週刊少年チャンピオンとは、日本が誇る4大週刊少年誌(漫画雑誌)の1つである。
ちなみに、週刊少年誌は4つしかない。
かつては発行部数が250万部を超えたこともあったが、今では良い思い出である。
日本の雑誌で史上初の200万部突破を達成した雑誌でもある。
秋田書店が発行する週刊少年誌である。通称は、「週チャン」、「チャンピオン」、「バキが連載しているアレ」など。分厚さは他3誌と互角。毎週木曜日発売(北海道・九州では金曜)、基本的に毎号320円。現在の編集長は2023年12月7日発売の新年1号より(就任は12月1日付)、別冊少年チャンピオンの編集長を務めていた松山英生。
メジャー漫画しか知らない人はもちろん、マイナー志向の漫画通、アニオタなどからもハブられ、本屋によってはコミックスのコーナーすら用意されていないなど、誰が読んでるのかよく分からない雑誌である。一説には読者=変態と言われ、チャンピオン好きの変態は自らを男性はチャンピオン紳士、女性はチャンピオン淑女と呼称する。
低迷期に入った1980年代前半~1990年代前半までは男性読者が圧倒的であり、完全なる工業高校状態であったが、1995年に「特攻天女」の連載がスタートした事でチャンピオン淑女と呼ばれる人種が現れる。「星矢」や「弱虫ペダル」などの影響で最近では徐々に増加傾向にある。
読者ファンに言わせれば内容は非常に充実しており、骨太のストーリーや勢いある描写が魅力のスポーツ・格闘マンガ(バチバチ、ANGEL VOICE、弱虫ペダル)。設定が個性的な可愛いショートギャグ・コメディ(みつどもえ、侵略!イカ娘、木曜日のフルット)。 喧嘩シーンもほのぼの青春シーンも面白おかしい不良物(クローバー、シュガーレス)。2011年連載スタートの新鋭枠(てんむす、囚人リク、空が灰色だから)などバランスの取れた誌面構成となり、近年では2017年から連載を始めた「魔入りました!入間くん」や「吸血鬼すぐ死ぬ」「BEASTARS」などといった様々なジャンル作品から人気が出てアニメ化される程にまで安定した内容になってきている。
2代前の読者投稿ページ「CTC」は少年誌の読者ページでも異質でマニアックなハガキが多かった。あの投稿神、三峯徹(CTCでは三峰徹表記)も投稿していた程である。
史上初の新書版コミックレーベル「サンデーコミックス」の大ヒットにより、秋田書店が週刊少年漫画誌に進出し、1969年7月15日に隔週誌として創刊。1970年に週刊化される。キングを含む5大少年漫画誌では最後発である。
最後発のハンデキャップなどもあり、創刊当初は部数が振るわずに苦戦する。1972年に伝説の男、壁村耐三が編集長に就任し、誌面改革が行われる。基本的に全作品1話完結。続き物の場合は山場を必ず入れる。不人気作品の徹底的打ち切り。他所で燻っている若手の積極起用などが行われ、「ドカベン」の大ヒットが生まれる。
1973年。当時、アニメ事業の失敗で多額の負債を背負った上、漫画家としてもピークを過ぎたと各方面から干されていた中年ニート手塚治虫に執筆を依頼。少年誌では異色の医療マンガである「ブラックジャック」の連載がスタート。当初は3回の掲載予定であったが、一瞬で大人気作品となり本格連載化。手塚はこの「ブラックジャック」の大ヒットにより完全に中年ニートから漫画の神様として復活を果たす事になる。
その後も「しまっていこうぜ」「ゆうひが丘の総理大臣」「恐怖新聞」「エコエコアザラク」「750ライダー」「がきデカ」「らんぽう」「マカロニほうれん荘」「月とスッポン」「ふたりと5人」「花のよたろう」「レース鳩0777」とこれでもかとヒット作が連発。1973年には飯田橋に秋田書店の自社ビルを建築。1978年新年号でついに週刊少年ジャンプを抜き、1978年から1979年にかけて約250万部の部数となり少年漫画誌のトップに君臨した。
しかしその栄光も長くは続かなかった。1981年に壁村が病魔に倒れ、編集長を辞任。引き継ぎや新人発掘の失敗、生え抜き作家の放出、他社の企業規模の違いからのメディアミックスの遅れなどが重なり、「すくらっぷブック」「プラレス3四郎」「くるくるクリン」「本気!」などのヒット作は出たものの、あっという間に部数争いから転落していった。
10年近くに渡る低迷期の後、1991年。入社3年目の新人編集者、壁村耐三最後の部下である沢孝史が手掛けた「グラップラー刃牙」が大ヒット。沢は後に「覚悟のススメ!」も大ヒットさせ、一躍秋田書店の名物編集者となった。この頃から熱狂的なチャンピオン読者に「チャンピオン紳士」という栄誉ある名が付き出す事に。
1990年代には先述した「グラップラー刃牙」「特攻天女」「覚悟のススメ!」のほか「浦安鉄筋家族」「学校怪談」「鉄鍋のジャン!」「京四郎」「フルアヘッド!ココ」「オヤマ!菊之助」「おまかせ!ピース電器」などがヒット。さらに往年の名作「ドカベン」の主要キャラクターがプロ野球へ進んだ「ドカベン プロ野球編」が開始し話題になるなど、最盛期ほどの勢いはなくとも、誌面は安定傾向にあった。
だが、2000年代に入ると、それら人気作品が軒並み終了、それに代わる作品も少なく、看板作品である「バキ」「浦安」「ドカベン」以外、これといった有名作がない状態が続いた。この時期、読者ページが「デ・ジ・キャラット」とタイアップするなど、「エイケン」「舞-HiME」など萌え系作品に一時力を入れていた。この2000年代前半期がチャンピオン史上、最も低迷(迷走)していた時期といえるかもしれない。
2005年10月に先述した沢孝史が編集長に就任。これまでの連載作品の大半を打ち切り、新鋭作家に4~5週の短期連載作品を描かせ、誌上で次々に発表し、その中から反響のあるものを正連載に昇格させるサバイバル方式を導入。
この改革の結果、「みつどもえ」や「侵略!イカ娘」「弱虫ペダル」「実は私は」といったアニメ化作品の輩出に成功する。2018年現在もこの短期連載昇格システムは続いており、「AIの遺伝子」「空が灰色だから」「BEASTARS」の大ヒットを生んだ。特に「BEASTARS」の人気は凄く『このマンガがすごい!2018』オトコ編で第2位、第22回手塚治虫文化賞新生賞と各方面で賞を受賞した、また大きな賞こそないものの作風などで支持を受けている「魔入りました!入間くん」と共にWアニメ化される事となった。
2006年頃から生え抜きを育てる方針へ大きく動き、引き抜き作家は減少傾向にある。新人漫画賞の受賞枠を大幅に増やし、2011年頃からは積極的に生え抜き新人を連載起用する方針がとられている。
2012年6月12日には週刊少年チャンピオン直系の月刊誌として「別冊少年チャンピオン」を創刊した。
沢体勢となってからはチャンピオン独特の変態成分が薄れつつあり、「マニア向け」のイメージからの脱却が図られている。変態成分の強い作品や、極端すぎる萌え作品はチャンピオンREDに移っている。乳首券も「刃牙シリーズ」以外使えないようだ。
2019年7月15日に創刊50周年を迎えるにあたり、50周年記念の特別イベントを秋葉原UDXで開催した。
このイベントではチャリティーイベントやドリームプロジェクトなど様々な企画を用意し、リアルで色々な展示品(例でいうと等身大以上のビックなジョンのぬいぐるみ【吸血鬼すぐ死ぬ】や等身大黄金聖衣【蛇遣い座】など)が展示されたり、アニメ化作品の作者との対談(BEASTARSの板垣と入間くんの西との対談)と色々と充実した内容だった。なお、この頃には編集長は沢から武川に代わっている。
2023年8月、22年秋から「魔入りました!入間くん」がアニメ3期が、23年の1月には「吸血鬼すぐ死ぬ」のアニメ第二期、同じく同月に「もういっぽん!」のアニメ放送開始された。
またかつて週刊誌側で連載されていた「AIの遺電子」や連載が終了した「六道の悪女たち」がアニメ化し、23年10月には「SHY」がアニメ化、24年7月に二期が放映開始されている。また舞台化作品でも「弱虫ペダル」や「桃源暗鬼」など2次元作品として発表されおり、その後桃源暗鬼は25年にアニメ化されている事も発表されている。、
人気作品も現在は入間くんを筆頭に弱虫ペダルや浦鉄、吸死や桃源暗鬼、SHYなど様々なジャンルの漫画が絶妙なバランスで構成されている。
1934年生まれ、岡山県出身。日本大学卒業後、秋田書店に入社。手塚治虫の担当となる。20代の頃から血気盛んな男であり、締め切り破りの常習犯であった手塚治虫にブチ切れ、手塚をぶん殴ったり、「先生、今更原稿貰っても載せられませんから」と手塚の生原稿を床に投げ捨てたり、編集長時代にあまりにも原稿が上がらない事に痺れを切らせ、リンゴを食べながら手塚プロに突入。リンゴを手塚のマネージャーに投げつけたり、「今から包丁持ってそっち行くから動くな!」と恫喝したりしていた。
赤塚不二夫とも親しく、漫画家として行き詰まっていた赤塚にギャグマンガを描くことを勧めたのも壁村である。赤塚もまた、締め切り破りの常習で壁村の逆鱗に触れる事が多かった。居留守を使って引きこもっていたトキワ荘の2階に電柱をよじ登って窓から突入、鬼の形相で赤塚を引きずり出すなどしていた。このように今であれば大問題になる行動のオンパレードであった。
「がきデカは下品すぎるから打ち切れ」と上層部に言われた際も激怒し、上層部の指示を無視。手塚の原稿が遅れに遅れ、印刷屋から「もう(原稿を)落とせ」と言われた時に「手塚が描くと言ってるんだから黙って待ってろ!」と、例えお上や取引先が相手であっても噛みつく時は噛みついた。
しかし常に怒鳴り散らしていた訳ではなく、家庭に戻れば編集部にいる時とは考えられないくらい大人しく、温厚な人物であったという。生前のインタビューで顔写真が掲載されているが、とても↑のような事をするようには見えない、細身の初老の紳士であった。
だが締め切り破りの漫画家や、理不尽な要求を言い放つ物には容赦がなかった。編集長時代は必ず、秋田書店近くのスナック「紅」にて最後の原稿が届くのを待ち、原稿を持って帰ってくる部下を労っていた。
若手漫画家の先見を見いだすのも大得意であり、他誌でくすぶっていた永井豪やすがやみつる、鴨川つばめや石井いさみ、立原あゆみといった面々に絶大なサポートをし、売れっ子作家に育て上げた。
1981年に体調を崩し編集長を退任。その後、1985年に復帰するも1989年に後進に譲る形で編集長職を勇退した。大酒飲みでヘビースモーカーという体質が祟り、その後は入退院を繰り返す生活が続き、1998年に膵臓がんで64歳で死去。亡くなる直前、記憶が全く無い中でも病院のベッドの上で「まだ原稿は間に合うかな」などと独り言を呟いていたという。
壁村自身は大の漫画好きというわけではなく、むしろ漫画には疎いくらいであった。しかしそれが「漫画はこうでなければいけない」という固定概念を排し、当時としては非情に斬新なアイデアを生み出す要因になったとも言われる。
主な部下として現・幻冬舎コミックス社長の伊藤嘉彦。現・コミックビームの編集長である奥村勝彦。副編集長の岩井好典。2005年46号から2017年26号まで10年以上長きに渡りチャンピオン誌を支えた沢孝史がいる。
大百科記事があるものは太字。
70・80年代 |
90年代
|
00年代 |
掲示板
提供: dance
提供: そべーとおにおん
提供: PhantomⅡ
提供: milan
提供: nichito(日斗)
急上昇ワード改
最終更新:2025/03/31(月) 14:00
最終更新:2025/03/31(月) 13:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。