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1 ななしのよっしん
2012/05/02(水) 00:23:47 ID: pDWNSAafrz
立派な記事なのに書き込みなしとは。
折角なので戦国大戦の勝頼でも。
バージョン1.1よりSRで参戦。
統率は低いものの武力10に特技2つとなかなかのスペック。
計略は猛進の陣。士気4にも関わらず武力と速度を大きく上げるという破格の効果を誇る。
しかし、範囲内の味方が向いている方向に強制的に前進するという強烈なデメリットを持つ。下手に使うと味方が四方八方へ散ってしまい目も当てられない惨状に。
また効果時間もかなり短い。
登場当初は猛進の陣で攻め上がっても相手の城壁に当たると反転して後退してしまう仕様だったため非常に使いにくいものだった。この欠点はバージョン1.2で解消され、統率依存の増加、また武力依存上昇といった追い風もあり一時猛威を振るった。現在は調整され、強力だが癖の強いカードとして一部の層に愛されている。
余談だが前進強制効果が非常に強く、通常は動けない射撃中の鉄砲やチャージ中の秘剣、はては舞姫までも猛進させることができる。敵側の挑発計略も無効。
2 ななしのよっしん
2012/05/02(水) 21:21:31 ID: WiBdQRKVVH
逃亡に成功して本能寺を迎えたあと、自分なりの言い分残せていたら江戸時代辺りの評価は変わって
いたかな。でも今の再評価も武人としての最期だから氏真みたいな感じになってたかも。
3 ななしのよっしん
2012/05/08(火) 12:24:40 ID: ydbzCxBn8y
KOEIのゲームだと武将風雲録では万能型の名将なんだけど、だんだん脳筋扱いされるようになったな
4 ななしのよっしん
2012/05/08(火) 12:34:32 ID: r0PHmSv56u
いつの間にか記事が出来てるな
正直武田勝頼が家督を継いだ時点で情勢は無理ゲーに近い状態になっていた気もする
5 ななしのよっしん
2012/05/08(火) 12:38:08 ID: kuH0G4Qgkq
記事が出来たのは良い。
次は読みやすくしていってもらいたい、字が詰まりすぎて読みにくい
6 ななしのよっしん
2012/05/20(日) 01:19:12 ID: 8UCoP842b5
記事作成乙。
>>2
勝頼が生きてたら信長らの行動も変わってくるから本能寺は起きないだろうね。
7 ななしのよっしん
2012/06/21(木) 04:16:33 ID: LKVepJPIlf
本人も悲劇だが、母親も悲劇の人だな
物語だと信玄最愛の人に描かれているが、勝頼以外子供無しだから物扱いされて可能性があるわ
幸いにも他の兄弟と仲が悪くないのが救いだが
8 ななしのよっしん
2012/07/06(金) 02:40:15 ID: kGNG8aMuhB
最愛の人設定は新田次郎の小説だな。
史実から照らし合わせると相当無理があるんだがなあ
実際には井上靖の「風林火山」みたいに
覇道の駒あつかいだったんだろうな<諏訪姫
氏康の娘と最期まで添い遂げたエピソードはホントに泣けるよな。
この話だけでも俺はコイツを嫌えんわ
9 ななしのよっしん
2012/07/06(金) 02:48:45 ID: TQXpp9+cYP
10 ななしのよっしん
2012/07/06(金) 19:50:38 ID: 0/VFYobqGY
信玄が負の遺産を残し過ぎたからねえ でも織田家とも(長篠後も含めて)数年間張り合えていたのは評価に値すると思う
11 ななしのよっしん
2012/07/20(金) 03:48:14 ID: FOeOzzl9mG
おお…勝頼のページが出来ている
今だに武田家を滅亡させた馬鹿息子扱いする人が多い印象だが何時かは救われると信じたい。
それから信長の野望Onlineの七夕祭2012イベントで案内役を勤め、
病の母が快方に向かうよう願い事をする姿にホロリときた
12 ななしのよっしん
2012/07/20(金) 09:33:49 ID: an1P2kETpi
勝頼名将論はそれ自体はかなり昔からあるんだけどね。
コーエーも風雲録くらいまでは、その立場を採って、
文武両道能力値&上品で爽やかな顔グラだった。
昔の子供向け伝記とかも意外と勝頼びいきなのが多かったりする。
13 ななしのよっしん
2012/07/22(日) 01:36:31 ID: FOeOzzl9mG
関連商品が無い事に気づいたので小説を追加してみました
新田次郎の小説が有名ですが、伊東潤の小説もお気に入りでオススメしたいです
漫画ではセンゴクの勝頼が一番好きです。
山科けいすけのオネエキャラも好きですw心臓が悪い人にはオススメできませんがw
14 ななしのよっしん
2012/07/28(土) 20:05:58 ID: mWhESfQtgU
センゴク勝頼の最期ってユダに裏切られたキリストがモチーフなのかな
茨の冠みたいなのがあったし
15 ななしのよっしん
2012/07/31(火) 18:21:04 ID: 96lXEpdC8I
>>6
信長の甲斐侵攻時に勝頼が信濃に落ち延びる選択を取れれば、彼が生き延びた可能性は十分考えられるが、
本能寺の変が不発の場合、勝頼の再起に不可欠な上杉景勝の支援を得るどころか、春日山城が危うい予感。
真田昌幸なら信濃に落ち延びた勝頼を邪険に扱う事は考えにくい一方で、
信長健在かつ上杉が危機となるとどの程度立ち回れたのかねぇ
>>8
風前の灯の旦那と運命を共にする決断は、お互いの心が繋がっていないと出来ないと思うので、「イイハナシダナー」
>>10
武田家の財政事情・金山事情の話を聞くと、勝頼なりにやれる事をやったのだろうね。
長篠の合戦を回避し信玄以来の老臣を温存できれば、信長との和平の可能性もあったかもしれないが、
それまで連戦連勝の彼に慎重な判断が出来たのかどうか?
16 ななしのよっしん
2012/08/02(木) 19:45:12 ID: ydbzCxBn8y
信長との和平がいつまでも続くなら、重病人の信玄が無理して攻めこむ必要はなかったけどな
それと長篠合戦は勝頼が慢心して引き起こした戦いではない
長篠城が要地で、それに徳川に寝返った後に長篠城任された奥平への制裁はいつかやらないといけないことだったし
勝頼は慎重を期してか先ず長篠城の周囲の城砦を奪ったり陣地を築いて孤立させる方法を取ってる
これは桶狭間の前、信長が鳴海城を日干しにしたやり方と同じ
徳川・織田の大軍が後詰に来てからも、城の周囲を流れる豊川と宇連川は武田が押さえていて長篠城は孤立したままだった
その後、酒井忠次が鳶巣文殊山を襲撃して陣地を奪取(武田本陣と川で隔てられていて、しかも戦上手の酒井の奇襲で陥落)
→この時点で長篠城への兵員・物資の補給が可能になってしまったため、長篠包囲の効果がなくなり、武田方は決戦に賭けたと考えられている
17 ななしのよっしん
2012/08/02(木) 20:01:21 ID: ydbzCxBn8y
連投スマヌ
ただし設楽原に進出した武田軍と徳川・織田軍の陣地は連吾川に隔てられていた
しかもこの戦いで戦死した武田方の武将たちの大半は、武田方の陣地で戦死してる
このことから、
・武田方は数で勝る徳川・織田軍(しかも堅い陣地築いて待ち構えてる)との決戦は無謀と考えていた
・武田軍は形だけの攻撃を行い退却しようとした
・武田不利と見た徳川・織田が逆に武田方陣地へ押し寄せて武田軍を打ち負かした
という説も存在する
長篠後の重臣たちの入れ替えは上手く行ってるが、その下のベテラン兵の国人衆を失ったのが痛い
数は補えたが、そのやり方というのが戦死した国人のまだ幼い身内を一人前とみなして勝頼自ら書状を何通も出して褒めまくったり下手に出て歓心を買おうとした
18 ななしのよっしん
2012/08/02(木) 20:09:56 ID: ydbzCxBn8y
武田は長篠後も木曽義昌が東美濃で暴れ回ったりして織田方から脅威と見られてはいた
でも皆が知ってる通り織田の勢力拡大は止まらないし御館の乱で北条と敵対するしでご覧の有様に
ただし御館の乱の経緯は、
勝頼自ら出向いて仲裁→その隙に家康が遠江の武田方の城を攻撃→勝頼帰る
→勝頼の仲裁で臨戦態勢を解いていた上杉景虎方を、景勝方が騙し討ち
(さらに後で景虎が降伏の使者と人質に送った嫡子と上杉憲政を謀殺。景勝の妹は乱後に抗議の自害)
なので勝頼が下手打ったわけではない。仲裁と称して景勝派を処分しておくのが正解だったかもしれないが
19 ななしのよっしん
2012/08/02(木) 20:31:04 ID: ydbzCxBn8y
さらに連投スマヌ
もう一つ付け加えると、武田軍と徳川・織田軍では兵器・装備の質にも差があった
武田が手を抜いていたわけではなく、信玄の時代から軍役を務める国人には馬よりも鉄砲を要求し、勝頼は箕輪城攻めの頃から銃兵を運用してるので知識と経験は深かった
けど地理的条件から鉛と硝石の調達が難しく、信玄の頃から領内の商人や国人の伝を頼って細々と仕入れている状態だった
鎧の方は鉛玉でも貫通しないようにと徐々に改善はしていて、長篠では効果があったという説がある
元々武田は、信長と最初に手を組んだ時も遠山家の帰属問題で織田方に譲歩をするような力関係で、
さらに織田家が急成長したため、武田家は生き残りを賭けて格上の相手に挑まなければならなかったので、
むしろ(湯治も命懸けだった病弱な)信玄や(家を継いだ時点で先が見えたであろう)勝頼は織田を苦しめたという点だけでも立派だったのではないかと
勝頼なんて家を継いだ後に織田に和睦を申し入れているが拒否られてるし
20 ななしのよっしん
2012/08/07(火) 17:45:23 ID: mWhESfQtgU
21 ななしのよっしん
2012/08/07(火) 19:46:11 ID: 96lXEpdC8I
22 ななしのよっしん
2012/08/29(水) 20:43:20 ID: 4W9SRlWvAG
武田信玄はこんな格言を遺してる。
「戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする」
戦勝五分で励みを生み、七分で怠りを生み、十分で驕りを生む。
長篠の戦いは勝頼が長篠に至るまでに十分の勝ちを繰り返したがために、驕り高ぶり重臣達の諌めも聞かなくなってしまった。
で、結果があのざまだったらしいよ。
23 ななしのよっしん
2012/08/30(木) 18:28:09 ID: XT+fVBx25b
ていうか信玄の勝率自体が五分くらいしかないんだよなあ
24 ななしのよっしん
2012/08/30(木) 18:49:56 ID: p4QbT9jNuj
連戦連勝でしかも死ぬまで驕らなかった人物だっていくらでもいるよな
25 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 23:10:35 ID: /enobJ1SPT
>>23
いや、そんなことはないはずなのですが…
普通に見ても勝率7割は超える戦上手なはずです
村上戦の2敗以外で信玄の敗戦あげられますか?
長野業正のは江戸時代の講談以外にありませんよ?
むしろ、それいったら織田信長のほうが敗戦数十に及びますし
26 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 23:13:40 ID: /enobJ1SPT
>>1
正直な話、この記事は勝頼自身が犯した滅亡へのトリガーを
無理に隠蔽しすぎなので、かなりドン引きされてるんじゃないでしょうか
27 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 23:18:05 ID: OMROYLnSKk
まあ勝ちすぎて慢心が生まれるのは良くないとは思う
勝頼の場合は自分の立場が元々あまり芳しいとは
言えない感じだったのもあるんじゃないかな
だから尚更何か大成功を掴んで皆に認められたいとか思ってる所があったと思う
28 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 23:18:39 ID: /enobJ1SPT
>>10
そうやって負の遺産、という人はいますけど、
実際にどんなものかを聞くとかなり史実的に怪しいものしか出ないのがなんとも…
>>15
財政事情・金山事情、とやらもよく無理に勝頼擁護する人がいいますが、
結局のところ新田次郎の小説くらいがソースで史実的に見れば金山収入は間接収入ですし、どころか徳川時代まで金山採掘は続いてるのが実態ですし、財政事情とやらもなぜか資料的に見ればおかしな様子はないのに、なぜか勝頼を無理に擁護する人の主張だと一回出陣しただけでグロッキーになる、みたいな状態のようにいわれてますが、実際はそんな事はないわけでして
29 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 23:18:47 ID: yblUHblSGm
簡単にでもいいから具体的に何かどう隠蔽されてるのかも指摘したほうが建設的だと思う。
30 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 23:33:09 ID: /enobJ1SPT
>>29
では一つ一つ行きますね
まず、この該当記事では信長及び織田関連を無理に持ち上げすぎです
まず
>信長は破竹の~信玄ですらその勢いを阻む事はできなかった
とありますが、史実的に見れば織田信長は美濃侵攻時代に
武田信玄との全面衝突を恐れ、武田との勢力衝突の場であった
東美濃から撤退して同盟を申し入れた、という流れがあります
織田信長は武田家にとって絶対的な存在であった事は信玄在世時はおろか、
勝頼時代ですら最後の数年を除いてあったかどうか
ほめた!
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