ジャンカルロ・フィジケラ(Giancarlo Fisichella,1973年-)とは、イタリア人ドライバーである。残念なことに2009年を最後にF1のメインドライバーから退いている。愛称は「フィジコ」「富士子」。
ニコニコ動画を視聴するF1愛好家たちに人気が高く、残念なことに「フィジケラは残念なことに」タグとともに親しまれている。2012年4月16日1時50分現在、「ジャンカルロ・フィジケラ」「フィジケラ」タグは合わせて23個だが、「フィジケラは残念なことに」タグは194個と、「フィジケラは残念なことに」タグが親しまれていることがわかる。
1996年、ミナルディからデビュー。1997年ジョーダンに移籍し、表彰台を二度獲得する。97年ドイツGPは途中までトップを走行するも、残念なことにベネトンのゲルハルト・ベルガーに抜かれ、さらに残念なことにその後トラブルでリタイアした。
1998年、当時4強の一角だったベネトンに移籍。しかし、チームはルノーのワークス活動の停止と共に残念なことに弱体化。4年間在籍し、2位を4回獲得したものの、残念なことに未勝利で終わる。
2002年、ジョーダンに復帰し、この年デビューした佐藤琢磨のチームメイトとなるも、チームは残念なことに弱体化中であった。土砂降りの2003年ブラジルGPでは赤旗中断の結果念願の初優勝。しかし残念なことに、オフィシャルのミスにより当初表彰台の中央に立てなかった。
2004年ザウバーに移籍。着実にポイントを重ねた。
2005年、ルノー(元ベネトン)に移籍すると開幕戦で見事ポール・トゥ・ウィン。上り調子にあるルノーでようやく花開くと思われたが、チームメイトはこの年チャンピオンになるフェルナンド・アロンソであり、残念なことにナンバー2ドライバーに甘んじる。日本GPではトップで迎えたファイナルラップでキミ・ライコネンにオーバーテイクされ、残念なことに優勝を逃した。
2006年も残念なことにアロンソのナンバー2として参戦するが、自身最高となるドライバーズランキング4位という結果を残し、2年連続のコンストラクターズチャンピオンに貢献する。
2007年、アロンソがマクラーレンに移籍したことにより、トップチームのエースドライバーに昇格した…かと思われたが、残念なことにこの年のマシン・R27は遅かった。終盤を調子を上げていたチームメイト、ルーキーのヘイケ・コバライネンに残念なことにポイントで負けてしまう。
さらに、2008年からアロンソのルノー復帰が決定。残念なことにルノーを追い出されてしまう。
2007年末からのテストを経て、2008年からは弱小チーム・フォース・インディア(元ジョーダン)に移籍。残念なことにトップチームから最下層チームへの転落劇となり、F1界のボスであるバーニーちゃんには辞めろとまで言われる。貧弱なマシンを駆り奮闘を見せるも、予選Q1を一度突破するのが精一杯。残念なことにチームメイトのエイドリアン・スーティルとともに、ノーポイントでシーズンを終える。
2009年はシーズン中盤からフォース・インディアが急成長、ベルギーGPではなんとチーム初のポールポジションを獲得するという快挙を成し遂げる。決勝では残念なことにキミ・ライコネンに交わされ優勝は叶わなかったものの、2位表彰台を獲得しチームに初ポイントと初表彰台をもたらす大活躍。
その後、イタリアGPからは(負傷したフェリペ・マッサの代わりに出ていた)ルカ・バドエルの代わりにフェラーリから出走することとなった。そして翌2010年はフェラーリのテストドライバーになることも発表される。(我々ファンにとって)残念なことに09年シーズン一杯での現役引退が決定的となってしまった。
その後ザウバーと正ドライバーの契約交渉を行うも残念なことに合意とならず、残念なことに結局そのままF1引退となった。
現在はルマンシリーズなどに参戦する傍らフェラーリのテストドライバーを続けている。
2006年ヨーロッパGPで、予選Q2を10番手で終えたフィジケラが、前を走るジャック・ビルヌーブに抗議するため手を上げた。しかし、残念なことに実況・西岡アナは「フィジケラは10番手でガッツポーズ」と発言。どうみても、ガッツポーズではありません、本当にありがとうございました。
(残念なことにその後、ラルフ・シューマッハがタイムを更新したため最終的な予選順位は11番手)
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最終更新:2025/12/06(土) 02:00
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