山城(艦これ) 単語


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フコウ

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「私、だいたいドックにいますよね…」

山城(艦これ)とは、大日本帝国海軍の戦艦「扶桑」と「山城」をモチーフとした艦娘である。

 扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です

→扶桑(艦これ)も参照

 戦艦系艦娘であり、巫女服を大幅にアレンジしたような着衣と艶やかな黒髪が特徴で、ストレートロングの扶桑に対し、山城はショートカット。背中の背負い物(主砲塔)も姉と同様、ひときわ目を引く巨大なものになっている。そして、『不幸姉妹』の由来にもなっているパラメータ “ 運:5 ” もまた、姉と同じ。

 セリフは姉よりハキハキと言っているものもあるが、小破を食らった時や戦績表示を開いたときなどでやたら「不幸」という単語を使うあたり、病み・自虐キャラとしての側面は姉より強いかもしれない。が、入手時やMVPを取ったときのセリフなどにあるように、とにかくひたすらに姉を思っている実に良い妹である。

 史実 ……不幸の史実かしら

 日本初の超弩級戦艦として建造された扶桑型戦艦の二番艦。建造は横須賀海軍工廠。大正2年(1913年)11月起工、大正6年(1917年)3月就役。
 「山城」は京都御所の所在地であり、1000年にわたって皇都の所在地だった山城国に由来。日本の雅称である「扶桑」の名を与えられた姉ともども、日本海軍の大きな期待をかけられて建造された扶桑型姉妹だったが、後世知られているように主砲塔や動力機関・防御区画の配置に様々な問題があり、完成した傍から「欠陥品」の烙印を押されるものとなってしまった。

 艦これを普通にプレイしているだけでは伺えないが、戦艦「伊勢」と「日向」は本来扶桑型の三番艦・四番艦として建造される予定だったものを、「扶桑」「山城」で判明した問題点を修正・再設計して建造されたため、「(改)扶桑型」などではなく「伊勢型」という別型艦として扱われている。

 欠陥を立て直すべく改装を重ねられ、時に“違法建築”とも揶揄される巨大な前檣楼が特徴となった「山城」と「扶桑」を見分ける特徴のひとつが、まさにその前檣楼で、「扶桑」は背面の下側が「くの字」にえぐれているように見えるのに対し、「山城」は補強フレームが入っているため長方形を立てたように見える点である。
 もうひとつの明確な相違点は、前檣楼と煙突の間にある第三砲塔の向きが、「扶桑」は前向き、「山城」は後向きになっているところであろう。

 「ドックに入っている方が長い」と言われた「山城」の艦歴として、あまり知られていないことだが、昭和3年12月から昭和4年11月の約一年間、連合艦隊の旗艦となっている。
 当時の連合艦隊司令長官は海軍大将・谷口尚真(たにぐち・なおみ)。「日米不戦」の考えの持ち主で、この後就任した海軍軍令部長のとき、ロンドン海軍軍縮条約の成立に尽力。陸軍が起こした満洲事変に反対し、これに便乗した海軍軍拡の動きを押しとどめるなど、海軍の「良識派」を代表する提督だったが、強硬派のボス・東郷平八郎元帥に嫌われ、面と向かって罵倒されたこともある。そして昭和8年、強硬派が主導権を握った海軍から「予備役入り」という形で事実上追放されてしまう。やっぱり不幸だわ・・・

 各艦は私に構わず前進して!敵を撃滅してくださぁーい!

 太平洋戦争開戦時は第一艦隊第一戦隊所属。真珠湾攻撃を皮切りに、南雲艦隊をはじめとする日米の空母機動部隊が太平洋の戦いを席捲するなか、「山城」その他の戦艦群はほとんどの期間日本本土にあり、出撃らしい出撃といえばミッドウェー海戦で、南雲機動部隊の後ろをついていったのみ。
 そのミッドウェー海戦で、「赤城」をはじめとする正規空母4隻を一気に喪失した穴を埋めるため航空戦艦への改装が検討されたが、資材と時間がなく、最終的に「伊勢」「日向」のみが改装された(ゲーム中で航空戦艦に改造できるのは、これを踏まえてのもの)。

 戦局が悪化の一途をたどる昭和19年(1944年)になると、空母の速力についていけない低速戦艦とはいえ内地で練習艦に使っておくわけにもいかなくなり、横須賀工廠で最後の改装を受けて出撃準備を整える。この改装は本来、フィリピンではなくサイパン島へ特攻をかけるためのものだったというが、結局9月に西村祥治中将指揮下の部隊(=「栗田艦隊」こと第一遊撃部隊の第三支隊)へ「扶桑」とともに配属され、レイテ沖海戦に臨むことになる。

 【第一遊撃部隊(第二艦隊)第三群】 司令官:西村祥治 中将 艦隊旗艦:戦艦「山城」

  • 第2戦隊 戦艦「山城」「扶桑」
  • 第4駆逐隊 駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」
  • 第27駆逐隊 駆逐艦「時雨」
  • 附属 重巡洋艦(航空巡洋艦)「最上」

 →レイテ沖海戦(スリガオ海峡の戦い)を参照 

 艦これの「山城」中破時のセリフは、スリガオ海峡の戦いで旗艦「山城」から最後に出された、西村司令官の命令電に由来する。魚雷攻撃を受けて1番・2番以外の主砲塔が使用不能となった状態で、米艦隊と激しい砲雷撃戦を繰り広げた「山城」は大破・炎上。昭和19年10月25日午前4時19分、「山城」はフィリピンの海に沈んでいった。あの巨大な前檣楼が、炎の中崩れ落ちていったという目撃証言がある。生存者は10名足らず。
 スリガオ海峡で乱戦になった際、「扶桑」は魚雷4本が命中して大破、大爆発を起こす。しかしその後に「山城」から麾下艦隊に突撃命令が出され、西村司令官から栗田艦隊へ送られた緊急電でも「扶桑」の被雷について記されていない点から、「山城」は「扶桑」の状況を把握できない(もしくは後続の「最上」を「扶桑」と誤認した)まま、戦闘続行していたのではないかと言われている。

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  • 艦隊これくしょん~艦これ~
  • 扶桑型戦艦
    • 扶桑(艦これ)

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