若者(英:youth)とは、年若い人。わこうど。若衆[1]。子どもから成人への移行期にある人々を指す。
青年が「子ども」でも「成人」でもない独自の社会的カテゴリーとして出現したのは、近代社会においてである。この青年期にそれぞれの社会において成人資格とみなされている諸条件が準備される。その主な条件として、一般的に①性的成熟を中心とする身体的発達、②知的・技能的能力の伸長を中心とする労働力の準備、③情緒の発達、自我の確立を中心とする社会集団への適応力の増進。しかし現在、a)早熟化の傾向、b)高学歴化に伴う職業的自立の遅延、c)管理社会化と価値の多元化による自我の確立の困難という問題状況のなかで、青年期はいっそう葛藤と緊張に満ちた時期となっている[2]。
家族のなかでは親同士の関係とともに、親子関係も役割分業としての一面をもつ。注意を要するのは、子どもの権利という発想そのものが近代的であるということである。のみならず子どもの概念そのものが、近代的なものであるという見解もある。たとえばフランスの歴史家であるPh・アリエスは、中世社会には子どもの概念が存在していなかったという。当時子どもは、幼児の段階を過ぎると大人と同様の服装をし、仕事をし、遊びをする存在であった。要するに子どもは、「小さな大人」であった(『〈子供〉の誕生』)。アリエスは中世社会から近代社会への移行の過程で、子どもの概念が誕生したという。そのような子どもの概念の誕生に一役買ったのは、学校と家族である、すなわち子どもは、学校と家族に隔離されるようになる。そしてここで、特別な援助や保護を与えられるようになる。中世社会においては子どもの社会化は、社会全体によって行われていた。たとえば徒弟修業は、その一つの形態である。しかし近代社会では、それが学校や家族によって担わられるようになる、というのが「子ども」の誕生をめぐる、アリエスの主張である[3]。
今日的な意味での「青年」という用語が日本で用いられだしたのは、明治二十年に徳富蘇峰が著した『新日本之青年』や、明治三五年に中島力造が著した『青年諸君に告ぐ』などが最初とされている。そこでは新たな国家の担い手として克己努力し自分を高めていく青年像が理想とされていた。
明治三〇年代には高島平三郎らによって青年心理学の創始者であるスタンレー・ホールの紹介がなされ、日本の青年心理学が始まる。また、教育制度の整備が進み、とくに日清戦争後は、尋常小学校より先の学校への進学者も次第に増加した一方で、社会の側ではそうした進学者の就職先がまだ十分に確保されていなかったため、行き場を失った青年層の不満や騒動が、「学校騒動」などといった形で社会的な問題になっていった。こうして大人として社会に受け入れられないが、もはや子どもでもないという「境界人」としての青年の問題が露わになっていった[4]。
20歳前後の大部分の若者は、この間に中学校や高等学校、大学や各種専門学校を卒業し、就職する。日本では選挙権を18歳、被選挙権を25歳または30歳になると得る。社会学者・清水幾太郎は「職業集団に属した後は、従来獲得しきたった後天的な力と方法とによって自己を生かし、かつ社会を生かそうと試み、最後に基礎的社会に至っては政治を通じて社会そのものを高めて行く活動の主体となることができる」というような社会人といわれる存在になるとしている。このようにそれまでの受け身の存在から、青年期は社会を作る側へ転じていく[5]。
若者時代を表わす言葉として「青年期」と「思春期」という呼び方がある。この二つはしばしばあまり区別されずに使われているが、発達心理学や青年心理学では、おおよそ以下のような使い分けがなされる。思春期は、「第二次性徴」の始まりによって特徴づけられる、おもに身体的な成熟の意味、一方「青年期」は、思春期の始まりにともなって生じる「心理的変化」の時期を指す[6]。
アメリカ合衆国の発達心理学者、エリク・H・エリクソンの発達段階論によれば、第5ステージに相当する。青年期の課題は自我同一性(アイデンティティ)の獲得である。青年期は、「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」といった問いを通して自分自身を形作っていく時期である。青年期は、自我同一性を獲得するために社会的な義務や責任を猶予されている準備期間(モラトリアム)であると言える。
自我同一性がうまく達成されないと「自分が何者なのか、何をしたいのかわからない」という同一性拡散の危機に陥る。エリクソンは同一性拡散のあらわれとして、①対人的かかわりの失調(対人不安)、②否定的同一性の選択(非行)、③選択の回避と麻痺(意欲の低下=アパシー)などを挙げている[7]。
青年期の終わりは、第二次世界大戦後、社会全体が豊かになるに従い、あえて自分を成人として位置づけなくても十分な経済力をもち生活することが可能になってきたこと、また技術革新のスピードが速くなり、「もうこれで学ことは十分学んだ」という心理的ゴール感がなかなか達成されにくくなったことなどにより、次第に後のほうにずれ込む傾向がある。現代では、パラサイトシングルなどに代表されるように、青年期はもはや終わることがないという考え方も出てきている。また社会学の立場からは、現代の社会では成人としての意識を自覚する必要などなく、自分自身の方向性が未定のままであっても十分社会に適応することが可能であり、もはや子どもと大人の差異自体も失われているという指摘もある[8]。
青年期には、家族から離れ、一人の独立した人間として自分を扱ってほしいという気持ちが高まる。これを心理的離乳と呼ぶ。代表的なものとして「第二次反抗」と呼ばれる親や大人に対する反発的な態度や行動がある。これは、自分はもはや子どもではない、一人前に扱ってほしいという気持ちの表われと考えられているが、しばしば現実を無視した、無制限で無責任な自立・自律を要求するものとなりがちである。
ホフマン(Hoffmann,J)は青年期の心理的な分離の過程として次の4つを挙げている[9]。
10歳前後の子どもが徒党を組む行動を、発達心理学では「ギャング」と呼び、その年代を「ギャングエイジ」と呼んでいる。いわゆる女子同士の「仲良しグループ」もこのカテゴリに含む。ギャング集団の中では強い仲間の絆が発生する。仲間に加わりたいという願いが強まり、仲間から影響を受けやすくなる。仲間で結束して大人への反抗やいたずらを行なったり、また男女のグループで対立や反目をしあうのもこの時期の特徴である。ギャング集団での経験は、人が社会で生きていく上での基礎訓練として重要なものである。
しかし現代社会においては、ギャング集団は次第に影が薄くなっている。その背景には、子ども側の要因として①遊び場そのものが減少したこと、②少子化が進み、少人数になったり、そもそも集団を作れない子どもが増えてきたこと、③一人遊びやゲームなどの家の中でのおとなしい遊び方が中心になってきたことが挙げられる。大人の側の要因としては、①少子化の流れの中で子どもへの過保護や過干渉が当たり前になってきたこと、②親自身が近所付き合いを好まないなど人間関係のあり方が変化してきたことが挙げられる。
こうしたギャングの衰退によるマイナスの影響としては、「いじめ」が知的に成長した段階で陰湿な形で他人を攻撃する例が報告されるなどがある[10]。
精神分析家のハリー・スタック・サリバン(Sullivan,H.S.)は、青年期に入る直前の時期に、同性同年代の友達とのきわめて親密で個別的な関係(チャム)が見られるとしている。子供時代の友人関係はどちらかと言うと「自分のために相手が何をしてくれるか」というよな利己的な関心に基づいているのに対して、チャム関係では「相手のために自分が何をできるか」といった利他的な関係が中心となる。こうした関係の持ち方は、その後の異性に対する愛情の原点となる。
精神分析学者のピーター・ブロス(Blos,P.)は、青年期の初期の頃の同性同年代の親友関係には次のような特徴が見られるとしている。それは、相手を自分自身の延長のように感じ、相手のことを「自分が所有したいと願う資質をもつ人」「自分がなりたいと望む相手」としてお互いに理想化しあうといった特徴である。やがて自分なりの十分納得して受け入れられる行動や価値観の基準(自我理想)ができてはじめて、相手と自分の違いも受け入れられるようになっていく。この期間は青年期中期から後期に該当すると考えられている[11]。
子どもから大人への移行期にある青年期特有の役割・価値観・行動様式をもった下位文化を指す。今日、とくに青年文化の開花をみるに至った背景としては、所得水準の向上によるユース・マーケットの成立という経済的条件と、独自な自己実現への強い欲求という精神的・文化的条件を挙げることができる。また青年文化の多様な様相をあえて類型化すると、それは既成秩序との関係から、同調・逸脱・対抗という行動様式と精神構造特性を軸にして設定することができる。今日の青年文化が、しょせんは支配的な価値の社会化の波に埋没する一時的なものなのか、それとも新たな文化創造の一翼を担うものなのかが注目される。
「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。」
「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている。」「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ。」
この小説が朝日新聞に連載されていた明治四二(一九〇九)年の時期、日本社会は日露戦争後の軍需バブルの崩壊期にあたり、代助が就職できなかった背景にはこうした経済事情もあったが、明治期の新興ブルジョア階級に属していたこともある[13]。
社会学者の片瀬一男は、若者(青年)問題が、戦後日本の社会学で本格的に語られ始めた嚆矢は、昭和四五(一九七〇)年の第四三回日本社会学会大会におけるシンポジウム「現代の青年問題」だとしている。またここでいう「青年」とは大学生であり、①労働の問題としての青年論(階級論的青年論)、②文化の問題としての青年論(世代論的青年論)、③政治の問題としての青年論(時代的青年論)という3つのフレームに整理されるとしている。そしてこのうち①と③は1960年代的という時代制約的だったものの、②の文化の問題を扱ったものは、井上俊(1971)の論考、青年に特有の傾向としての「遊戯性」つまり「まじめ(俗)」を相対化し、そこから離脱する傾向、「実生活のなかに「あそび」の要素をもちこみ、実人生をある程度「遊戯化」しようとする志向」を軸とした「遊戯論」とエリクソンのアイデンティティ論(モラトリアム論)を軸として展開されていく事になったとしている。
ただし、日本ではエリクソンの理論は紹介者の一人・小此木(1978)によって換骨奪胎され、発達論的な青年研究というより、「モラトリアム人間論」、つまり1960年代の政治の季節が終わった後の「しらけ世代」(社会への不関与や未決定を特徴とする「アイデンティティ拡散」の状態のまま、いつまでもモラトリアムに安住する若者)といった世代文化論的な若者論へと変換されていった。その背景には、大学進学率の上昇によるモラトリアムの制度化と、豊かな情報消費社会の成立があり、そこから当事者意識ももたず大人になれない無気力な「モラトリアム人間」が誕生したことが強調されたという[14] 。
1960年代の学生運動の退潮後、気力を欠いた「モラトリアム人間」と揶揄されていた青年が、情報化と消費社会のなかで、時代の先端をいく「新人類」として称揚されるようになる。この「新人類」世代の社会心理的基盤は、彼らの子ども時代と高度経済成長期に重なっていることにあり、「消費による自己確認」は1980年代の若者にとって、幼い頃から身についたハビトゥスともなっていた。1970年代には成熟できない青年の問題系として語られていた「モラトリアム」志向は、大人になることを拒み、豊かな社会でサブカルチャーを消費する主体になるという積極的な意味を帯び始めた。また若者の「遊戯性」は、企業にとって大きな収益を生み出すものとなった。その結果、「「遊」と「俗」の結託」が生まれ、本来批評的な機能を有するはずの「遊」が変容し、「遊戯性の専横」とも呼ぶべき事態が生じた。そこでは、青年なり若者が大人との連続性・接続性よりも断絶性・異質性においてとらえられた。こうした消費社会におけるアイデンティティのあり方は、エリクソンのアイデンティティ概念=近代初期の内部指向形の人間像に対して、「多元的アイデンティティ(または多元的自己)」としてとらえられる。この時期、しばしば若者の友人関係の「希薄化」が言われたが、「それぞれに場面に応じて自分自身の振る舞いや感じ方を切り替えていくという作法」=「状況志向」の高まりだったという指摘もある。
当時から普及し始めた情報処理機器(コンピュータやビデオなど)を自在に駆使することから、「コンピュータ新人類」(野田正彰)、「情報新人類」(逢沢明)などとも呼ばれるようになる。大人からみて彼らは理解不可能な「異星人」(中野収)であると同時に、最先端の情報機器を自由に使いこなす先進性をもった存在という両義性を帯びるものとなった。しかし、こうした若者像は、1988年から89年にかけて起きた宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件によって再び転換を迎える。とくに彼が個室に閉じこもり、ビデオとコミックに囲まれた生活のなかで、生身の人間とのコミュニケーション能力を欠いたまま、連続幼女誘拐殺人事件という、理解不能で異質な犯行に及んだと、メディアによって喧伝された。それ以降、特定のメディア・アイテムを自閉的に偏愛する若者は「おたく(オタク)」と呼ばれ、忌避されることになった[15]。
1990年代はバブル経済が崩壊し、不況が常態化する中で、中高年労働者のリストらとともに、労働市場における助成および若年層の非正規化が進んでいった。こうしたなかで、学卒後も無業(ニート)や非正規雇用(パート・アルバイト、派遣労働、契約社員など)とならざるをえない者も増えてきた。ところが、この時期、就職をした学生・生徒たちは1980年代から登場した新自由主義的な教育を受けている。そこでは学校教育の多様化をはかることで、生徒に「個性」の発揮を求めてきた。そして進路選択に関しても、生徒・学生の「自己決定・自己責任」を強調してきた。しかし、逼迫した新規学卒労働市場は、個性を活かして働くための仕事につくという「制度的手段」を若者から奪ってきた。つまり「自己実現アノミー」とも呼ばれる状況に若者はあった。
またアイデンティティの問題は労働による「承認」の問題に結び付けられた。1970年代の若者文化論、1980年代のコミュニケーション論まで、若者論は「横ならびの平等な他者との関係でアイデンティティを論じてきた」。しかし、1990年代後半以降の若者論は、改めて若者の「愛と労働」をめぐる分断-初期キャリアと家族形成における階層間格差に照準しなければアイデンティティの問題を語れないところとなった。こうした若者の貧困と雇用をめぐる状況は、経済的問題を超えて個人のアイデンティティや尊厳の問題、社会的公正ないしは正義の問題にも深くかかわってくる。アマルティア・センは、個人の潜在能力に着目して貧困を論じ、「貧困はたんに所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態と見られなければならない」としている。同様の視点は、日本で貧困問題に取り組む湯浅誠にもみられる。湯浅は、貧困状態に至る背景として「五重の排除」、①親世代の貧困を背景とする「教育課程からの排除」、②雇用のネットワークからはじき出されることによる「企業福祉からの排除」、③「家族福祉からの排除」、④「公的福祉からの排除」(とくに若いワーキングプアは稼得能力があるとして生活保護から排除されること)、そしてこの四つの排除から生じる⑤「自分自身からの排除」(「何のために働くのか、そこにどんな意義があるのか」といった「あたりまえ」のことが分からなくなる状態。本人が新自由主義の自己責任論を「内面化」して貧困や不安定就労を「自分のせい」ととらえてしまうと、自分の尊厳を守れなくなってしま。)を挙げている[16]。
現代の若者とりわけ非正規雇用で働かざるをえない若者が、「存在を構造的に否認されている」現状について、永山則夫連続射殺事件と加藤智大秋葉原通り魔事件を代表的事例として、社会学者・大澤真幸が2つの事件の「表面的な共通性」を有しているにもかかわらず、一方は都会の「まなざしの過剰」が「地獄」であったのに対して、もう一方は承認してくれる都会の「まなざしの不在」が「地獄」の苦しみを与えていたという分析とアクセル・ホネットの「<存在が否認されること>が持つ社会的な力」から、「構造的に存在を避妊されている人々」つまり「下層に位置する人々による社会的な抵抗運動の根底にある動機は、明確に定式化された道徳原理への定位ではなく、<直感的に与えられる正義の観念が侵害された>という経験に由来する」といった分析が、日本の場合就職氷河期世代に当てはまるのではないかと指摘している[17]。
心理学からの指摘として、見かけ上は明るく楽しそうにはしゃいでいる反面、その実際は他者との関わりが薄くなり、形ばかりの関わりにしがみついているという指摘がなされている。またこうした希薄な対人関係の結果、現代の若者は、根拠なく自分は他人よりも偉いと想定する「仮想的有能感」をもち、そうした有能感・自尊心が傷つけられたと感じたときには、些細な動機でも、極端な怒りを感じ表出するとも言われている。一方、現代の若者の対人関係は言われるほどには希薄化していないとする意見もある。つまり青年が互いに距離をとった対人関係をもつのは、排他的な態度や人間不信の表われというよりも、距離をおきながらも親しくつきあうといった大人にとって必要なスキルを身に着けつつある証拠ではないかとしている[18]。
心理学者の岡田努は、心理学研究の中で提示される若者像について主に3つを挙げている。
岡田は、通説としての「今どきの若者像」はまったくの見当違いとまでは言えないもののそれがすべてではないとしている。現代の若者というイメージは様々なイメージが複合されたもので、巷にあふれる「現代青年論」は、本来色々な若者に見られる姿を全部一人の姿に重ね合わせて見てしまっている可能性がある。また「今どきの若者」イコール「不健全・不健康」とは必ずしも言えない。発達上の問題や不健康さを示すデータもあるが、全面的に健康な人間などはそうそういないとしている。このような通説はステレオタイプの可能性であることに留意すべきとして、その心理的メカニズムとして、少数の事例ほど強調して認識されやすく(少数事例の特異性)、印象に残った事柄ほど実際以上に「よくあることだ」と思いやすく(利用可能性ヒューリスティック)、また自分とは別の集団のメンバーのことは過度に「みんな同じ性質をもっている」ように認識しやすい(外集団均質化効果)といったものを挙げている[19]。
ニコニコ動画(現:niconico)がサービスを開始した当初の2007年頃は、ティーン世代が多数を占めていたという記事がある[26] 。この事を傍証するものとして「夏だなぁ(夏だなぁ厨、夏厨)」という言葉がある。これは小学生・中学生・高校生などが夏休みといった長期休みになると利用が増え、主観的であるものの、コメントの質が変わるということを揶揄したものである(詳しい反応などについては当該記事参照)。また当時2ちゃんねるユーザー(2ちゃんねらー)からは、“ゆとり”が集うサイトとして、半ば同族嫌悪的なところもありながら、忌避されていたという側面もある。
またニコニコ動画独自の文化として「やってみた」というものがある。具体的にはゲーム実況や歌ってみた、踊ってみたなど一定程度生身の表現を用いた動画を投稿する文化である。これは2000年代のインターネット文化のうち、パロディ動画やMAD動画と双璧をなす文化であり、後にニコニコ動画から歌い手や躍り手としてデビューしたり、Youtubeと地続きをなすようになったりするなど幅広く影響を及ぼしたものである。これもユーザー層と関連するように主に10代から20代の表現者が人気を博していた(例として永井先生(但しこれはニコニコ動画に転載される以前からPeerCastで人気であった)、いさじ、wowakaなど他多数)。また後発のサービス、ユーザー生放送(ニコニコ生放送)では横山緑による暗黒放送が人気を博していたが、この視聴者を“暗黒キッズ”と呼ぶなど、子ども性を強調するといったところにも利用者の年齢層の特徴が表れていた。
しかし近年のユーザー層は、ニコニコ動画のサービス開始から経過するのと比例して高齢化する傾向にあり、2010年9月末は10代21.7%・20代45.0%・30代21.0%・40代8.0%だったのに対して、2019年現在は10代7.4%・20代34.9%・30代21.9%・40代16.5%と特に10代・20代の落ち込みが目立っている[27] 。
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掲示板
51 ななしのよっしん
2024/08/27(火) 17:21:00 ID: qx2I1E06UT
若いうちにやるべきこととかリストでよく見掛けるけど、正直余計なお世話だと思う。
それやったから絶対に幸せになるものでもなし、そういう◯◯しないといけない的な話を気にしないほうが幸せになりそう。
52 ななしのよっしん
2024/08/27(火) 17:23:48 ID: qx2I1E06UT
若者気取りしてる人って、まだまだ若者でいたいというのもあるけど、若者の時に出来なかったことをやりたいからやってるというケースもあると思う。
他人から「痛いよ」と言われようが何言われようが、心が満たされるまでは続けるんじゃないかと思うよ。
53 ななしのよっしん
2024/09/28(土) 11:47:54 ID: pynMvTc3xq
気になることがあるんですが、若者ってそんなに個人的な才能があって全ての若者が有能だったら限ると思いますか?
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/22(金) 03:00
最終更新:2024/11/22(金) 03:00
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