鳥取の飢え殺し 単語

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鳥取の飢え殺し(とっとりのかつえごろし)とは、日本史においても類のない凄惨さで知られる籠城戦である。

三木の干し殺し高松城の水攻めと併せて、秀吉三大城攻めと称される事も。

概要

事の起こりは、1580年(天正8年)6月、織田信長から中国攻めに派遣された羽柴秀吉が、因幡国守護職・山名豊国が守る鳥取城を攻めた「第一次鳥取城攻め」から始まる。
三ヶ月に及ぶ籠城戦の末、山名は降伏。織田に臣従することとなった。
ところがその後、毛利氏に迎合して徹底抗戦を掲げる家臣らによって、山名は城から追放されてしまった。その後は毛利家重臣にして石見吉川家当主・吉川経家が新たな城主として迎えられた。

この知らせを聞いた秀吉は、ただちに2万の兵を率いて侵攻。周辺の要所に十数もの砦を築き、あっという間に包囲網を完成させると、陸路・水路ともに往来を完全に封鎖してしまった。
(この時ブラック企業並みのハードワークで仕事を完遂した土木建築集団は、その後の戦でも大いに活躍する事となるが、それは別の話)

一方、包囲された鳥取城では兵糧米の備蓄が大きく減っていた。というのも、米の不足が原因で米の値段が吊り上がり、先に山名を追放して城主不在の間に米が横流しされた事などが原因である。
これに先駆けて、秀吉は米を高値で買い占め、毛利家からの兵糧援助を潰すという手段に出ていた。先に述べた通り、米の価格高騰に伴って城内の米が横流しされたのはこれがきっかけというから笑えない話である。
また周辺地域の村を攻撃して住人を鳥取城に逃げ込ませ、食料の消費を更に増やさせるというえげつない一手も打っている。
一人あたり約8kgしかない米で食いつなぎながら戦闘するのは、無理を通して絶望的な話だった。

こうして補給を完全に断たれた鳥取城内ではたったの一月で兵糧が底を尽き、餓死者が出るようになる。
この時の様子は凄まじいもので、

餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず
(信長公記)

とある。
助けを求める人々に対して秀吉軍は容赦なく鉄砲を打ちかけ、昼も夜もなく威力偵察によって戦力を削ぐ。一方で城外で派手に歌舞音曲を奏し、神経を擦り減らし心をへし折る作戦を続けた。

日本において人肉食についての記録は稀なものだが、その稀なもののひとつが、この時の鳥取城の惨状を記したものである。

糧尽きて馬牛などを殺し食いしかども、それも程なく尽きぬれば餓死し、
人の宍(しし)を食合へり
子は親を食し、弟は兄を食し杯しける

【訳】食料が尽きたため馬や牛を代わりの食料にするがそれもすぐに尽きて餓死者が出たため、今度は死んだ人間の肉を食べている。子供は自分の親の死肉を食べ、弟は兄の死肉を食らっている。

(豊鑑)

味方は死骸を引取切分て是と喰ひ、或は手負て未だ死果ぬをも
是は深傷なり助かるべきに非ず、苦痛をなさんより早く死かしとて
無体に切殺し節々を放して其脳を喰ひ、中にも
佳味は首に有へりとてを頭を砕きて争ひ喰ふ有様

【訳】味方は人間の死体を切り分けて食べあい、まだ死んでいない負傷者に対しても「わー これは深手だから助からないわー 苦しむより楽にしてあげなきゃー(棒)」と残酷にも斬り殺し、パーツ単位で引きちぎって中身を食い、体のパーツのなかでも頭が超美味しいわーと言って頭の部分を砕き、その中身の奪い合いをしている状態である。

(真書太閤記)

それでも経家は四ヶ月もの期間を耐え抜いたが、遂に限界を迎えて降伏。
経家の他、抗戦派の家臣だった森下道誉、中村春続の命と引き換えに、城内の生き残りの助命が叶えられた。

開城後に姿を見せた生き残り達の様子は尋常でなく、痩せさらばえて汚穢にまみれ、餓鬼の如く腹ばかりが膨らんだ姿に、羽柴軍の兵卒らは震え上がったという。
すぐさま飯が炊かれて彼らに与えられたが、長らく絶食していた所に急激に食物を摂取した結果、胃痙攣を起こして死亡する者が半数に上ったと伝えられる。そのため、秀吉はそれ以降の兵糧攻めで倒した相手には食物を少しずつ与える事を指示している。[1]

秀吉は経家の奮戦に感服し、助命の上で臣従を求めたが、毛利家家臣として自ら責任を取ろうとする経家の意思は固く、信長の許可を得た上での切腹となった。
身を清め、気に入りの袷に身を包んだ経家は、遺書と辞世の句をしたためた後、家臣と別れの盃を交わした後に腹を切った。この時大声で「内々に稽古したものでもないから無調法であろうかも知れぬ」と言って呵々大笑してみせたという。享年35歳。
その首級を前にした秀吉は「哀れなる義士かな」と言って落涙し、信長に届けられた後に丁重に葬られた。

この時書かれた遺書の内、別流(安芸吉川家)当主・吉川広家、家臣、我が子らに当てた三通が現存している。
特に最後の手紙は幼子でも読めるようにひらがなが使われており、涙を誘う内容となっている。

とつとりのこと よるひる二ひやく日 こらえ候
ひゃう(ろう)つきはて候まま 我ら一人御ようにたち
おのおのをたすけ申し 一門の名をあげ候
そのしあわせものがたり
おきゝあるべく候 かしこ

天正九年十月二十五日 つね家 花押
あちやこ 申し給へ かめしゆ まいる かめ五  とく五

その後

2014年7月、鳥取市教育委員会が鳥取城址マスコットキャラクター「かつ江さん」を発表。
やせ衰えた女性をモチーフとしたデザインやだいぶアレな題材が問題となり、物議を醸す事となった。
ゆるキャラとは一体……

あまりにも悲惨な内容である為、大河ドラマ等では大体スルーされる出来事のひとつ。
黄金の日日」の第24回・第25回で扱われ、ギリギリの描写がされている。

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関連項目

  • 歴史
  • 日本史
  • 戦国時代
  • 安土桃山時代
  • 羽柴秀吉
  • 織田信長
  • 吉川広家
  • 三木の干し殺し
  • 高松城の水攻め
  • かつ江(渇え)さん
  • リフィーディング症候群

脚注

  1. *「リフィーディング症候群」と呼ばれ、飢餓状態の人間に急激に栄養が入ることで臓器不全や不整脈などを引き起こし突然死する疾患。この疾患に関する国際的な記録は、第二次世界大戦において飢餓状態の日本兵捕虜に食物を与えた連合軍の記録が最初とされているが、歴史資料が正しければ、それより400年以上前に秀吉はリフィーディング症候群の発生に遭遇していたことになる。

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