津田恒実とは、広島東洋カープに所属していた元プロ野球選手である。現役最終年の背番号は14
ホークスにおける藤井将雄とも呼べる人。
入団時の名前は津田恒美であった。
1981年にドラフト1位で入団。
ルーキーイヤーから2桁勝利をマークし新人王に輝くものの、翌年以降はルーズショルダーに悩まされ不調。
プロ入り4年目に名前を恒美から恒実に改名し(ついでに背番号も15から14になる)、翌年には抑え投手として復活、カムバック賞を獲得する。
7年目の1988年はリリーフ失敗を繰り返し2007年の永川的ポジションに置かれてしまう。
しかし、1989年には最優秀救援投手に輝き、見事に復活を遂げ、炎のストッパーと呼ばれた。このとき野球板があれば土下座スレが乱立していたことであろう。
1990年シーズン終了後から頭痛をはじめとする体の変調が現れ始め、翌年もそれが続く。
4月15日に悪性の脳腫瘍があることが判明。この年限りで引退する事となる。
この前日の読売ジャイアンツ戦での登板が生涯最後の登板になるなどと誰が予測し得ただろうか(ちなみに、最後の打者は原辰徳)。
なお、球団側は引退の理由について、本当の病名を伏せて発表していた。
津田の病を知ったチームメイトは奮起し、見事カープをリーグ優勝に導いた。
この年の投手部門をカープの選手が総なめにしていることからも津田に対する想いを伺う事が出来る。
そして1993年7月20日に永眠。このとき32歳であった。
そして、この日はオールスターゲームの日で、津田が亡くなった時は試合中だった。
広島市民球場には彼の功績をたたえるためのプレート(通称・津田プレート)が設置されている。
プレートは新広島市民球場にも移設される。
座右の銘は「弱気は最大の敵」
これは、津田のメンタルが高校時代に精神安定剤(と偽った小麦粉)を渡された事もあったほど弱かったため。
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最終更新:2025/12/06(土) 09:00
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