林家三平 単語


ニコニコ動画で林家三平の動画を見に行く

ハヤシヤサンペイ

1.1千文字の記事
これはリビジョン 2367205 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる

林家三平とは、落語家の芸名である。

  1. 「昭和の爆笑王」の異名をとった初代三平。
  2. ↑の人物の二男。9代目林家正蔵の弟。元林家いっ平。

本記事では両方の人物について説明する。

初代三平の概要

1925年東京都生まれ。本名海老名泰一郎。

東京の下町で生まれ、父親も落語家(6代目林家正蔵)という典型的な落語環境の中で育つ。当初は医師を目指していたが、ほどなく父親に弟子入りし林家三平の芸名を名乗る。大方の落語家は芸歴を重ねるにつれて改名することが多いが、三平は前座時代の高座名のまま生涯を全うした珍しい例である。

その後父親が死に一門を移籍。1951年に二つ目に昇進し翌年結婚。妻・香葉子との間には美どり、金髪ブタ野郎と離婚した泰葉、終身名誉こぶ平9代目正蔵、そして2代目三平が生まれる。1958年真打昇進。

テレビが家庭に広まり、芸能ブームが起こると初代三平はその中心的存在になり人気が爆発する。初代三平の芸風というと「どうもスイマセン」に代表されるギャグとダジャレ、小噺が中心で本格的な噺は苦手というイメージが持たれがちだが、実際は古典落語にも十分力を入れており、落語家としての技術も備わっている。また下ネタが大嫌いでネタにも決して入れることはなく、芸人としての品格も持ち合わせていた。なお下ネタはご法度という教えは弟子にも受け継がれている。

晩年、病に倒れ医者が意識を確認するために「あなたの名前は?」と聞いたところ「加山雄三です」と答え、死の直前においても芸人としてボケる事を忘れなかった父の姿を見て二人の息子は「かなわない」と感じたという。1980年に肝臓癌で死去。残された弟子は一部を除き2番弟子の林家こん平が引き継いだ。

弟子の芸名を付けるのが下手だったらしく、安易な名前をつけていた。漫談として活動している林家ペー・パー子もそのうちの一人である。

二代目三平の概要

1970年生まれ。本名海老名泰助。散々説明したが初代三平の二男。

父の死去時は小学生のため直接教えは受けていない。中央大学在学中の1989年に兄と同じく林家こん平に入門、「いっ平」を名乗る。1993年二つ目、2002年真打昇進。

2009年に二代目三平を襲名。「母が生きている間に正蔵と三平を揃い踏みさせたかった」と語っていた思いが実現することになった。ビートたけしからは「金とコネで三平を襲名した」とボロクソに言われたが。

小学生の頃、落語の稽古で度々殴られていた兄を見て「兄貴はよく殴られてたんこぶを作るね」と発言し、初代はそれがきっかけでこぶ平という芸名を名付けたという。

関連動画

関連商品

ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。

関連項目

  • 落語
  • 林家正蔵
  • 林家こん平(初代の弟子にして二代目の師匠)
  • 春風亭小朝(元・義理の家族)
  • 笑点

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
東方Project[単語]

提供: おさゆく大好き

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/06(土) 09:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/06(土) 09:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP