ゆとり教育とは、詰め込み教育に対し提唱された教育のあり方である。通称「ゆとり」。
- 日教組が提唱し、1980年度に施行された学習指導要領による教育。ゆとりカリキュラム。
- 1992年度に施行された、「新学力観」に基づく学習指導要領による教育。
- 2002年度に施行された(高校は翌年)学習指導要領による教育。ゆとり世代の語源となったもの。
本稿では1.2.に軽く触れつつ、主に3.について中心に記述する。
概要
戦後教育は、「科学技術の発展についていける人材を養成すべきだ」という声から、学習内容増強に邁進してきた。しかしながらその反動で「詰め込み教育だ」「ゆとりがない」という批判を受け続けてもきた。それを受け、文部科学省は、完全週休二日制、授業時間数削減、内容削減などの施政をしてきた。また、かつて新自由主義的志向が流行した時期には、教育にもそれを反映しよう (大々雑把に言えば「勉強は塾に任せよう」) と考える勢力もいた。
特徴は、2002年度から施行された「学習指導要領」によって、小学校6年間の算数授業時間数はかつての1047時間から869時間にまで下がった(教育内容の3割削減)、「週5日制の完全実施(これ以前から行われていた学校もある)」、「総合的学習の時間の新設」の3つである。また私立学校についてはこの限りでない学校もある。
その発端は、1996年に出された中央教育審議会の答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」(第一次答申)に基づいて出された1998年の学習指導要領である。この答申の課題が、「子供に[生きる力]と「ゆとり]を」と謳っている為に、この答申を受けて作成された教育課程を「ゆとり教育」というようになった。
ゆとり教育が生まれるまで
ゆとり教育が生まれる事の直接の原因は、「臨教審」(臨時教育審議会、通常の中央教育審議会が文部(当時)大臣の諮問機関であるのに対し、総理大臣の直接諮問機関として設けられた)が、1984年9月から3年に渡り審議を続け4回の答申の内容である。そしてこれを受けて1988年に出された「学習指導要領」に基づいて、1992年に実施された教育課程から、この答申の考え方が教育に反映され始める。
その答申の内容は、
本審議会は従来の我が国の教育を全体として「追いつき型」画一教育であったとして、その過去における実施を高く評価しつつも、今や社会の成長から成熟への移行に際する教育改革の方向として、個性重視の方向を最も大切なものとしているのであります。したがって、個性重視の原則に立って、現存の教育全般にわたり見直しを行ったわけでありますが、今日、最終答申において、これまでの具体的提言を振り返って見ますとその方向が全体にわたっているのがわかります。生涯学習体系への移行、初等中等教育の充実、高等教育の多様化、教育行政の改革等いずれも従来の日本の教育の画一性、硬直性の排除の方向を極めて顕著に出しています。(大蔵省印刷局編「教育改革に関する答申:臨時教育審議会第一次~第四次(最終)答申」1998年、149項)
つまり、戦後一貫して行われ「詰め込み教育」と揶揄された「追いつき型画一教育」を改めて、「個性重視の教育」へと転換しようとした。具体的には、「新しい学力観」と呼ばれるものである。そうした中で本当に大きく変えられたのは、2002年の「ゆとり教育」からではなく、1992年に実施された教育課程において「生活科」と共に唱えられたものである。
日本の教育は、それまで「平等」「画一」が国是であった。戦後農地改革を経て、本当の意味での平等の時代を迎えた日本社会は、全国一律の教育を保障する為にあった。だからこれを基に作られる教科書は、教科書調査官によって微細に渡り、細かに注文をつけられどこの出版社も大差がなかった。授業は平均レベルの生徒児童に合わせられ、進んでいる遅れている子供に関わらず、それに合わせられていた。これはしばしば「悪平等」とも批判された。
「新しい学力観」では、この平等主義をやめた。基礎基本ができていれば、後は一人ひとりの学力の中身・内容が違ってもいいというのが基本的な考えである。
しかし、学んでいる内容がみんな違うとなると、教師や学校の立場からすると同じテストで計れない、評価が出来ない事になる。「知識」がバラバラでも、それに向かう「関心」「意欲」「態度」は、共通で評価出来るではないか、それを計ればいいということになり、全国の通知表が一斉に変わった。
そして、「関心」「意欲」「態度」は数量化が難しい、つまり基準点が設けられないという事なので、偏差値や5段階評価が出来ない事になると、他人とは比べない個人内評価的「絶対評価」というものが導入される事になった。
これは、他人と比べずに、一人の子が以前より努力をしたかどうか、関心を持って意欲的に学習に臨んだかどうかという事を中心に評価しようというものであった。例えるならば、漢字1000個書ける子が、学期終わりに1200個書ける事よりも、200個しか書けなかった生徒が、400個書けるようになることを「意欲をもって学習に取り組んだ」と評価するようにしよう事である。
実際、「単なる知識よりも、関心・意欲・態度が大切」という言い方がしばしばされた。知識を単にまる覚えするのではなくて、関心・意欲をもって主体的に取り組む態度で望むことで、個性的で簡単には剥げ落ちない本当の知になると考えられたのである。そしてそこでの教師の役割は、望ましい学びを授けるのではなく、一人ひとりの自分探しのための学びを助ける・私怨するというものに転換することが求められた。
しかしこの「新学力観」は、学校現場に混乱をもたらした。同時にこれとの関わりで行われた、中学校の進路指導からの「偏差値追放」が混乱に拍車をかけた。偏差値追放は、1992年の埼玉県の業者テスト追放に端を発したが、中学校内で実施していた業者テストが外の会場に移り、料金は3倍になり、進路指導を塾や予備校に丸投げせざるを得ない結果に終わった。
元々偏差値は、平等主義を標榜する評価法である。これを使えば、地域内格差・学校間格差があっても、その格差を縮小出来る。例えば、東京都と沖縄県の受験学力に差があるとしても、その地域内での偏差値に基づく内申書を重視すれば、沖縄県出身者でも東京の大学に入りやすくなるという効果が期待できる。
しかし、「新学力観」の下では、それは悪でしか無い。なぜなら、偏差値では個人個人の具体的学力内容が問われずに、ある集団の中での順位のみが問題になるからである。それにまた、国による大学入試「共通一次試験」の導入で、地域差を埋めて平等を維持する効果がなくなってしまった。共通一次試験(現在のセンター試験)は、国による全国一律「輪切り」という、偏差値の悪い面だけを浮き彫りにしてしまった。「新学力観」に基づく「偏差値追放」は、国がかつては推進・整備してきた教育政策の積み重ねを打ち消し、大きな転換をもたらすという効果を期待されたものであった。
戦後の教育改革の流れ
- 1947年 GHQの指導の下、教育の民主化が行われ、生活に役立つ学力を目指した「経験主義教育」が行われ「社会化」が始まる。
- 1958年 文部行政が中央集権化され、戦後新教育が終わり、道徳教育・科学教育が重視される。「学習指導要領」が、参考から強制力のある法令に変わる
- 1968年 科学中心の「学問中心カリキュラム」が導入され、質量共に難しくなった。そして「落ちこぼれ」問題が表面化する。
- 1978年 「落ちこぼれ」解消の為に、「教育内容の精選」という名前で内容が削減される。この時初めて「ゆとり」という言葉が登場。79年・共通一次試験導入。
- 1992年 臨教審の精神を受けた「新しい学力観」「生活科」が始まり、「指導要録」「通知表」もこれを反映したものに変わる。その後、業者テスト批判に端を発して中学から偏差値が追放される。
- 2002年 週五日制・教育内容三割削減・「総合的学習の時間」の新設を柱とする「ゆとり教育」が始まる。
- 2011~2013年 新学習指導要領実施。実質的な「ゆとり教育」からそれ以前への状態への復帰。
内容削減の意味では、1978年の時点ですでに「ゆとり」が言われるようになっていたが、この削減は「平等」「画一」的に行われた削減であった。ところが1988年からの改革は、それ以前とは大きく事なる。それは少なくともそれは1958年以降ずっと全国一律に行われてきた日本の画一化教育に終止符を打つ大改革であり、「個性化」路線への転換であった。とりわけ1988年以降は、「新しい学力観」「生活科」「偏差値追放」を三種の神器にした、教育の政策大転換があり(実施は1992年)、1998年以降の新しい「ゆとり教育」も基本的に同じ路線を引き継いでいる。
1998年以降(2002年度実施)の「ゆとり教育」が批判されたのは、突然起こったものではなかった。この底流には、1978年以降繰り返してきた「内容削減」と、選択教科の拡大による「個性化」路線に対する、戦後の教育改革への各分野に対する、戦後の教育改革への各分野の不満がある。中でも算数・数学や国語といった基礎的学力分野は、その結果が目に見える形で表しやすい事や、社会一般に危機感を訴えやすいこともあり、PISA結果発表で頂点に達した。
誤解と顛末
公立学校の算数では円周率を3で計算するように教えられると言う誤解が広まる等の現象も発生している。このゆとりといった言葉がこの様な事象として取り上げられた根源は、ある中学受験塾が展開したキャンペーン、「円周率は3.14でなくて3になる」「台形の面積の求め方を教えなくなる」というものであった。このキャンペーンに文部科学省は有効な反論が出来ず、さらに、本・雑誌、テレビ・新聞、クチコミ等様々な形式のメディアにより、広く伝播し、インターネットにおいても「ゆとり」と言う言葉に対して悪いイメージが纏わり付く事となった。特にこの時は、文科省に対抗する勢力は大学の教育以外の研究者だったり、当時の与党・自由民主党の議員だったり財界の人だったりと、それまでの日教組や教育界という専門分野の人との対立を超えて批判が広範囲になされた。
全般としては「学力を低下させる文部科学省の新方針」という批判キャンペーンがあらゆる媒体のあらゆる形で繰り返され、危機感を抱いた文部科学省は、「学習指導要領」の位置づけを変更した。
学習指導要領は、日本全国一律で、「規定の年度には、この内容を教える」という基準を示している。以前の文部科学省の見解では、学習指導要領を超える(逸脱する)内容を教えてはいけないという事になっていた (つまり、「上限」であった) が、上記の経緯を辿り、「学習指導要領は必要最低限の基準を定めたもの」、つまり、「下限」を示したものであって、それ以上を教える事は何ら問題はないという方針に転換した。
この転換によって、教科書に、「発展的学習」の欄が新設され、一旦削除された内容が復活、実質的には以前同様の学習内容が維持される事が多くなった。上位学年に移動したものも、補習・課題として補完される例がある(ただしゆとり世代でも、導入された当初の学年、また地域別・学校別によってばらつきがある)。「詰め込み教育」という批判運動が起こり、「ゆとり教育」への道に方向転換したは良いものの、その集大成がまとまった途端、舌も乾かぬうちに「学力低下批判」が叫ばれ、三たびの大転換を余儀なくされた。
ゆとり教育の実際
新しい学習指導要領によって、「小数点以下2位までは教えない」―ならば→「円周率は3.14とは教えないのだろう」という推測は自然に成り立つが、実際は、3.14だと教える事になっている。
また、台形の面積の求め方までは、教えない事になったが、実際の教科書では、その直前まで教え、台形の面積は「生徒自らが考えて求めるような指導が出来る」ようになっている。
新設された内容
総合学習
総合的な学習の時間は、2002年の学習指導要領において「総則」のところで定められた。2000年の移行期間においてすでに時間を設けている場合もある。
絶対評価
学習内容ではないが、児童・生徒に対する評価として、今まで行われていた相対評価にかわって、あらかじめ定められた評価に対してどれだけ到達できているかという到達度評価 (いわゆる絶対評価) が導入された。
2学期制
これも学習内容ではないが、削減された授業時間を少しでも有効に活用しようと、従来の3学期制から2学期制へと転換する学校があった。しかし思ったほど効果が得られず、3学期制に転換し直した学校も増えつつある。
ゆとり教育と学力
頻繁に議論されている「ゆとり教育世代の学力」について、高等教育機関や社会にて実際に接したものの声が聞こえはじめている (日経ビジネスオンライン 「京大工学生はゆとり世代から学力低下」〜さらば工学部(7)・共同通信社 議論OK、学生変わった? 「ゆとり第一世代」入学 等) 。
しかし、教育の問題は明日からこうなったという具合に原因と結果が簡単には分からない複雑な分野である。その結果が現れるにも時間が大分経ってからの事である。それだけに教育の議論では、少し強引に原因と結果を結び付けたがる所があり、学力問題、特に一般に学力の結果はテストの結果で目に見える形で表に出やすいからである。しかし余りその中身の詳細までは余り議論はされない。
「学力低下」と言われる数字
国際教育到達度評価学界(IEA)による調査結果
上記の学界では、定期的に数学と理科の学力を測る国際調査を実施している。
中学二年生の数学成績は、1964年が2位、1981年が1位だった一方、1995年には3位、1999年には5位とやや後退。理科成績は、1970年には1位、1983年にはハンガリーに次いで2位だったが、2003年には6位とこちらもやや後退。これが第一の根拠となっている。
しかし、最新調査の2007年データでは、数学は順位変動なし、理科は3ランク上昇しており、「学力低下」の状況は歯止めが掛かったかむしろ、回復を示す値となっている。
また、2007年の各国平均得点を見ると、数学では、日本は570点と、1位台湾598点、2位、597点、3位シンガポール593点と比べ、有意に低いが、4位香港572点と、有意な差はなく、ハンガリー、イングランド、ロシア、アメリカ以下全ての国と比べ、有意に高くなっている。
理科も同様な状況で、日本は554点で、1位シンガポール587点と有意に低いが、2位台湾557点、また4位韓国553点と同程度であり、イングランド、ハンガリー、チェコ、スロベニア、香港、ロシア以下全ての国と比べ、有意に高くなっている。
OECD経済力協力開発機構による「生徒の学習到達度調査」(PISA)
上記はOECD加盟国に主要な発展途上国を加えた約40カ国・地域の15歳を対象にした調査である。
この調査で、日本の高校一年生の成績は、「数学の応用力」が2000年には1位だったのが、2003年には6位に、「読解力」も8位、から14位に後退した。
一般にはこの二つの数字をもって、つまり2003年頃を境にして、「ゆとり」もしくは「学力低下」が叫ばれている。(「学力低下」もしくは「ゆとり」を表題にした本は、1970年代終わりから出始め(主に「ゆとり」をもった学習というポジティブイメージが最初)、80年代には、詰め込みからの反動、「燃え尽き症候群」と対比した形で扱われている。90年代には「真の学力」という形で、より肯定的に押し出す「ゆとり教育」が現れるが、早くも90年代終わり頃には、「脱ゆとり」という形で、揺り戻しの本が出てきて、同時に「学力低下」とセットの表題が目立つようになる。以下、2002年市川伸一氏の本を始め、メディア露出も増え、2003年のいわゆる「学力調査」の数字により、最頻値となった。)
いわゆる「学力低下」への反論
一般的に統計調査は、母数集団が同型で、かつ順位に統計学的な差(有意差)がある場合に、「変動があった」、つまり学力が「下がった」(もしくは上がった)と言える。
IEAの調査について
IEA調査では、日本の中学二年生の数学が、1981年には1位だったのが、1995年には3位に後退している。
しかし、1981年調査参加国・地域数は、20だったのに対し、1995年には41に倍増。しかも1995年に日本が3位に後退した時、1位シンガポール、2位韓国共に初参加国であった。
また1995年に日本は5位に下がっているが、この時1位、2位は変動せず、3位は台湾、4位は香港、この時台湾は初参加国であった。
実質、トップランクの国を除いていた段階では、日本が先頭だったが、そのトップランクが参加すると、順位は交代。抜かれたのは、香港一つであった。
理科も同様に、日本が順位を下げたのは、途中からシンガポール、韓国、香港、台湾、エストニアが参加してきたのが順位を下げた結果である。
無論、統計学的な誤差はつきもので、数字には僅かな差があれば、順位は変動するが、それが有意な差かは別問題である。
2003年の理科の調査結果を見ると、日本よりも上位の香港、エストニアと日本には有意差はなく、実質4位水準と言える。これは「過去」に比べて日本の成績が落ちている証拠には直ちにはならない。(しかし、参加国全ての生徒の学力が落ちているならば、「学力は低下している」と言える)
OECDによる調査(PISA)
上記の調査も同様。
2003年「数学の応用力」は6位だが、日本より上位の5カ国と日本の間に有意差はない。これは実質「1位グループ」にいると言える。
2003年の「読解力」の成績は14位になっているが、これは日本より上位国の中に有意差のない国があり、日本の実質の位置は「9位グループ」である。つまりワンランクダウンという表現が正しい。
再反論
学力が低下する「兆候」がある―数学・理科嫌いな生徒が多い
2003年のIEA調査で、数学・理科の勉強が楽しいかについて、
- 「数学の勉強は楽しい?」
という質問に、「そう思わない」と答えた生徒割合を合計すると、日本の中学二年生は61%。(07年調査も同数)
これは韓国、57%と類似しているが、国際平均35%と比べ、「数学嫌い」と言える結果。 - 「理科の勉強は楽しい?」
という質問に、「そう思わない」と答えた生徒割合を合計すると、日本の中学二年生は41%。(07年調査は42%)
韓国は62%と、韓国よりは低いが、国際平均は23%と比べ、「理科嫌い」の比率が高い。
勉強時間の少なさ
また同調査で、
学校外で過ごす時間のうち、「宿題をする」時間について、日本の中学二年生は1.0時間と答えている。
国際平均の1.7時間と比べて、大幅に少なく、調査した45カ国・地域の中で最下位であった。(07年調査でも日本の数値は変動せず、国債平均は1.6時間となり、同様の傾向。順位アルジェリア、チェコ、韓国、スロベニアと続き、下から5番目。トップはシリア2.6時間)
総合すると、学力水準は依然として、トップレベルを誇っている。しかしながら、今後も学力が維持されるまた伸びるとははっきりと言えない環境にある、というのが現状である。
また、こういった「統計」と「個人もしくは特定の集団の成績」、は必ずしも一致しないのは大前提であり、混合する事はゆとりに限らず、「学力」そのものの有無に関わる事である。
さらに言えば、ゆとり教育により、人間性が変化したというのは、とても言えない。もし変化するとしたら、学校の勉強という一要因だけではなく、家庭環境、社会状況、法律・制度の変更等幾数もの要因の変化によって起こる、不測の結果である。詳しくは諸々の社会学者の言説や俗流若者論へ。
OECDの学力調査と「学力」
PISAの特徴
OECDの調査の正式名称は「生徒の国際学習到達度調査」(PISA=Programme for International Student Assessment)という。日本報告書には、その目的が以下のようにある。
PISA調査は、多くの国で義務教育終了段階にあたる15歳児を対象に、それまで学校や様々な生活場面で学んできたことを、将来、社会生活で直面するであろう様々な課題に活用する力がどの程度身に付いているかを測定する事を目的としています。単なる国の順位づけを目指すものでも、それぞれの国の生徒が学校カリキュラムを通して知識を単にどれだけ獲得したかを測定しようとするものでもありません。PISA調査は、「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」といった概念によって、新しい能力・技能をみようとする試みなのです。
リテラシー、つまりは日常生活場面での実際的な対処能力を指す言葉が使われている。
ここでは明らかに、日本で「受験学力」と揶揄される暗記と計算能力中心の学力とは、違うものが意図されている。
「数学的リテラシー」
シンガポール在住の明倫さんは、交換留学生として3ヶ月間、南アフリカに留学する準備を進めています。彼女はいくらかのシンガポール・ドル(SGD)を南アフリカランド(ZAR)に両替する必要があります。
問題1
メイリンさんが調べたところ、シンガポールドルと南アフリカランドの為替レートは次のとおりでした。
1SGD=4・2ZAR
メイリンさんは、この為替レートで、3000シンガポールドルを南アフリカランドに両替しました。
メイリンさんは南アフリカランドをいくら受け取りましたか。
問題2
3ヶ月後にシンガポールに戻る時点で、メイリンさんの手持ちのお金は3,900ZARでした。彼女は、これをシンガポールドルに両替しましたが、為替レートは次のように変わっていました。
1SGD=4.0ZAR
メイリンさんはシンガポールドルをいくら受け取りましたか。
問題3
この3ヶ月の間に、為替レートは、1SGDにつき4.2ZARから4.0ZARに変わりました。
現在、為替レートが4.2ZARではなく、4.0ZARになったことは、メイリンさんが南アフリカランドをシンガポールドルに両替するとき、彼女にとって好都合でしたか。答えの理由も記入して下さい。
問題1、2に関しては、日本でも行われている計算問題なので正答率も低くはない。
しかし問題3は、他国も含め正答率が30ポイント程下がっている。対象者は高校1年生なので、感覚的につかむのが難しく、円安になると、見た目の数字が大きくなるので直感的に「得をした」と感じるのも自然だと考えられる。
<スケートボード>
浩二さんはスケートボードが大好きです。彼はスケボーファンという店に値段を調べにやってきました。
この店では、既製品のボードを買うこともできますが、デッキ1個、車輪4個のセット、トラック2個のセット、金具のセットを別々に買って、オリジナルのボードを組み立てることもできます。
店の商品の価格は次の通りです。
商品 | (価格(ゼット) |
既製品のスケートボード | 82 84 |
デッキ | 40 60 65 |
車輪4個のセット | 14 36 |
トラック2個のセット | 16 |
金具のセット(ベアリング、ゴムパット、ボルトとナット) | 10 20 |
※実際のテストでは、表の項目のところにそれぞれスケートボード、デッキ、車輪4個のセット、トラック2個のセット、金具(ベアリング、ゴムパット、ボルトとナット)の写真が付いている。
スケートボードに関する問1
浩二さんは、自分のスケートボードを組み立てたいと思っています。この店で部品を買ってスケートボードを組み立てる場合の最低価格と最高価格はいくらですか。
(a)最低価格: ゼット
(b)最高価格: ゼット
スケートボードに関する問2
この店にはデッキ3種類、車輪2種類、金具セット2種類、金具セット2種類があります。トラックのセットは1種類しかありません。
浩二さんが組み立てられるスケートボードは何種類ですか。
A 6 B 8 C 10 D 12
スケートボードに関する問3
浩二さんの予算は120ゼットです。彼はこの予算で一番高いスケートボードを買いたいと思っています。
浩二さんが四つの部品にかけることができる金額は、それぞれいくらですか。
以下の表に記入して下さい。
部品名 | デッキ | 車輪のセット | トラックのセット | 金具のセット |
金額(ゼット) |
結果は、国によってバラつきがある。日本は問1で他国に比べ、有意に誤答が多い。より難易度が高い問2や問3では、むしろよい成績を収めている。
「読解力」
※図については、リンク先参照
図1は、北アフリカのサハラ砂漠にあるチャド湖の水位変化を示しています。チャド湖は、最後の氷河時代の紀元前20000年ごろに完全に姿を消しましたが、紀元前11000年ごろに再び出現しました。現在のチャド湖の水位は、西暦1000年とほぼ同じです。
図2は、サハラ砂漠のロックアート(洞窟の壁に描かれた古代の壁画)とそれに描かれた野生動物の変化を示しています。
チャド湖に関する問1
現在のチャド湖の水深は何メートルですか。
A 約2メートル
B 約15メートル
C 約50メートル
D チャド湖は完全に姿を消している。
E 情報は与えられていない。
チャド湖に関する問2
図1のグラフは何年前から始まっていますか。
チャド湖に関する問3
筆者は、このグラフの始まる年として、どうしてこの年を選んだのですか。
チャド湖に関する問4
問2は、ある仮定に基づいています。その仮定を以下一つから選んで下さい。
A ロックアートに描かれている動物は、それらが描かれていたときにこの地域に存在していた。
B 動物を描いた芸術家たちは高い技術をもっていた。
C 動物を描いた芸術家たちは広い範囲を移動することができた。
D ロックアートに描かれた動物を家畜にしようとする試みはなかった。
チャド湖に関する問5
この問に堪えるには、図1と図2から得た情報をまとめる必要があります。サハラ砂漠のロックアートから、サイ、カバ、オーロックスが姿を消したのは、以下のどの時期ですか。一つ選んで下さい。
A 最後の氷河時代の始め
B チャド湖の水位が最高だった時期の中ごろ
C チャド湖の水位が1000年間以上に渡って低下し続けた後
D とぎれることのない乾季の始め
この問題が示す通り、日本で問われる「読解力」の問題、つまり「国語・現代文の問題」からはかなり乖離した所にある。文章が書かれてあり、指示語や漢字を効かれたり、登場人物の心情や文章の狙い等を答えさせられるものではない。
PISAの説明でも、
読解力とは、自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、かかれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力である。
と定義されている。
その為、問題例にあるように、通常の「連続型テキスト」(文章)ばかりでなく、視覚的に表現される図・グラフ・表・地図などという「情報」も用いられる。
PISAの学力到達度調査と日本教育の「学力」
以上のテスト内容と、通常日本で行われている「受験学力」と揶揄される学力から導かれるのは、「数学的リテラシー」においても、「読解力」においても、順位の低下のある・なしに関わらず、その結果から学力低下があったともなかったとも言えない。なぜなら、PISAの問題で計られるような学力を日本はそもそも育成してこなかったのだから。
実際、「ゆとり教育」論争で問題になるのは、日本の学校教育が目指してきた学力が下がったかどうかである。PISAが求めるような学力を育ててきていないのなら、これで点数が上下しても、日本の学校教育の問題とは一切関係ないという結論になる。従って、日本の学校教育の根本を定めている「学校指導要領」に則った「ゆとり教育」も、PISAの結果に関わりを持たない事になる。
PISAのような「読解力」問題を解く学力を育ててはおらず、国語の時間数を減らしたとか、習得漢字などの内容を減らしたという話では、「読解力」低下は説明できない。むしろ2000年度で、なぜ上位の二位グループの八位だったのかということの分析・検討が望まれる。
また2003年度のPISAの「読解力」問題は、明らかにされていない。2006年にも同じ問題で調査することになっているからというのが非公開の理由である。従って、2003年度と比較して、どのような問題が低下を招いたのかは全く分析できない。
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関連項目
外部リンク
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