香川伸行(1961年12月19日~)とは、南海ホークス及び福岡ダイエーホークスに所属していた元プロ野球選手である。
現役時代はプロ野球選手とは思えぬほどの巨体を持ち、水島新司の漫画「ドカベン」の主人公である山田太郎に似ていたことから「ドカベン」・「ドカベン香川」と呼ばれており、引退後もこの愛称が定着している。
浪商高校時代は捕手としてくみてふこと牛島和彦とバッテリーを組み、3年生時に行われた夏の甲子園では3試合連続本塁打を放つなどの活躍を見せる。
打撃面では非凡なものを見せていた反面守備面はあまり評価されておらず、1979年のドラフトで南海ホークスに2位で指名された時も「(当時あまり人気が無かったと言われていた南海が)話題性優先で取った」と揶揄された。
しかしプロ1年目の1980年、7月7日に一軍登録されると、翌8日の近鉄戦にて4回からマスクを被り、直後の5回に回ってきたプロ初打席で近鉄の井本隆から推定140メートルの特大本塁打を放つという衝撃的なデビューを果たす。打たれた井本は「メンツ丸つぶれ、ノースリーだし打ってこないと思った・・・」と大変悔しがっている。
試合では最後までマスクを被り、9回には代走のスペシャリストと言われた藤瀬史朗を二塁で刺している。
この年は50試合に出場し、打率.282、8本塁打25打点と高卒ルーキー捕手としては申し分ない成績を残している。
81年は前年と同程度の出場機会で打撃成績を若干落とすものの、82年は「スタメンでバリバリやりたい」と宣言し出場機会が増加したが、守備面で盗塁阻止率2割代という弱点を露呈。
83年は開幕から香川自身も「なんでかわからん」と語るほど打撃が好調で、4月26日には打撃成績でトップに立ち、7月近くになっても打率は.360と高い数値を維持してオールスターにもファン投票で初選出されるが、このオールスターで7打席ノーヒットに終わるとシーズンの打撃も陰りを見せ、8月11日には首位打者から陥落、さらに左手首の腱鞘炎が悪化したことで試合を欠場した結果規定打席にも到達できなかったが、最終的に打率313、15本塁打61打点という自己最高成績でベストナインを獲得した。
ちなみにこの年体重は100キロを超えていたと言われているが、香川は5つの盗塁を記録している。
しかしこの頃から香川は自身の巨体に苦しめられるようになり、減量にも励もうとするが周囲の人間は香川を執拗に食事などに連れまわそうとし、まだ20代前半の若者であった香川もその誘いを断りきれず、徐々にその体重は増加、86年には三塁守備にも挑戦し、87年は体重が130キロにまで達したと言われ、監督であった杉浦忠から「このままでは命に係わる」として減量を命じられるもののうまくいかず、結局89年に現役を引退した。
引退後は解説者や居酒屋を経営するなどして生活していたが、現役時代の不摂生が祟ったのか急性腎不全を発症し、週3回の人工透析が欠かせない体になってしまったことですべての仕事を失い、自己破産という憂き目にあっている。
現在は少年野球の指導やマスターズリーグなどで活動している。
現役時代からおっとりしており、スポーツ選手とは思えぬその巨体から色々な人からネタにされている。
また人が良く、現役時代はたびたびくる誘いを断る事が出来ずに、当初は100キロ程度の体重も一時は130キロ台にまで増加していた。
選手としては右に左に打ち分ける打撃は高く評価されていたが、守備面は肩もキャッチングあまり良いものではなかったため、球界を代表する捕手である森祇晶は野村克也との対談にて「DHでいいよ、彼は」とバッサリ切り捨てている。
しかしその巨体を生かしたブロックには定評があり、83年には首位打者を争った落合博満は「ブロックは香川がNo.1」との評価をしている。
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最終更新:2025/12/06(土) 05:00
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