爆弾を落とす兵器」として復活した。帝国陸軍はこれに「迫撃砲」という呼称を付けたが、欧米では「昔のモルターのリバイバルだ」というわけで、引き続きモルターと呼んでいる。[1]
臼砲の源流はカタパルトやトレビュシェットといった投石器にある。これら投石機も曲射弾道で石の塊などを打ち出し城壁そのものや城壁上や城壁を超えた先にある建造物や兵士を攻撃するためのものであった。投石機は火薬の普及により火薬で石を打ち出す射石砲に変わっていった。ここまでは大型であり容易に移動できるようなシロモノではなかった。
1669年にオーストリアのホルスト少佐が小型の野戦臼砲を開発した。これは当時の冶金技術の限界もありやけに分厚い割に短く大口径な砲身と言う可愛らしい形(筆者主観)をしている。更に小型で取り回しがよく口径が当時としては大きかったためヨーロッパ中で多用された。この頃の臼砲は射撃精度が悪く射程距離も短かったが、当時はまだ小銃の射程も短く交戦距離が近かったので射程の短さは問題にならず、また精度の悪さも遮蔽物越しに砲撃できると言う利点もあったためそこまで問題視されなかった。この頃の砲は鋳造品で鋳型さえあれば高い技術がなくても量産が可能であったことも精度の悪さをカバーする要素であった。この頃から臼砲を艦砲として搭載した臼砲艦(ボムケッチとも)も生まれ沿岸固定目標への攻撃に用いられた。
ナポレオン戦争(1803-15)の頃になると、榴弾が実用化されたことにより対人ではあまり効果のなかった臼砲も、対人でも威力を発揮できるようになった。この頃になると、1.5トンもあるグリボーバル臼砲のような大型のものから後の迫撃砲のような小型のものまで様々な臼砲が作られていた。
クリミア戦争(1854-56)時には、イギリスで重量40トンを越すものの分解して容易に運搬できるマレット臼砲というものも開発された(もっとも完成したのが1857年で戦争には間に合わなかったが)。アメリカ南北戦争時には貨車に臼砲を載せ鉄道で移動可能にしたものが用いられ、これは列車砲の始祖とされている。
第一次世界大戦頃になると、榴弾砲やカノン砲の大口径化長射程化が進んだが、要塞攻略のための攻城砲としての役割は変わらないものの建造物が鉄筋コンクリートなどで建設されるようになり強度が上がったことで臼砲は大口径化への道を進んでいった。一方、塹壕戦において手榴弾を遠くまで飛ばすための歩兵携行型の小型の砲、いわゆる迫撃砲が生まれ”mortar”はこの両極端に分化していった。
第二次世界大戦時には、航空機が飛躍的に発達したことで臼砲は時代遅れになりつつあったものの、要塞攻略時の大重量砲弾用の砲として用いられたものもある。また、ドイツやイギリスなどでは自走臼砲も開発された。有名なのは、マジノ線攻略のために開発されたドイツの60cmカール自走臼砲である。このカール自走臼砲の砲弾重量は最大のもので2トンを超える。
第二次世界大戦後は、更に航空機が発達しまたミサイルなどの兵器も生まれ、短射程の臼砲はその役目を終え消えていった。
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最終更新:2025/04/24(木) 14:00
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