長岡高校は、新潟県長岡市学校町3丁目に所在する県立高等学校。「長高(ちょうこう)」、「県立長岡」の呼称。
同県中越地区に立地し、「文武両道」、「質実剛健」の精神で存在感を示してきた。08年の学区解放により、中越地区のみならず多くから生徒が集まるようになったが、新潟大学教育学部附属長岡中学校(=通称フゾッキー)からの進学が一番多い。
原則、制服はなく私服登校である。ただ、学校指定の学生服は存在し、特定の部活動の生徒などはこれを着用することもある。
普通科(6クラス)と理数科(2クラス)が存在。いずれも全日制。1クラス40人制。1学年300人弱、生徒総数900強。
進学においても、東京大学、新潟大学医学部合格者を若干名、東北大学、早稲田大学、慶応大学、新潟大学他学部、MARCH合格者を例年輩出など優れた成績を残している。反面、のびのびとした校風が特色でもあり、一辺倒な人間を作らないことが学校のモットーでもある。そのため勉強に対する強制は比較的少なく、運動や文化活動などやりたいことを思い切りやれることも大きな魅力だ。また高3の夏まで部活動に傾倒している生徒も少なくなく、受験真っ只中の冬季においてもそこまで空気はピリついていない。しかし、それでも同校の生徒は結果を残しやすいという。これは風土特有の粘り強さと、部活動で培った起爆力が功を奏しているのだとか。
立地としては栖吉川を挟んでかつて女子高であった長岡大手高校(現在は共学)があり、割と関係は深い。ちなみに長高は昔(実質)男子高であり…まぁ、はい、お分かりかと思います。同学体育祭にて開催される、変わり種「渡河レース」はこれが由来である。
「米百俵」の精神を汲んで建設された長岡洋学校が前進。第一校歌においても「明治5年の冬の頃、洋学校の開始より」というフレーズがある。また明治9年に井上円了らによって、後の生徒会「和同会」が設立。当時の学校制度からこの頃は尋常「中学校」ないし「中学校」であったが、名称変更などの変遷を経、
昭和23年の学制改革で長岡高等学校となる。昭和25年には共学開始、昭和47年に現校舎完成、
元号が変わって平成7年(95年)には理数科設置、平成14年(02年)には理数科が文科省から「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」に指定(04年度末をもって解除)、平成23年(11年)には高校正門が国の「登録有形文化財」に指定された。
代々、長岡高校に伝わる不思議な踊り由緒正しき体操。エイヤ、セイヤッとの掛け声(実際には『ヤァ!』とだけ)とともに横方向へ正拳突きをしたり、小気味良くジャンプしたかと思えば、器械体操の様に広々と大きく跳躍したり、なかなか習得の難易度が高い。ちなみに学校の運動行事や体育の授業など様々な準備運動にこれを用いるので、一年次一学期での習得が長高生の責務となっている。習得が遅い生徒などは体育科のキツいシゴきに合い(体罰はない)、男子生徒に至ってはノンケがホモになる場合がある。
→男子は新規入学の際は貞操をかけて頑張って欲しい。
通常の高校のように体育祭や文化祭(和同祭)などは存在する。また、一年次の宿泊研修や小規模の運動大会である「部会」(専行する部活動と同種目参加禁止の縛り有=水泳部なら水泳競技に出場できない)、雪国ならではの泊りがけのスキー授業など、学校行事においては充実傾向であるが、
「修学旅行」はない(生徒同士の駆け落ちで中止になった)。
長岡駅からも近く通学に不便はなく、同駅は再開発が進み地域活性の華々しさを象徴している。また、大手高校方面、四郎丸にはショッピングセンター群もできた。以前とくらべて比較的快適である。
マルシャンという学校手前に位置するパン屋がライフライン。ここの供給が途絶えると死ぬ。
動画は同窓会による記念花火…しかありませんでした
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※投稿にあたって。本項投稿の目的はより多くの人に学校の魅力を知ってもらいたいという考えから製作しました。
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最終更新:2025/12/23(火) 04:00
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