藤原行成(ふじわらの ゆきなり / こうぜい、972~1028)とは、平安時代中期の貴族・書家である。
藤原義孝の子。祖父の藤原伊尹は摂政・太政大臣にまで昇進したが、生まれてすぐに祖父を、数え3歳の時に父を病で相次いで失う。身寄りの無い行成は、母方の祖父である源保光の元で育てられた。こうした背景もあり、若い頃は殿上すらできず不遇だったが、一条天皇の御代になって、親友の源俊賢の推挙されて蔵人頭に抜擢される(藤原実方との争いは後世の創作という説が有力)。行成は最終的に大納言まで昇進、源俊賢・藤原公任・藤原斉信と共に四納言と称された。
行成ら四納言は道長の側近として政権の中枢を担い、有職故実にも長けていたため、道長からの信頼も厚かった。道長の娘・彰子を一条天皇に入内させるのに貢献した一方、一条天皇の皇后定子の忘れ形見である敦康親王を庇護するなど、必ずしも道長に追従したわけでもなかった。万寿4年の暮れ、行成は厠へ向かう途中で転倒し、不慮の死を遂げた。同日、最大権力者にして長年重病に伏せていた道長が病没し、世間はそのニュースで持ちきりだったため、行成の死はほとんど気づかれなかったと伝えられる。
行成は祖父や父のように優れた和歌こそ残していないが、書の道に優れており、小野道風・藤原佐理と共に三蹟の一人に数えられる。先述の有職故実については、彼の書いた日記「権記」に詳しく残されており、当時の宮中を知る貴重な史料となっている。行成は清少納言とも交流があったと言われ、「枕草子」にもたびたび登場する。百人一首にも選ばれた清少納言の「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」は、行成に宛てた和歌である。これに対して、行成は「逢坂は 人越えやすき 関なれば 鶏鳴かぬにも あけて待つとか」とド直球すぎる返歌を残している。
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1 ななしのよっしん
2017/08/30(水) 11:41:31 ID: bk6RDM0Zgd
清少納言と行成の歌を訳しておくと、
「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
孟嘗君の故事のように鶏の鳴きまねをしても、私とあなたの間にある関所は越えさせませんよ。(あなたと男女の仲にはなりませんよ)
「逢坂は 人越えやすき 関なれば 鶏鳴かぬにも あけて待つとか」
あなたの関所は鶏なんか鳴かなくても、最初から開けて待ってるって聞きましたよ。(あなたはチョロいってみんな言ってますよ)
という感じです。
清少納言のインテリ全開な歌にくらべ、行成のドストレート無礼さが際立つ返歌よ……。
2 ななしのよっしん
2018/01/17(水) 22:11:22 ID: wWq+HhU17q
3 ななしのよっしん
2024/01/15(月) 18:36:33 ID: QT4S8vAxyI
「暴れん坊少納言」だとその場に居合わせた橘則光(清少納言の元彼)に斬り殺されかけてたなw
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最終更新:2025/03/13(木) 23:00
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