パウケンシュラーク作戦 単語


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パウケンシュラークサクセン

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パウケンシュラーク作戦とは、第二次世界大戦中の1942年1月頃から始まったドイツ海軍によるアメリカ東海岸での通商破壊である。パウケンシュラークとは、ドイツ語で太鼓連打を意味する。

概要

背景

第二次世界大戦が勃発して以来、アメリカは中立国の立場でありながら露骨にイギリスの肩入れをしてきた。アメリカの参戦をどうにかして回避したいヒトラー総統は、開戦時にドイツ海軍司令部へ「米軍艦艇を巻き添えにしてはならない」と厳命している。しかしアメリカはUボートの位置を特定して通報するなど、公然とイギリス海軍を援護。そして1941年9月4日、アメリカ軍機に追い回されたU-652がついにブチ切れて、米駆逐艦グリアに雷撃。命中こそしなかったが、逆上したアメリカ海軍は9月15日に「商船を襲撃する独伊軍の艦艇は拿捕ないし撃沈する」と宣言。独米は、宣戦布告なき戦争状態に突入した。10月31日にはUボートが米駆逐艦ルーベン・ジェームズを撃沈している。

1941年12月8日、大日本帝國は米英蘭豪に対し宣戦布告。その日本と同盟を組んでいたドイツも12月11日に対米宣戦布告し、いよいよ本格的に攻撃する口実を得たのだった。

アメリカ海軍は大西洋に多くの船団を運航させ始めたが、膨大な戦力を保持しておきながら護衛を軽視していた。護衛無き商船など、Uボートの格好のエサであった。カール・デーニッツ提督は12隻のUボートを大西洋西側で活動させるべきとヒトラー総統に進言したが、5隻に減らされてしまった。この5隻は、大西洋西側及びアメリカ東海岸沖で通商破壊を行う「パウケンシュラーク作戦」に組み込まれた。

パウケンシュラーク作戦

1941年12月16日から25日にかけて、5隻のUボートがビスケイ湾を出発。大西洋を突破し、1942年1月中旬にセントローレンス湾とハテラス岬の中間に到達した。アメリカ軍の警戒は大変緩く、港湾は堂々と明かりをつけ、商船は600m波長の無線を出し続け、電信員は絶えず船の位置や護衛艦艇の行動予定を発信し続けていた。これらの情報は当然Uボートも傍受し、極めて有効に活用された。1月15日には後詰めの大型Uボート5隻がフランス沿岸を出発した。

Uボートは昼間は航路を離れて潜航、夜間になると浮上して猛然と商船を襲った。油断していた商船側は何ら反撃も行えずに次々と撃沈され、1月だけで62隻(32万7000トン)の大戦果を挙げた。5隻のUボートは1隻も欠けること無く、1942年2月上旬に悠々とロリアン軍港へ帰投。この快報はドイツ本国にも届き、更にUボートが派遣される事になった。

先月、出発した別グループのUボート5隻がカリブ海に展開。作戦開始日は新月になる2月16日に定められ、さっそくU-156が2隻のタンカーを沈めた。勢いに乗ったU-156は密命であるアルバ島とキュラソー島の燃料タンク砲撃を試みたが、第一弾を発射した時に砲口が損傷し、砲員2名が負傷。損傷部分を削り落として第二弾を発射したが命中せず、沿岸警備隊の襲来によって撤退を強いられた。レーダー総司令は次の夜に再度砲撃するよう命じたが、敵の警備が厳重化。沿岸の明かりも全て消されて目標を発見できなかったので退却した。U-161は勇敢にも、カリブ海東部にあるトリニダード、ポート・オブ・スペイン、カストリーズ、セントルシアの港に侵入。港内に停泊していた船舶数隻を撃沈していった。2月21日、U-504は3隻の大型タンカーを撃沈。同月24日に米駆逐艦に追い回されるも、追跡を振り切ったうえで自動車輸送船を撃沈せしめた。当初は大型Uボートしか参加しなかったが、中型Uボートでも大西洋横断が可能だと分かると中型も派遣された。しかしヒトラー総統のアヤフヤな命令や作戦中止に振り回され、デーニッツ提督が自由に使えたのは12隻だけであった。そして同時に作戦行動できたのは8隻に留まった。

3月と4月はもっと戦果が挙がった。単独航行中の商船を狙う戦法に切り替えた事で、より多くの商船を血祭りに上げられたのだ。U-123は3月中旬から4月末までに11隻を、U-160、U-203、U-552はそれぞれ5隻を撃沈した。連合軍は神出鬼没な海の狼に振り回され、4月14日になってようやくU-85を仕留めたに過ぎない。だが大損害を受けた事で海と空からの警戒を強め、獲物の商船も姿を消し始めた。最も敵の警戒が強くなったフロリダ沖では、5月上旬に3隻のUボートが商船10隻を沈める程度で終わった。一方、南方のカリブ海では遅々としてUボート対策が進まず、相変わらず格好の狩り場だった。ドイツ海軍はUボートに補給を行う潜水補給艦、通称ミルヒクーを投入。補給艦の活躍によりUボートの活動範囲は拡充され、商船を狩り続けた。連合軍はミルヒクーの存在を知らず、はるか遠方のカリブ海までやってこれるはずが無いと油断し切っていた。ゆえに当海域のUボート対策が進まなかったのである。

獲物が少なくなった北米沿岸からは6隻が、東海岸からは4隻が抽出され、カリブ海に転戦。各方面からUボートが殺到した結果、カリブ海方面で活動するUボートは37隻にのぼり、5月と6月の2ヶ月だけで148隻(75万2000トン)が海の藻屑となった。この損害に驚いた連合軍は7月上旬になって重い腰を上げ、単独航行を禁止。船団方式に切り替え、しっかりとした護衛兵力も割くようになった。これに対抗すべくUボートも個人プレーをやめ、各艦の連携を重視するようになった。U-569は船団を襲撃し、一晩で7隻を撃沈した。その後もカリブ海やアメリカ東海岸では通商破壊が行われ、連合軍に出血を強い続けた。

結果

1942年6月までにUボートは合計585隻(308万1000トン)を沈め、連合軍の心胆を寒からしめた。ところが大西洋の戦いに勝利するには連合軍の建造数以上の商船を撃沈する必要があるのだが、ドイツの統計学者が調べた結果、毎月最低70万トンは撃沈しなければならなかった。華々しい戦果を挙げたパウケンシュラーク作戦の時ですら、この70万に達していなかったのである。Uボートの喪失数は21隻と戦果と比べると少なかったが、このままでは永久に勝つ事は出来ない。ドイツ本国では急ピッチでUボートの建造が行われ、6月末には140隻が行動可能になっていた。

Uボートの通商破壊が勝るか、連合軍の物量が勝るか。この時はまだ分からなかった。

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関連項目

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