涼月(艦これ) 単語


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涼月(すずつき)とは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。モデルは旧大日本帝国海軍に所属していた秋月型駆逐艦3番艦『涼月』。

担当声優は藤田咲。イラストレーターはしずまよしのり。

注意 この記事は、未実装の艦娘のネタバレを含んでいます。
楽しみを奪われたくない方は、ここから下は実装まで読まないようにしましょう。

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概要

2017年秋季に開催される予定の、2017年秋イベントにて先行実装される見通しの駆逐艦娘。

4番艦の初月以来、2年近く経ての久々の秋月型の実装である。

2017年9月16日、公式イベント「第4回艦これ観艦式」にて艦娘紹介の中でスクリーンにイラストを映して紹介された。
同イベントで出演していた声優、藤田咲が担当となることを自ら発表。実装前の艦娘で担当声優、イラストレーター共に明らかとなる珍しい例となった。

容姿については、まだ一般公開はされていないものの、pixivなどのイラストですでにかなり正確な絵が投稿されている。
ややタレ目気味の目つきだが、全体に表情はクールそうに見える。髪の毛は肩まで伸びた銀髪(小さなサイドテール付き)と、秋月型共通のコルセット付きセーラー服に白のインナー、白のスカート、白のタイツという風に、妹の初月と対照的なカラーリングである。さらに、上からグレーのジャケットを羽織っているのが特徴。

これも秋月型共通の長10cm砲ちゃんは瞳が十字形になっているようである。

能力については不明なものの、戦後まで生き残った艦であるため、運の値は高いことが期待される。

性格面もやはり不明だが、下記の史実において坊ノ岬沖海戦時の艦長、平山敏夫中佐が大の音楽好きで、レコードの曲に乗って先任将校とダンスする人物だったとのこと。ひょっとしたら実装の暁には音楽や踊りの好きな艦娘との交流が見られるかもしれない。

史実について

駆逐艦「涼月」は、1941年3月15日に三菱長崎造船所で起工。1942年3月4日に進水した。竣工し、第61駆逐隊に配属されたのは1942年12月29日のこと。4番艦「初月」と同時であったが、進水は涼月の方が早く、彼女が姉になった。

配属後、涼月は初月と共に行動し、空母飛鷹・隼鷹の護衛や輸送任務などを行う。その中で、戦死した山本五十六司令長官の遺体を乗せた戦艦武蔵を内地まで護衛したこともあった。1943年中はこのような護衛・輸送任務が中心で、やや地味な艦歴を重ねることになる。

状況が一変するのは1944年。「特設巡洋艦 赤城丸」と輸送任務についた涼月は、米潜水艦の雷撃を受けて艦首と艦尾に直撃。艦首艦尾共にさらには艦橋まで失ってしまった。この修理には実に半年以上を要し、結果として艦橋が他の秋月型とは異なる角ばった形状のものとなった。これは、戦時急造のために今後建造予定の秋月型に簡略化された艦橋をつける計画が有り、そのための設計を使ったものと言われる。また、艦首もすでに冬月などの後期秋月型で採用されていた喫水線下の丸みを廃止した直線的なものになった。

10月になって、今度は台湾への輸送任務につくが、またしても米潜水艦の雷撃によって艦首を失い、11月まで修理がかかるうちにレイテ沖海戦への参戦機会を逃してしまった[1]。そして、姉の秋月と妹の初月は沈み、第61駆逐隊は解散。妹の冬月と第41駆逐隊を組むことになる。刻々と悪化する戦況の中、涼月は冬月と共に懸命に護衛任務をこなすが、米潜水艦が跋扈する中でその苛酷さは増すばかりであった。

そして運命の1945年4月7日、天一号作戦が発令され、大和を中心とする海上特攻部隊に組み入れられた涼月と冬月は、坊ノ岬沖海戦に望むことになる。
絶望的戦力差の中、必死に対空砲火を打ち上げる涼月であったが、奮闘むなしく右舷艦橋前方への爆弾直撃に1,2番砲塔は大破し動作不能におちいる。更に火災と至近弾もあっての大浸水によって事実上戦闘力を喪失してしまい、この時点でもはや目標の沖縄への突入は叶わぬ事となり、彼女の海戦は終わった。
大和は沈み、生き残った仲間である「冬月」、「雪風」、「初霜」ともはぐれ、艦前部の損傷によって前進すれば浸水→沈没の危険があるため、後進で徐々に母港を目指すしか無くなった涼月。艦橋の火災で海図も焼失し、羅針盤も破壊されてしまったので方向を見定めることすらままならない。内火艇の羅針盤を使い、地元出身でこの海に詳しい乗組員に星の位置から方向を判断させるなどして、なんとか佐世保への帰投を目指す。
途中で米潜水艦に狙われるも、あまりにも遅い速度だったので相手が見越しを誤り、(あるいは後進状態だったので、スクリューの航跡と艦体の位置関係がずれたためか)命中せずに済んだ。途中で会った初霜にも針路を教えてもらい[2]、翌8日に遂に佐世保へ帰り着いた。先に帰っていた三隻から歓声で迎えられ、港のドックに収容されようとしたが、この時前進したために浸水が激しくなり、ドックの中で膝を折って倒れこむように着底することになった。ここでは詳しく書かないが、この生還の影で幾人もの乗組員が艦を救うために奮闘し、命を落としている。是非とも関連書籍などを読んで確かめてほしい。

その後、大破箇所に仮の補強材を当てただけの修理を施されたものの、とてもじゃないがまともな航行の出来る状態ではなかった。涼月は予備艦となり、佐世保市相浦の海岸に係留されて、残った後部砲塔を活かした浮き砲台となり、終戦を迎える。それまでに、敵の空襲時に米戦闘機を1機撃墜したことはせめてもの意地であったろうか。戦後、米軍が調査に訪れた時の写真が残っており、現役時よりもこちらの方の写真を見たことがある方が多いのではないだろうか。

1945年11月25日に除籍。1948年に上部構造物を撤去の上、妹であり戦友でもあった冬月と共に、福岡県北九州市の若松港に防波堤として艦体を利用されることになった。当初は、艦の姿がほぼ完全に見えており、内部に立ち入ったりも可能だったという。現在は、若松港の埋め立て拡張にともなって、艦体は全てコンクリートの下に埋まってしまい、その姿を見ることは出来ない。しかし、彼女がまだそこにいることは紛れもない事実であり、今日も平和な日本の海を見守り続けているのである。

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関連項目

  • 艦隊これくしょん~艦これ~
  • 藤田咲
  • 第61駆逐隊
    • 秋月(艦これ)
    • 照月(艦これ)
    • 涼月(艦これ)
    • 初月(艦これ)
    • 若月(未実装)
  • 秋月型姉妹

脚注

  1. *この時新しくなった艦首は、さらに簡略化と建造日数の短縮を狙った直線的なものである。松型駆逐艦の後期型である橘型駆逐艦、そして1号型海防艦で導入されたものと同様の設計が取り入れられていた。艦首舷側のフレア(反り返り)をナックルライン(折れ曲がり)に改め、他の部分も極力直線で構成された。なお、秋月型最終艦「花月」においてもこの艦首は採用されておらず、なお建造が続いていた場合のために設計されたものであろうか。いずれにしても、この艦首と艦橋の組み合わせは涼月の唯一無二の特徴となっている。
  2. *このエピソードはよく知られているが、実際にどの艦にいつ先導してもらったのかは精査を要する。当時の部隊の状況は帰投困難な艦は生存者を引き上げた上で撃沈処分する方針であり、「霞」、「磯風」はこれに従って沈められている。涼月とて自力で動けるとはいえ五十歩百歩であるため、僚艦に出会ったタイミングによっては同様の運命だったはずである。

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